テラーノベル
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宮舘は、この観音舎が歩んできた歴史を、淡々と語った。それはもう、驚くほど淡々と。
そのあいだ、三人は何をしていたかというと、相変わらず身を寄せ合って眠っていた。
どうやら彼らにとって、神様のありがたいお話よりも、今ここで眠ることのほうがずっと大事らしい。
「この度この者たちが人間の姿で顕現したのは、恩返しをしたいと強く願ったからです」
「いや、さっきもそれ、言ってましたけど。俺たちには、どうにも心当たりがなくて……」
岩本が困ったように頭を掻いた。
それはそうだろう。
恩返しと言われても、いつ、どこで、何をしたのか。
そもそも相手は子猫や子犬(犬でなく狐だったのだが)だったのである。
それが突然、人間になって恩返しをしたいと言われても、はいそうですか、と納得できる人間がどれほどいるだろう。
「深澤様」
「あ、俺?はぁ……」
急に名前を呼ばれ、深澤は間の抜けた返事をした。
「昨年、ここが取り壊されかけたとき、反対してくださいましたよね?」
ああ、あれか。
例の大規模再開発。街をきれいに整え、古いものを壊し、新しいものを建てる。
そういう話だった。
もちろん、新しいものが悪いわけではない。
便利になることも、きれいになることも、きっといいことなのだろう。
けれど、古いものがなくなったあとに、そこにあった時間まで戻ってくるわけではない。
深澤には、それがどうしても寂しかった。
「ここを守ってくださる人も、少しずつ減っていきました。私たちの力も、だんだんと弱まっていくのを感じていたのです。そこへ、あなたの強い意志が流れてきました」
宮舘は静かに言った。
「そして、皆様方が毎日掃除をし、手を合わせてくださるおかげで、私たちは少しずつ力を取り戻しています。本当に心から感謝しております」
そう言って、宮舘は深々と頭を下げた。
神様に頭を下げられる。
どう考えても、こちらが頭を下げる側だろう。
深澤は困った。困ったし、なんだかむず痒かった。
「いや、俺はただ、昔からの街がなくなるのが寂しかっただけだし…。それに、その、『様』はちょっと…。もっと気軽な感じで構わない、です」
最後のほうは、なぜか敬語になった。
神様を相手に、呼び方の相談をしている。
自分は一体何をやっているのだろう。
深澤は少しだけ、自分がおかしくなったような気がした。
「では……ふっか」
「……いきなり気安くなったな」
宮舘はにこりと笑った。
神様というものは、案外、話が早い。
「何か望みはありますか?」
「望み?」
深澤は唸った。
望み、と言われても。
地位か。
名誉か。
お金か。
いや、どれもいらない。
お金はあれば嬉しいが、それを神様に頼むのもなんだか違う。
そもそも、何でも願いが叶うと言われたところで、いざとなると人間は案外、何も思いつかないものだ。
本当に欲しいもの。
なくしたくないもの。
そう考えて、深澤は隣にいる三人を見た。
三人は、まだ眠っていた。
……いや、せめて今は、寝かせておいてやろう。
「まぁ、なんだ。とりあえず、今すぐは思いつかねぇなぁ……。一旦、保留でもいい?」
「もちろんです」
あっさりと宮舘が答えた。
その瞬間、なぜか岩本も、ほかの二人も、ほっとしたような顔をした。
なんだよ、お前らもか。
深澤は内心で笑った。
神様に願い事をするなんて、そんな大それたことは誰だって怖い。
叶えてほしいと口にした瞬間、それが叶うにふさわしい望みなのか、考えなければならなくなる気がする。
それに。
願い事なんて、急いで決めるものでもない。
「あ、そうだ。これは望みなのかわかんねぇんだけど」
深澤は、ふと思い出したように言った。
「こいつら、このままここにいられんの?」
「ふっかが良ければ」
「おし」
深澤は立ち上がった。
どうやら、こちらのほうは即決らしい。
「なら、望みが決まるまで、こいつらも一緒に生活しよう。決まったら言うわ」
じゃ、解散なー。
そう言って、深澤は手をひらひらと振りながら、居間を出ていってしまった。
あまりにもあっさりしていた。
神様を前にして、願い事を保留にし、小さい三人を家に置くことだけ決めて、帰ってしまう。
何というか、深澤らしいといえば深澤らしい。
「ふっかは面白いお人だ」
宮舘は笑いながらその背中を見送った。
「あの、宮舘さん?も一緒に住みます?」
岩本がおそるおそる尋ねた。
さすがにこれ以上の人数が増えるのは困る。
雪之江荘は広いようでいて、住める場所には限りがある。
人間が増えれば、布団も必要だし、食事も必要だし、風呂の順番だって考えなければならない。
神様にまで居候されては、さすがに大家の深澤も頭を抱えることになるだろう。
「いえ、私は元の姿に戻ります。必要があれば、いつでも顕現しますので。観音舎でお声がけください」
は穏やかに答えた。
岩本は、ほっとしたような、それでいて少し残念なような、複雑な顔をした。
神様と一緒に暮らす。
考えてみれば、なかなかない経験ではある。
いや、今だって十分、なかなかない経験の真っ最中なのだけれど。
宮舘が縁側へ降りようとした、そのときだった。
ふと、足を止めた。
振り返った顔には、先ほどまでの柔和な笑みが残っていた。
「そうだ、一つだけ」
その声に、居間の空気が変わった。
彼は笑みを消した。
「私としょうた、さくまは、この土地の屋敷神です。ですから、最初からこの地と縁があります。この先余程のことがなければ、居なくなることはないでしょう。しかし、こーじは違います」
皆が一斉に、こーじを振り返った。
当の本人は名前を呼ばれて、きょとんとした顔で皆を見まわし、また眠りにつく。
宮舘は静かに頷いた。
「こーじには、総本山があります。万が一、大事が起これば、総本山である京都へ還ることになります。そのことだけは、お忘れなきよう」
京都。
その言葉が、妙に遠く聞こえた。
ここで暮らすことが決まったばかりなのに、いつかいなくなる可能性の話をされている。
誰も、すぐには何も言えなかった。
「まぁ、皆様方であれば、大切にしてくださることと存じております。どうか、頭の片隅にでも置いておいてください」
宮舘は再び、いつもの柔和な笑顔に戻った。
「この子たちを、よろしくお願いします」
その言葉を最後に、彼は坪庭へと戻っていった。
草木の間を、風がひとすじ通り抜ける。
次の瞬間、彼の姿は、ふわりと消えていた。
まるで、最初からそこには誰もいなかったかのように。
岩本は、しばらくが消えた場所を見つめていた。
なんだか、とんでもないことになってしまった。
そう思った。
思ったけれど。
居間のほうから、三人の寝息が聞こえてくる。
その寝息は、あまりにも平和だった。
岩本は小さく息を吐いた。
……まぁ、いいか。
考えるのは、起きてからでも遅くない。
少なくとも今は、そういうことにしておこうと思った。
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