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静馬は三宅からの報告を聞き終えると、「それで終わりか。」と聞いた。向かいに立っていた三宅が、僅かに背筋を伸ばす。
「はい。今のところ、不審な動きは確認されていないっす。」
「…そうか。」
神妙な顔つきで返事をすると、椅子の背にもたれた。
ここ数日、似たような報告ばかりだ。
玲司の付近で変わった動きはなく、資金の流れも以前と変わりない。
だが、それが逆に不気味でもあった。
旧深月シネマに呼び出されてから、約一週間が経過している。
あの男が一週間もの間、静観するとは思えない。
「もう下がっていい。」
三宅は「失礼します。」と頭を下げて部屋を出ていった。
玲司に関する捜査は、三宅などの部下だけでなく静馬本人も行っていた。
そして、玲司からの指示に従わず、信頼を保つことのできる方法を考えている。
第一に、このまま指示に従うことはできない。
第二に、今ここで玲司からの信用を失うことは出来ない。
内密に動いている分、静馬には玲司の動きが完璧には把握できない。
本人からの情報の提供が必要になる。
机上の資料を指で軽く叩く。
玲司が動くとなれば、次はどこだ。
資金か、人員か、それとも――。
その時、机の端に置いてあったスマートフォンが振動した。
表示された名前を見て、静馬の眉が僅かに動いた。
三宅、画面にはついさっきこの部屋を出ていった男の名前が書かれていた。
嫌な予感が、胸の奥で黒く渦巻いている。
一瞬、躊躇したあとで通話ボタンを押す。
「どうした。」
「若頭、組長が…」
電話越しに聞こえる三宅の声は、それほど焦りを感じさせない。
「どうした。」
静馬の声も、驚くほど冷静で、ハキハキとしていた。
三宅は数秒黙ったあと、息を整えて続けた。
「港の倉庫で、人が倒れてるって通報があって、確認したんすよ………」
静馬の中で予感が確信に変わった。
「それで。」
三宅は言葉を慎重に選ぶようにして言った。
「組長でした…」
静馬の視線が空中で停止する。
部屋の中が暗闇に包まれたような、そんな感覚になる。
「場所は。」
「灰崎湾の第七倉庫です。もう、警察も来ると思います。」
息を吐きながら、立ち上がる。
窓の外では、雪がアスファルトに吸い込まれるように溶けていく。
この光景が、夢のようにも感じられた。
「触らせるな。俺が行く。」
「はい。」
スマートフォンをゆっくりと下ろし、数秒立ち止まった。
宗一郎の顔が脳裏に浮かび、そして消えた。
――守るな。背負え。
そんな言葉が、静馬の中で反芻する。
「ふざけるな。」
小さく吐き捨てる。
コートを手に取り、部屋を出た。
視界にチラチラと映る雪は、静馬をみて、嘲笑うかのようだった。
「結局守れなかったな。」と今にも聞こえてきそうだ。
雪はまるで静馬を責めるように、肩に落ちた。
第七倉庫の場所は、遠目からでも、すぐに分かった。
赤色の灯りが回転し、規制線の向こうでは、警察官たちが慌ただしく動いていた。
静馬は何も言わず、その中に入っていく。
誰も、静馬を止めなかった。
倉庫の奥には人影がある。
壁にもたれるようにして、座っている。
数歩近づいて、足が止まった。
「…親父。」
それは確かに、片桐宗一郎。片桐組の組長だった。
スーツの胸元が、黒く濡れている。
血はもう流れていない。
代わりに、床に広がった跡が、冷たく固まっている。
足元には、拳銃が一丁落ちていた。
だが、宗一郎の胸元は焦げていない。
となると、自分で発砲したわけではない。
後ろから入ってきた警察官の一人が、銃を見ながら呟いた。
「非登録の銃だな。」
別の警察官が答える。
「この特区じゃ珍しいことでもないだろ。」
深月区では、銃を所持すること自体は違法ではない。
登録制度さえ通していれば、民間人でも所持が認められている。
だが、撃てば話は変わる。
「弾は一発だけだな。」
静馬はその会話を無言で聞いていた。
足元の銃を見る。
組長が撃ったのか、それとも――。
三宅は警察官が到着するよりも早く、現場にいた。
通報をしたのは三宅ではなかったが、もうじき警察が来ることぐらいは分かっていた。
組長の亡骸を見る。
ここで何があったのか…荒い呼吸がなかなか戻らない。
静馬に電話をするべきだ、と分かっている。
だが、静馬はこのことを聞いて平常心でいられるのだろうか。
銃が見える。
警察が来れば、面倒なことになる。
そして、静馬は今後片桐組のトップになる可能性が高い。
静馬の下で動くようになってから、静馬の性格は他の者より分かるようになったつもりだ。
あの人は、一人で背負いすぎる。
それに、あの人が寝ているところを一度も見たことがない。
家にも帰っているのかすら、怪しいところだ。
そんな人が、育ての親を、組長を失ったらどうなるのか。
魂の抜けた、抜け殻のようになってしまうのではないか。
倉庫の周りをうろうろとしていると、入り口の前に折りたたまれた紙を見つけた。
理由は分からない。
だが、何故か目についた。
紙を開く。
「午後九時
灰崎湾第七倉庫」
この紙が何を指すのかは分からない。
だが、静馬に電話をかけないといけないと思った。
この紙は静馬に渡すべきだ。
静馬ならきっと、組長の敵とは言わずとも、事件を解決してくれる。
どこから来るものなのか、三宅は確信に満ち溢れていた。
「若頭。今ちょっといいっすか。」
静馬が倉庫から出てすぐに、三宅が話しかけてきた。
「なんだ。」
三宅は、いつもと変わらない静馬を見て、流石だな。
と尊敬の眼差しを送る。
そして、三宅の想像していた展開にはならずほっとした。
「警察が来る前に拾ったんすけど。」
と、さっき拾った紙を静馬に渡す。
紙を開くと独り言のように言った。
「組長の字だな。」
「やっぱりですか。」
静馬はもう一度、倉庫を見渡す。手前側の壁を見た。
「撃ち合ったな。」
急に発された言葉に、三宅はうろたえる。
「壁に弾痕がある。組長が撃った。」
「じゃあ…」
「相手がいる。」
三宅はピンときていない様子だが、静馬には思い当たる人物がいた。
水陰玲司だ。
灰崎ビルの、組長室だけに明かりがついていた。
現在時刻は七時二十九分。
組長は椅子に座り、時計の針を見ている。
時計はカチッと音を立てて、七時三十分を知らせる。
宗一郎は迷わず電話をかけた。
数回のコール音がした後、繋がった。
「こんばんは。珍しいですね。」
少しの動揺も見せずに、水陰玲司は言った。
「久しぶりだな。急で悪いが、今夜話さんか。」
ほんの少し、玲司が笑う。
「一対一の面会と言う事ですか。別に構いませんよ。」
「話が早くて助かるな。灰崎湾の第七倉庫、九時きっかりだ。」
「わかりました。楽しみにしておきます。」
少しは抵抗を見せるかと思ったが、杞憂だったようだ。
宗一郎は何をするわけでもなく、ただ目を瞑り何かを考えていた。
やがて、覚悟を決めたように立ち上がり、引き出しから銃を取り出した。
まだ約束の時間まで三十分以上あるが、宗一郎は組長室を出た。
組長室の電気が消されると、灰崎ビルは闇に包まれた。
約束の時間の五分前に玲司は灰崎湾に着いた。
路上に車を止め、歩き出す。
片桐宗一郎が話すことは、大方想像がついている。
コートの右ポケットには、いつものように銃が入れてある。
使う事にならなければいいが。
第七倉庫には、既に宗一郎がいた。
「随分と人気のない場所に呼び出しましたね。」
「聞かれるわけにはいかんからな。」
「内密な話ですか。」
玲司は微かに笑った。
「静馬と何を話した。何か吹き込んだな。」
やはりその事か。
「今後の街のあり方について、相談をさせてもらいました。静馬さんは常に周囲を気にしている。それに、土壇場でも冷静な判断ができます。相談相手には最適な人物だ。」
玲司の本心は読みにくい。
「あいつを巻き込むな。」
「巻き込んでなどいませんよ。」
「お前の世界に引き摺り込もうとしておる。」
玲司は軽く首を捻りながら言う。
「滅相もない。彼は既にその世界にいる。」
「違う。」
そこで、宗一郎が一歩玲司に近づく。
「あいつは、ヤクザにするには惜しい男だ。」
「だから必要なんですよ。」
「何にだ。」
「この街を変えるために。あなたの考えは古すぎる。」
「ふざけるな。静馬はお前にはやらん。」
宗一郎は銃を取り出し、銃口を玲司へ向けた。
玲司は表情一つ変えず、それを見ている。
「本気ですか。」
「当たり前だ。」
トリガーを引く瞬間、玲司は横へ一歩ずれる。
まるで、宗一郎の撃ってくる場所が分かっているかのようだった。
壁に弾痕ができる。
玲司がコートに右手を入れた。
宗一郎は気づく。
「…お前。」
無駄な動きは一切ないように見える。
宗一郎がもう一度トリガーを引く前に、玲司の銃口から煙が上がった。
溜め息をつきながら、宗一郎に近づく。
「殺すつもりはなかったんですが。」
足元の宗一郎を見ながら、独り言のように呟いた。
数秒、何かを考えるような素振りを見せ、倉庫から出た。
来た時には降っていなかった雪は、少しずつ、確実に地面を染めている。
水陰玲司。静馬の頭にはこの人物だけが、浮かび上がっていた。
玲司からではない。
恐らく、組長が呼び出した。
そうでなかったら、倉庫に一人でいったりはしない。
この時組長は何を考えていたのか。
その時、スーツを纏った男が規制線をくぐり、静馬に近づく。
雪を払う仕草から、現場には慣れていることが分かる。
警察官たちの様子を見る限り、現場指揮の人間らしい。
「関係者の方ですか?」
警察官の一人が静馬に尋ねた。
「息子だ。」
男が一瞬息を呑んだ。
「片桐宗一郎の?」
男はメモ帳を開く。
「そうだ。」
そこで、刑事が会話に割り込んだ。
「第一発見者は。」
「部下だ。」
警察官が三宅を見るが、すぐに静馬が「こいつじゃない。」と付け加えた。
そして三宅に、部下を呼んでこいと指示をした。
「撃った人物に心当たりは。」
「…ない。」
少し間が空いたのは、脳裏に玲司の名前がよぎったからだ。
倉庫から漏れるカメラのフラッシュが眩しい。
少しして、警察官が居なくなると、刑事が口を開いた。
「親父さん、敵が多かっただろ。」
「この街で、敵がいない奴なんているのか。」
「それもそうだな。」
刑事は灰崎湾に目を移しながら、苦笑した。
「特区制度は便利かもな。これのおかげでヤクザも堂々と活動できる。」
「そのおかげで警察も仕事が増えたな。」
「いや、むしろ減ったかな。」
意外な返答だった。
だが、あえて深追いはしないでおく。
「若頭、あんたの世界の話だ。あんたが犯人を見つけてくれることを願うよ。」
「刑事がそんなこと嘆いてていいのか。」
「犯人がわかってるって顔だ。」
顔には出していないはずだ。
刑事も伊達じゃないな。
「見当がついてるだけだ。分かったわけじゃない。」
「…驚いたな。本当に見当がついてたのか。」
さっきの言葉は心のなかでそっと取り消しておく事にする。
「また連絡がいくかも知れないが、そのときは頼んだよ。」
事件を捜査しているとは思えないくらい意気揚々としている刑事を一瞥し、倉庫を後にした。
誰もいない通りで静馬は静かに呟いた。
「玲司……」