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「美緒先輩、かわいい」
その声で、遠くなった意識が戻る。
お酒って怖いなぁ。
会社の後輩、小松里美にキスをされながら、すみっこに追いやられた理性が目を覚ました。
それでも飲み過ぎた体は、いともたやすく里美に組み敷かれ、キスを受け入れている。
ボケた頭にクチュクチュとリップ音が響く。
柔らかい唇のキスは、お酒の酔いを深くし、私を甘い世界へ|誘う《いざな》。
重なる唇の優しく柔らかい感触が心地良い。
なんで、こんな事になったのだろう?
同性の後輩とキスを交わしているなんて……。
深酒で酔いが回る頭をどうにか起動させ、今の状況になった原因を振り返る。
そうだ。
後輩の小松里美に誘われて、仕事帰りにバンドのライブに行った。
そのライブ会場は、道玄坂の真ん中にある1300人程のハコ。
ライブ終了後、興奮冷めやらぬ状態でハコから出て、道玄坂を渋谷駅に向かって歩いていた時、健治を見かけたんだ。
土曜の夜の渋谷なんて、たくさんの人がいるのに何で見つけてしまったんだろう。
私、菅生美緒の夫であるはずの健治が、大学時代の元カノの野々宮果歩の腰に手をまわしファッションホテルから出てきた。コソコソしている風でもなく、まるで普通のカップルのよう。
そんな二人が何か冗談でも言い合っているのか、果歩が笑いながら健治の腕を軽く叩いた。そして、それを咎めるでもなく、果歩の頭をクシャッと撫でた健治の柔らかい表情がショックだった。
私、裏切られていたんだ。
健治が、野々宮果歩と不倫をしていたなんて……。
恋人同士のように肩を寄せ合い、渋谷の雑踏に紛れて行くふたりの姿を、私は遠くから眺めているだけだった。
ライブでの興奮から冷や水を浴びせられたような衝撃。
周りのざわめきが消え、暗くなった街に独り取り残されている気がした。
血の気が、サーッと引いてよろけてしまう。
「先輩、大丈夫ですか?」
横に居た里美に脇を支えられ、ハッとした。
「ありがとう、ごめん。今、旦那が、そこのホテルから女と出てきた」
ボソッと呟く。言葉に出すと急に現実味を帯び、自分の上に降りかかってくる。
”ああ、あれは、|現実《リアル》だったんだ”と、腑に落ちた。
鼻の奥がツンとして、涙がジワリと浮かんでくる。
こんな往来で、ましてや後輩の前で泣きたくなくて、溢れそうになる涙を必死にこらえた。
私の様子がおかしい事を察してか、里美が声を掛けてくる。
「先輩、今日はウチに泊まってください。パーッと飲みましょうよ。ねっ!」
確かに、このまま自宅に帰って健治と顔を合わせたくない。
里美の誘いは、弱っていた私に、とても名案に思えた。
「ありがとう。泊まらせてもらっていいかな?」
「もちろん、泊まっていって下さい」
その言葉に素直にうなずくと手を差し出された。
細く柔らな手に、手を重ねる。
私の手を引きながら、歩き出した里美は、花が咲いたような明るい笑顔を浮かべる。
「じゃあ、買い出しに行きましょう。泊まるなら下着とお酒ですね!」
里美は、明るく可愛い職場の後輩。そして、気が回る。今日の事も里美が一緒でなかったら きっと、取り乱していた事だろう。
そんな里美に手を引かれたまま緩やかな坂道を下り、やがて、量販店にたどり着く。
ごちゃごちゃの店内は大人のアミューズメントパークのようで、ワクワクさせる雰囲気。店内のBGMも明るく繰り返し放送され、購買意欲を煽られる。
エスカレーターに乗り3階へ上がると、レディースファッションのフロアになった。
レディースの下着売り場は、マネキン人形が華やかなレースのブラとショーツに身を包み出迎えてくれる。
ふたりで、わざとらしいぐらいはしゃぎ、過激な下着を広げて見せてはキャーキャー言いながら物色した。
「先輩、赤い紐パンは、大人可愛い装いができますよ!」
「あら、里美が履いて見せてくれるの?」
「先輩の下着を選んでいるんですよ!こっちの黒いキャミはどうですか?」
「私より、里美が着て見せてよ」
「そんなにわたしのセクシーな姿が見たいんですか?しょうがないですね。先輩だけには特別に見せてあげます。ちょっとだけですよ」
ふたりで冗談を言っては、笑い合い随分と気を紛らわした。
そして、里美の家に着いてから、ふたりでチューハイの缶を開けた。
きれいなブルーのグラスにチューハイを注ぎ「乾杯!」を合わせると、コスメやファッションの話に花を咲かせ、時折仕事のグチを語る。
今、考えなければならない現実から目を背けるようにお酒を煽り、したたか酔い始めていた。
「仕事のストレスは、ライブではしゃいで晴らすのが健康的だよね」
口にしてからシマッタと思った。せっかく話が逸れていたのに、わざわざ今日の出来事を思い出す事を自分で言ってしまったのだ。
里美は、場を取り繕うように笑顔を浮かべる。
「先輩、お酒を飲んではしゃぎましょう」
そう言って、新しい缶チューハイをプシュッと開け、コップに注ぎ足した。
気まずさを薙ぎ払うかのように、私は注がれたチューハイをグイっと煽ると、頭がフワフワとしてくる。
「イケますねー。先輩、ままっ、おひとつ」
「おねえさん、気が利くねぇ」
里美は、TVコントの再現よろしく、ふざけながらチューハイを注ぐ。
そして、私も調子に乗って、コップに注がれた分を飲んでしまう。
酔いも深くなり始めた頃、心の底にあったモノが、口からこぼれた。
「浮気現場見ちゃった」
「先輩……」
「健治の浮気現場、見ちゃった」
お酒の酔いも手伝って、ハラハラと涙があふれ出した。
後輩の前で泣くつもりなんて無かったのに、涙腺が壊れたかのように涙が頬を濡らす。そして、心の奥にあった黒い気持ちを吐き出した。
「私の何が足りなかったんだろう。仕事で疲れていても家事も一生懸命やったのに……」
「泣かないでください。先輩のせいじゃありません。浮気した方が悪いんです」
「私、あの人みたいに綺麗じゃないし、きっと、健治にとっては家政婦替わりの都合のいい女だったんだ」
夫である健治を信じていたし、愛していた。その信頼を裏切られたかと思うと悔しいのと悲しいのが、心の中で入り乱れ、涙となって流れ落ちる。
そして、健治と果歩の様子を思い返すと、夫婦として永遠の愛を誓った事が、幻となって消えて行くように感じられた。
しゃくりを上げながら泣いている間、里美は黙って背中をさすり続けてくれる。
一頻り涙を流すと、やっと気持ちも落ち着いてくる。
「里美、ありがとう。泣いたりして、ごめんね。これ、片付けようね」
立ち上がろうとした時、無茶なほど飲んだチューハイの酔いが回り、グラリと視界が歪む。
「あっっ!」
そのまま里美を引っぱり込み、二人で縺れるようにソファーに倒れ込んでしまった。
目を開けると里美の顔が、びっくりする程、近くにあった。
下から見上げた里美の顔は、お酒のせいか、艶を含んで色っぽく見える。
長いまつ毛に縁取られた仔猫のようなつぶらな瞳、きめ細やかな肌、柔らかそうなピンクの唇……。
その唇が動く。
「先輩……」
里美が呟き、私の唇に里美の唇が重なった。
女の子特有の甘い香り、柔らかく重なる唇。
弱った心にそっと沁み込んでくる。
眦から一筋の涙が落ちた。
なぜ、涙がこぼれるのだろう。この涙に何の意味があるのだろう。
酩酊した頭では、考えられないのか、考えたくないのか、答えは見つからない。
「先輩、泣いていいんです。わたしが慰めてあげます」
里美は、涙を唇で掬い。再び私の唇にキスを落とす。
唇を軽く甘噛みされ、口の中に舌が忍び込む。
里美の舌先が私の歯列をなぞり、口腔内を蹂躙される。
クチュクチュと水音が聞こえ、深いキスに息が上がり始めた。
#ざまあ
食いもんだと思ってくれ