テラーノベル
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夜のレッスンスタジオは、静まり返っていた。鏡に映る自分の姿を見つめながら、私は一人、振りの確認を繰り返していた。
何度やっても納得がいかない。
ほんの少しのズレが気になって、やめるタイミングを見失っていた。
♞「……まだやってんの?」
背後から、聞き慣れた声。
振り返るまでもなく分かる。その声の主は、瀬名泉だった。
「泉……もう帰ったと思ってた」
♞「帰るわけないでしょ。あんたがこんな時間まで残ってるのに」
呆れたように肩をすくめながら、彼はゆっくりと近づいてくる。鏡越しに視線が合って、思わず目を逸らした。
♞「その動き、さっきからずっと同じとこ間違えてる」
「……分かってるよ」
♞「分かってるなら直しなよねぇ。ほんと要領悪いんだけどぉ」
ズバッと言われて、胸が少しだけ痛む。でも、それ以上に悔しさが勝っていた。
「……できないからやってるんでしょ」
ぽつりと返すと、彼は一瞬だけ黙った。
♞「……はぁ」
深いため息。
♞「貸してみなよ」
「え?」
♞「だから、今の振り。見せてって言ってんの」
少し強引に立ち位置を入れ替えられて、私は戸惑いながらも踊り始めた。視線が刺さる。瀬名泉の視線はいつも鋭くて、全部見透かされている気がする。
途中で動きを止めると、彼はすぐに口を開いた。
♞「そこ。タイミング遅れてるし、体の軸ブレてる。あと手の角度、甘い」
「……そんなにダメ?」
♞「ダメ」
即答だった。
思わず肩が落ちる。
「……でも」
続いた言葉に、顔を上げる。
♞「最初よりはマシになってるじゃなぁい?」
「え?」
♞「ちゃんと見てるから分かる。あんた、さっきよりはできてる」
その言い方はぶっきらぼうなのに、不思議と温かかった。
「……ほんとに?」
♞「嘘ついてどうすんのぉ?」
そう言って、彼は私の手を取る。
♞「もう一回やるよ。今度は俺が合わせるからさぁ?」
「泉が?」
♞「文句あんの?」
「……ないけど」
少し照れくさくなりながら、音楽を流す。
二人で同じ振りをなぞる。
隣で踊る彼の動きは、やっぱり綺麗だった。無駄がなくて、洗練されていて、思わず見とれてしまうほど。
♞「ちょっと、なに見てんのぉ?!」
「っ、ごめん!」
♞「集中しなよ。置いてくよ?」
そう言いながらも、彼の動きはほんの少しだけ私に合わせてくれている気がした。
何度か繰り返すうちに、さっきまで引っかかっていた部分が、少しずつ噛み合っていく。
「……あ」
自然と、最後まで通せた。
息を切らしながら鏡を見る。そこには、さっきよりもずっとまともに踊れている自分がいた。
「できた……」
小さく呟くと、隣から声が落ちてくる。
♞「だから言ったでしょ。やればできるって」
「泉のおかげだよ」
そう言った瞬間、彼は露骨に顔をしかめた。
♞「は?なにそれ。気持ち悪い」
「え、ひどくない?」
♞「だって事実でしょ。あんたが頑張っただけ」
でもその言葉の裏に、少しだけ照れが混じっているのが分かる。
「……でも、ありがと」
もう一度言うと、彼は軽く舌打ちした。
♞「……ほんと、調子狂う」
そう呟きながら、彼は近くのベンチに座り込んだ。
♞「ほら、水くらい飲みなよ。倒れられても困るし」
差し出されたペットボトルを受け取る。
その何気ない優しさに、胸がじんわり温かくなる。
「泉ってさ」
♞「なに」
「なんだかんだ優しいよね」
ぴたりと空気が止まる。
♞「……は?」
「だって、こんな時間まで付き合ってくれてるし」
♞「別に。暇だっただけ」
「絶対違う」
言い切ると、彼は視線を逸らした。
♞「……うるさいなぁ」
小さくぼやくその声は、いつもよりずっと柔らかかった。
しばらくの沈黙。
外では風が木を揺らす音がする。
♞「……あんたさ」
不意に名前を呼ばれる。
「うん?」
♞「なんでそこまで頑張るわけ」
真剣な声だった。
少しだけ考えて、答える。
「……隣に立ちたいから」
♞「は?」
「泉の隣に、ちゃんと立てるようになりたい」
言った瞬間、心臓が大きく跳ねた。
こんなこと、言うつもりじゃなかったのに。
でも、もう止められなかった。
「足引っ張りたくないし……ちゃんと、同じ景色見たい」
静寂が落ちる。
怖くて顔を上げられない。
しばらくして、ふっと小さく笑う声がした。
♞「……バカじゃないの」
「え……」
恐る恐る見ると、彼はどこか呆れたように、それでいて少しだけ嬉しそうに笑っていた。
♞「そんなことで無理して倒れられたら、そっちの方が迷惑なんだけど」
「ご、ごめん……」
♞「謝んなくていいから」
そう言って、彼は立ち上がる。
♞「でも」
一歩近づいてきて、私の前で止まる。
♞「隣に立ちたいって言うなら——」
そっと、私の顎に手をかけて、顔を上げさせる。
♞「ちゃんとついてきなよ。置いてかれないように」
至近距離。
「……うん」
やっとの思いで頷くと、彼は少しだけ目を細めた。
♞「よし」
そのまま、ぽん、と軽く頭に手を置かれる。
♞「今日はここまで。帰るよ」
「え、もう?」
♞「十分でしょ。これ以上やっても効率悪いだけ」
そう言いながら、荷物を持って出口へ向かう。
慌ててその後を追う。
外に出ると、夜の空気はひんやりしていた。
並んで歩く帰り道。
「ねえ、泉」
♞「なに」
「また、付き合ってくれる?」
少しだけ不安になりながら聞く。
彼は少し考えるようにしてから、ふっと鼻で笑った。
♞「……仕方ないからね」
「それって——」
♞「次も見るってこと。言わせんないでよねぇ?」
その言い方が、あまりにも彼らしくて。
思わず笑ってしまう。
♞「なに笑ってんの」
「別に」
♞「ほんとムカつく」
そう言いながらも、彼の歩幅はほんの少しだけ私に合わせられていた。
その事実に気づいて、胸の奥が静かに満たされていく。
まだ遠いかもしれない。
それでも確かに、少しずつ近づいている。
彼の隣に——
瀬名泉の隣に、立てるその日へ。
𝑒𝑛𝑑
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