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観光も兼ねた温泉地まで、だいたい車で1時間くらいだった。
そこまでの道中も、温泉でも、変わったことは何も起きなかった。東京と違って、こっちはモンスターの発生数が低いのだ。間違っても車で走っている途中に、モンスターに襲われるなんてことはないのである。
レンジさんが運転する車窓から見えるのは緑豊かな大自然。
これも東京だと見ることのできない景色だろうな……と、思ったが5歳の時に『熊狩り』で奥多摩まで行ったことを思い出した。全然東京でも見れるな……。
「これから、どこ行くの?」
「ああ、お土産のワインを買いにワイナリーまで行こうかなって。明後日には帰っちゃうしね」
「……あ、そうなんだ」
レンジさんにそう言われて、そういえばちゃんとした旅行の日程を聞いていなかったことを思い出す。
二泊三日と考えれば普通の旅行だと思うけど……父親やレンジさん、イレーナさんのような祓魔師が、それだけの休暇を取るのは中々苦労したはずだ。普段の仕事ぶりを見ていると、かなりの調整をしたんじゃないかと思ってしまう。
いや、もしかしたらアカネさんが気を効かせてくれたのかも知れない。
あの人なら、そういう気の配り方をしていてもおかしくないし。
そういえば父親はアカネさんから鍛冶師に向けた手紙をもらうと言っていたけど、どこに届けてもらうつもりなんだろうか。旅館かな。まぁ、コンビニ受け取りってことは無いだろう。あの辺、コンビニないし。
というか、明後日には戻っちゃうのは良いとして、
「僕たち、学校どうなっちゃうんだろう」
「……うーん」
レンジさんの回答に左側に座っていたニーナちゃんの肩がびくりと震えた。
「いまは神在月かみありづきが対応してるけど……すぐに、そのまま学校再開ってことはないだろうね」
「……じゃあ」
どうなるの、と言おうとしたらレンジさんはさらに続けた。
「教育委員会の対応になると思うんだけど、悪いことにはならないから安心していて良いよ。あそこは神在月と結びつきも強いしね」
「そうなの?」
「じゃないと学校の先生に祓魔師を派遣したりできないだろう?」
そういうレンジさんの表情はいたって真面目。
俺が小学校に入ったばかりのときに、レンジさんが『学校には“魔”が集まる』と言っていたことを思い出す。人が集団で集まる場所にはそれだけ、モンスターが吸い寄せられるのだ。
そして、それを祓うために祓魔師が派遣される。
ただ人手不足のためか残念なことに俺たちの小学校に常勤している祓魔師はいない……みたいな話を父親としていた。
「とはいえ神在月から上がってる現行レポートだと、ちらほら意識を取り戻している教師や児童もいるみたいだよ。このペースなら1ヶ月も経たずにみんな元気になるんじゃないかな」
「……そうなんだ」
俺はレンジさんの嬉しい報告に、相槌あいずちを返した。
だが、とてもじゃないが『良かった』とは言えない。いや、確かに学校のことだけ見れば、結果としては良かったのだろう。
学校のみんなが死ぬことなく、意識不明だけで済んだのだから。
けれど……隣にいるニーナちゃんのことを思えば口が裂けても、『良かった』なんて言葉は出てこないのだ。
俺は見てしまったから。
『第六階位マリオネット』がイギリスで生み出した地獄のような光景を。
それを思い返していると、眼の前に大きな駐車場とワイナリーが見えてきた。
「ねぇ、レンジさん。祓魔師の人ってお酒飲まないんじゃないの? それでもお土産にワインを買うの?」
「祓魔師は飲まないけど、祓魔師は色んな人に支えられてるからね。後処理の人たちとか、『神在月』とかね」
「……む」
レンジさんにそう言われて、俺は唸った。
そういえば前世で働いている時にお盆みたいな休暇を挟んで旅行に行った人たちがお土産を会社の人に配っていたことを思い出す。ああいう細やかなところで人間性の差が出るんだよな
ちなみに俺はお盆はずっとYouTubeを見ていたので、お土産どころか外出もしていなかった。そう考えると、前世の俺って本当に何もないな。
なんていう無益な思い返しをしていると、アヤちゃんが興味深そうにレンジさんに尋ねた。
「ねぇ、パパ。ワインって美味しいの?」
「人によるかなぁ、パパは好きだよ」
そう返しながらレンジさんが駐車場に車を停める。
「アヤたちは子どもだからワインは飲めないけど……ここはぶどうのソフトクリームとかぶどうジュースとかもあるから、楽しいと思うよ」
「ほんと!?」
それを聞いたアヤちゃんがシートベルトを外しながら身を乗り出した。
「楽しみだね、イツキくん!」
「うん。美味しいと良いね」
俺はそう返してアヤちゃんと同じようにシートベルトを外す。
ワイナリーって言うくらいだからワインくらいしかないものだと思っていたけど、意外と色んなものがあるんだなぁ、と初めてワイナリーにやってきた俺はそんなことを思う。
それにぶどうジュースがあるなら、ニーナちゃんも飲めるだろう。
というか、アイスならニーナちゃんが食べられるんじゃないだろうか?
固形物が喉を通らないのは仕方ないとしても、流動食ならいけるんじゃないか。
全然その可能性を考えてなかったな……と、思いながら車から降りると、近くに車を停めた父親たちも同じように降りてきて合流。
俺たちは流れるようにしてワイナリーに入った。
入るなり俺たちを出迎えたのは棚いっぱいに詰められたワインボトルと、アルコールの匂い。本当にジュースやアイスが売ってんのかな……と思って店内を見渡していると、奥の方に小さなフードコートがあり、確かにそこでアイスを売っている。
あれ、ジュースは……?
そう思ってきょろきょろと視線を動かしていると、アヤちゃんから手を引かれた。
「あ、見て。イツキくん。ジュースあったよ!」
「うん? あ、ほんとだ」
アヤちゃんの指した先を見れば、確かに瓶入りのぶどうジュースが売っていた。
売っていたのだが、値段が1000円くらいする。
嘘でしょ。しかも紙パックじゃなくて瓶入り?
なんか昔、まだ小さくて家から出られなかった時に、父親がお土産で買ってきてくれたやつがこんな見た目をしてた記憶があるが……こんな高いの?
でも、他のワインと見比べれば全然安い気もしてくる。金銭感覚が壊れちゃうよ。
などと俺がジュースの値段に震えていると、後ろにいたイレーナさんがニーナちゃんの手を引いた。
「試飲も出来るそうですよ」
イレーナさんから受け取った一口サイズのカップにはぶどうジュースが入っている。
それを試し飲みすると、口の中に濃いブドウジュースの味と、香りが広がった。
流石1000円するだけはある……と、馬鹿舌のレビューを1人でやっていると、ニーナちゃんがぽつりと口を開いた。
「……おいしい」
「ならお土産に買ってかえりましょうか」
言った瞬間、イレーナさんが瓶を2本ほど持ってカゴに入れていた。早いな、動きが。
美味しかったし、ヒナにも飲ませてあげたいから父親に頼んでみようと思ったのだが父親の姿が見当たらない。
どこに行ったんだろうと思って父親の姿を探すと俺のすぐ後ろ、レンジさんと二人でワインを見繕っていた。
「アカネさんは赤ワインが好きなんだっけ」
「あの人は何でも飲むだろう」
「じゃあ両方買っていこうか」
そう言って良さげなワインを赤と白で2本ほど手に取る父親2人組。
それをレンジさんがカゴに入れている途中で、父親が全く別の赤ワインに視線を向けた。
「そういえば、赤が寝かせたら美味くなるんだったか」
「うん? そうらしいが、ワインセラーが要るだろう。買うのか?」
「いや、家族の思い出に1本買っておくのも悪くないかと思ってな」
「ああ、良いじゃないか。良い奴は保もつって言うしな」
レンジさんがそう言うと、父親は静かに笑った。
「ああ、イツキが大人になったときに2人で飲むのが夢なのだ」
一体何年後になったらそれが叶えられるんだろう……と、思いながら俺は父親のもとにジュースの瓶を持って向かった。
すっかり会計も済ませたところで俺たちはぶどうソフトクリームを食べにフードコートに移動。普通のバニラアイスもあったが、当たり前にみんながブドウのソフトクリームを選ぶ。俺も当然、それにした。
ワイナリーでアイスを食べるなんて初めての経験だったし、初めてだからか何だか味が普通のアイスよりも濃い気がする。……俺の感想って濃いか薄いしかないんだな。自分の舌の馬鹿さに悲しくなってきた。
しかし、俺が悲しくなっている一方でヒナもアヤちゃんもアイスを美味しそうに食べていたし、何よりニーナちゃんも食べれていたのが良かった。
そうして、次はどこに行こうか……というタイミングで、父親のスマホがわずかに震える。
「イツキ、アカネ殿からの書簡が届いた」
父親がスマホを確認してから、そう言った。
多分、メールだかSMSだかが届いたんだろう。
それなら手紙もそれで良いんじゃないかと思ってしまうのは、流石に俺が現代人すぎるだろうか。
「どうする? 今日行くなら、今から行かねば間に合わないが……」
「だったら、今から行こうよ」
「……無理はしなくて良いんだぞ?」
確かに昨日までの俺の優先順位から考えれば、鍛冶師のところに行くのは明日でも良かった。でも、今は違う。晴永ハルナガが教えてくれた『仙境』。その行き方を鍛冶師が知っているかも知れないのだ。
だから、俺は首を横に振った。
「ううん。僕、あの人に聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいこと? ふむ。まぁ、イツキが乗り気なのであれば今から行こう」
父親はそういうとスマホをしまい込んで、レンジさんたちのところに駆け寄った。
そうしてレンジさんたちに事情を話している父親を見ていると、俺の隣にじぃっと立っていたニーナちゃんが口を開いた。
「あ、あのね。イツキ。私、覚・悟・してるから」
何の、と問うよりも先に彼女は続けた。
「も、もし……次も『残れ』って言われたら、私は、あそこに……」
彼女の足が震えているのが分かる。
無理しているのが分かる。
思えばニーナちゃんは出会ったときから、無理をしている子だった。
イレーナさんに見て欲しくて、振り返って欲しくて、だから祓魔師になろうとした。モンスターを見るだけで過呼吸になってしまうほど、心に傷を負っていたのにそれでも前を向こうとした。
だから、言わなければならない。
「ニーナちゃん。僕はね」
いまだって同じだ。
ニーナちゃんが『マリオネット』に嗤・わ・さ・れ・た・記・憶・を掘り返され、祓魔師としての目標に躓つまづいてしまった。
それでもなお自分自身の価・値・を提示するために、そんな無茶なことを言っている。
だからこそ、俺が言葉にしなければならない。
「友達を捨ててまで妖刀なんて要らないんだ」
そのスタンスは変わらない。
遺宝には妖刀以外の使い道がある。
刀にせずとも妖精として使うことができる。
だが、友達は変えられないのだ。
というか、常識的に考えて刀欲しさに友達を差し出さないだろ。
という俺の思いが伝わったのか、ニーナちゃんはそれ以降、何も言わなかった。
その代わり、父親と一緒にアヤちゃんが戻ってきた。
「イツキくん。今からあの鍛冶師のおじいさんのところ行くんでしょ?」
「うん。そうだよ」
「私も行く。ニーナちゃんも行くんだと思うし」
アヤちゃんの言葉に、ニーナちゃんは首を縦に振った。
「だったら、私も行かなくちゃ」
分からん。どうして『だったら』になるのかが。
しかし、女の子のことが分からないのは今に始まった話じゃないので、俺はいったん「そうだね」と返しておいた。意味は分かっていないが、相槌は大切である。
というわけで、今度の俺たちはレンジさんの車ではなく父親の車に乗り込んで出発となった。
「先に旅館に戻るぞ、書簡を受け取るからな」
ああ、結局旅館で受け取りにしていたのか……なんてことを思う俺を乗せて車が動き始めた。
とはいえ、ワイナリーと旅館は近い。
1時間かからないくらいで旅館に立ち寄り、父親が封筒に入った手紙を手にすると、今度は山奥に向かって出発。昨日見た道を今度は父親の運転で抜けて、俺たちは再びあの山の中を移動する。
「…………む」
「どうしたの?」
「霧が……」
山の中に入った瞬間、再び視界が真っ白になった。
これだと前も見えないので、俺は例によって魔力の霧をカットするレンズを『形質変化』で生み出して、視界を確保。
昨日と同じところで車を停めて、俺たちは再び細い獣道を登った。
途中でニーナちゃんの体力が切れて休憩を挟むというアクシデントがありつつ……俺たちは、ほぼ1日ぶりに鍛冶師の小屋に戻ってきた。
そうして、再びやってきてやっぱり気になるのは、
「ねぇ、パパ。これって、桃の木だよね」
「ああ、そうだな」
やはり秋の終わりに花の咲かせている桃の木である。
父親の相槌に最初に反応したのは俺ではなく、アヤちゃんだった。
「えっ!? 桃の花って3月に咲くんじゃないの?」
「ここは地脈の濃い場所だからな。強い生命力にあてられて普段、咲かぬ花が咲くことも珍しくない」
父親はそういって歩みを進める。
確かにその説明は納得行くものの……俺としては、晴永ハルナガの話を思い出してしまう。とはいえ、仙境の話は鍛冶師に聞かなければならないことだ。
父親は桃の木の近くにある大きめの小屋の扉を勢いよく叩いた。
「センセイ、いますか」
そう声をかけると、小屋の中からごとり、と音がする。
そして小屋の中からこっちに向かって歩いてくる足音とともに、扉が開かれた。
「存外、早く戻ってきたの」
そうして、その白濁した瞳で俺たちを見下ろして老爺は続けた。
「その子を置いていく気になったかどうか、答えを聞こうかや」