◇◇◇
アンヤが影を利用しながら高速で移動し、敵に襲われているという街まで辿り着いた時、その場所には逃げ惑う人々の悲鳴が鳴り響いていた。
だがそれだけではない。防衛線が立て直せないと分かった今も、この場所で勇敢に立ち向かおうとする者たちだっている。
「うわっ、うわぁぁっ!?」
「うぉぉおお! やめろーッ!」
凶牙に晒されようとする力なき者を救うために戦士がその身を盾にするように立ちはだかる。
だがあらゆるものが入り乱れたこの混沌とした戦場ではどこから敵が襲ってくるか分からない。
そして今も勇敢に飛び出した彼の身に別の牙が迫っていた。
「ろ、路地裏から!」
「なっ!?」
路地裏から飛び出してきた1体の狂犬が戦士に飛び掛かろうとして――黒い刃に切り裂かれた。
そして彼が相対していたもう1体の獣も月の輝きを宿した一刀のもとに切り捨てられる。
(ますたーたちが戦いを終わらせてたくさんの命を救ってくれる。だからアンヤは取り残されたものを救う……照らしてみせる……そのために――命を奪ったとしても。これ以上、決して奪わせない)
アンヤは縦横無尽に街の中を駆け巡る。人々の命が脅かされようとしている限り、彼女が止まることはないだろう。
「父さん!」
「止まるな! 早く行くんだ!」
決して戦うことになるとは思ってはいなかったとしても、家族を守るために剣を持って立ち上がる人だって。
「ッ!? 何だ!?」
「父さん、こっちだ!」
「あ、ああ!」
誰だって例外なく生きようとしている。
「まだやれるな!?」
「当然だ! こんなトコでくたばってられっかよ!」
邪魔に囲まれながらも背中合わせに生き延びようと手を取り合う兵士と冒険者も。
「これは……!?」
「影か……!」
その影は街のあらゆる場所で目撃されることになる。
そして――。
「……見つけた!」
アンヤは邪魔たちを率いる存在と相まみえた。
人間の女性のような上半身と、下半身が脚の代わりに6頭の犬の体をくっつけたような姿。
それは先日、城壁の外でアンヤが目にした邪魔と同じ個体だ。
その女は脚の代わりとしている犬の頭から炎を吐き出し、街を燃やしながらアンヤに向かって右手を突き出す。すると彼女の周りにいた双頭の魔犬が差し向けられた。
アンヤはそれらを軽やかなステップを駆使して掻い潜りながら犬脚女との距離を詰めようとするが、魔犬たちも主に近づけさせまいと必死に食らいついてくるため、そう上手くはいかない。
すぐに思考を切り替えたアンヤは魔犬に一閃を加えつつ、影に潜って犬脚女の背後にある瓦礫の影から姿を現す。
だが自らが持つ合計14の目と周りを囲む十数体の魔犬の監視の目はそんなアンヤをすぐに捉えてしまう。
そしてアンヤに火魔法を浴びせようと一斉に口を開いた。
「……《アナリシス》!」
アンヤの両目が淡く黄色い輝きを灯す。そして彼女は迫りくる炎に向かって迷うことなく駆け出した。
彼女は霊器“月影”の性質を利用して炎を打ち払いつつ、そのスピードを決して緩めることなく放たれた魔法の合間を縫って移動していく。
それを止めようとする犬脚女も、アンヤの移動ルートを先読みして魔法の術式を進路上に設置する。
だがアンヤはそのルートを正確に避けるか、術式が現れる前の魔素が集められ始める段階から月影によって打ち払ってから通り抜けていった。
埒が明かないと思ったのか、犬脚女の命令により魔犬のうち数体がアンヤに飛び掛かるが、それを彼女は左手に作り出した影の刀と右手の月影で捌いていく。
その間もアンヤの隙をつくようなタイミングで魔法が放たれるが、やはり彼女はそれを最低限の動きで回避するか月影で正確に打ち払っていく。
――眷属スキル《アナリシス》。それは魔素を視覚情報として捉える力だ。
通常、魔素は目にすることができない。魔力となり、体外に放出される段階で初めてそれぞれの色を宿す。
だが今のアンヤの目には空間に漂う魔素も生物の体内に流れる魔力すらもその目に捉えることができる。
そして、魔素の流れを読むことで相手の動きを正確に予測することだってできるのだ。
(これ以上、時間は掛けられない)
埒が明かないと思っていたのはアンヤも同じだった。
少女は左手の模倣物を近くにいた魔犬の1体に向かって投擲し、月影を腰に差した鞘に収めると、自分の手の中と周囲に影で模倣したナイフを作り出してばら撒き始めた。
無差別に投擲された無数のナイフを避け切ることは至難の業で、迎撃も回避もできなかった魔犬はそのまま多くが息絶えていく。
だが犬脚女の方はというと、瞬時に魔法を弾く障壁を前方に展開してナイフを防ぎ切っていた。
そして障壁を消し去った時、犬脚女の前にアンヤの姿はない。
ハッとした表情を浮かべた犬脚女は影のナイフが突き刺さったまま息絶えている魔犬に向かって炎を打ち出した。
するとそこからアンヤが現れて両手で握った月影で炎を打ち消す。
「……あなたは頭が良くて、強い。その魔素に染まってしまわなければ、人とだって良い関係を築けたかもしれない」
そう言ってアンヤは少し寂しそうな顔をするが、決して切っ先を下に降ろそうとはしなかった。
彼女の覚悟は決して揺るぎはしない。
アンヤは再び影で模倣した無数のナイフを犬脚女目掛けて投擲するとともに、魔犬の影から棘を突き出すことで残った魔犬たちも一掃する。
離れた場所から犬脚女のような知性に優れた生物自身の影を利用しようとするのは困難だが、魔犬のような獣は別だ。
術式を構築する時間さえあれば、問題なく彼らの影すら攻撃に転用できる。
「……これで1対1。それとも1対7?」
己の眷属である魔犬を全て失った犬脚女は激怒する。
その甲高い叫び声に対して、アンヤは僅かに眉を顰める程度だった。
(……そろそろ効果があるはず)
アンヤは自分の周囲に再び無数のナイフを生成し、手の中にも何本かナイフを握る。そしてそれらを一斉に投げた。
当然、犬脚女もこれまでと同様に障壁を展開してそれらを防ごうとする。
模倣されたナイフが障壁に弾かれ、次々と霧散していく。だがそれが全てではなかったのだ。
投擲されたナイフのうち数本は障壁を物ともせずに突破し、犬脚女の下半身に突き刺さる。
痛みに怯んだ犬脚女は肉薄してきたアンヤへの対応が一瞬遅れ、脚の代わりとしていた犬の首が2つほど宙を舞った。
「……下ろし立てのナイフ、ちゃんと騙せた」
対魔法に特化した障壁では当然のことながら実物のナイフを弾くことはできない。
影魔法による模倣品をずっと使用していたアンヤはこれを狙っていたのだ。幾度となく繰り返されていたことと冷静さを失った今の犬脚女にはこれらを見分けることができなかった。
残った4体の魔犬が牙を剥くがそれらも1体ずつアンヤによって切り捨てられていく。
そして脚代わりの存在を失い、倒れ落ちる犬脚女に向かってアンヤは月影を振り下ろしたのであった。
◇
私たちの戦いは終わった。
まだどこかに生き残りはいるかもしれないが、それはこの国の兵士や冒険者たちでも対処できるだろう。
魔素鎮めも終え、戦いも終息をみせたこの荒野は静かなものだった。
「やっぱりここは皆の花畑にしようよ。その方がおばあさんだって喜ぶ」
少し強引だが、一時的に生成される魔素の量を抑えたこの場所に再び魔物が現れるまでには猶予がある。
それまでに色んな人がここに魔力で咲く花を持ち寄って植えていけばいい。
「ボクたちの手でまたここに花を植えていくんだ。これはその第一歩だよ」
多くの人間、そして姉たちに囲まれながらダンゴは小さな雛菊の花を魔法で生み出した。
いつかここは大きな花畑になるはずだ、皆の手によって。
決して前と同じ咲き方にはならないだろうが、そっちのほうが趣もあっていい。
「――さっさと埋め尽くしたほうが手っ取り早いのに。あれ、なんの意味があるんですか?」
ダンゴたちを遠目で眺めながら隣に立つ長身の男性へそう問いかけた少女に対して、横から割り込む形で私は言葉をかける。
「ここはたくさんの人の想いが込められた場所だったんだよ。だからダンゴはまたここに人々の想いを込めようとしているんだ」
「お前には聞いていない、人間。軽々しく話しかけてくるな」
相変わらず刺々しいプリヴィア。
まずはこの子とも話そうと思う。隣で気まずそうに佇むミーシャさんとちゃんと話すためにも。
「プリヴィア……ちゃん?」
すごくムッとされたが私はそのまま話し続ける。
「大好きな相手と一緒にいられればそれでいいっていう気持ち、私にもよく分かるよ。私もずっと同じ気持ちだったから。でもやっぱり……愛し合っているならちゃんとそれを伝え合ってほしいと思っちゃう」
「余計な――」
「余計なお節介でもなんでも、想いあっているはずなのにすれ違っちゃうのは悲しいよ。こんな言葉くだらないって切り捨ててしまっても構わないけど、何も残らないまま終わっちゃうこともあるから」
私が言葉を終えるとプリヴィアは押し黙ってしまった。
何とも言えない表情の彼女にこれ以上なんて声を掛けるべきかと悩んでいると、ミーシャさんが少し屈んで私の視界に入ってきた。
「あ、ミーシャさん……」
「ごめんなさい、ユウヒちゃん」
「え?」
何を言うべきかと悩んでいるうちに発せられた突然の謝罪に私は呆気にとられる。
「あなたは立派に頑張っているわ。ユウヒちゃんとコウカちゃんたちがそんなにも素敵な関係を築けたキッカケはきっとあなたの愛よ。それを親だとか子供だとかの基準で推し量るべきなんかじゃなかったの」
――私が頑張っている?
この関係はみんなと築き上げてきたものだけど、キッカケはたしかに私なのかもしれない。でも私の言葉をみんながまっすぐ受け止めて信じてくれたからなんだ。
そして今もみんなは私の綺麗事を信じて家族になろうとしてくれている。
「全部あなたの言った通りだった。ワタシは結局、色んなことを言い訳にして、ただ全てから逃げようとしていただけだったのよ」
違うんだ。私もあなたにそんなことを言う資格なんてない。逃げているのは私だって同じなんだ。自分の本当の心で向き合うのが怖い、拒絶されるのが怖くて向き合えない臆病者だ。
こんなにも醜い私の本心をみんなには見せられない。だからしっかりと隠し通さないといけない。
6年間隠し通せてきたのだから、これからも同じことをするだけだ。
「やっぱりあなたたちの関係を見ているとすごく憧れてしまう。だからというわけではないけれど、これからはワタシもあなたの言葉を真摯に受け止めてちゃんと向き合っていきたいと思う。だってこの子はワタシのたった1人の娘なのだから」
ミーシャさんはそう言ってプリヴィアを強く抱きしめる。
この時のミーシャさんの腕の中で驚いた表情を浮かべた彼女の顔が私にとってはひどく印象的だった。
「今まで本当にごめんなさい、プリヴィア。そしてこんなワタシのことをずっと想い続けてくれてありがとう。みっともないワタシとはお別れよ、これからはもうあなたのその想いから逃げたりなんかしないって誓うわ」
「母様……」
昨日の彼はもうここにはいない。
ここにいるミーシャさんは、私のよく知っている頼りになる大人のミーシャさんだ。
「……そうね、最初にこんなことを言うのは少しばかり憚られるのだけれど……。プリヴィア、親として1つ言わせてほしいことがあるの」
「何ですか、母様!? 何でも……何でも言ってください!」
「あなたの立振る舞いは褒められたものではないわ。余所様への失礼な態度、ちゃんと改めなさい」
虚を突かれたような表情で固まったプリヴィア。
だが彼女は最終的に自分の意思で私へと謝罪してくれた。
叱られてもなんだか少し嬉しそうだったから、きっと上手くいくだろう。それもこれからの彼ら次第ではあるが。
――そうして彼ら親子は去っていった。
今日はこの国で休み、明日にはミンネ聖教国に帰るらしい。
元々プリヴィアとの長距離飛行及び実戦訓練のためにここへ来ていたそうで、それが終わったから帰るのだとか。
2人の後ろ姿が遠くなっていく中、こちらに振り返ったプリヴィアが思いっきり舌を突き出し、いわゆるあっかんべーの仕草をしてきた。
子供か、と心の中でツッコミそうになったが彼女はまだまだ5歳の子供だった。
どう反応を返すべきかなと思い悩んだ末、私は笑顔を浮かべて手を振ることにした。
特に反応を示さずに前に向き直った彼女だったが、果たしてこれで良かったのだろうか。
寄り添いながら歩く彼らの後ろ姿を見送っていると、不意に小さな影が隣に並んでくる。
私はその子に労いの言葉を掛けた。
「今日はよく頑張ったね、アンヤ。1人でもちゃんと街を救ってきちゃうんだから……本当に偉いよ」
アンヤの頭を撫でる。目を細めてなされるがままに頭を揺らすアンヤはやはり子猫みたいで可愛らしい。
「ん……ますたー。アンヤの見つけた夢、聞いてほしい」
「アンヤの……夢?」
どこか晴れ晴れとした様子のアンヤ。そして“夢”というフレーズに疑問を抱く。
彼女は空を見上げると、どこか弾むような声で語りはじめた。
「……太陽の光が当たらない場所……そこにあるのは闇だけじゃない。そこでも光を求めて、確かに生きようとしている命がある。アンヤはそんな命に光を届ける……“月”になりたい」
アンヤが夜空に向かって手を伸ばす。
――月。この子が、この子たちが私に対して言った太陽とは違う。
つい胸が苦しくなる。だがそれも彼女の次の言葉を聞くまでのことだった。
「……でもどこかに行くわけじゃない。だって――」
私の目を見て、アンヤが柔らかく微笑む。
「――月は太陽の光がないと輝けないから」
「ぁ……」
その言葉が引き金となり、私の頭の中である1つの記憶が呼び起こされた。
『ねぇねぇ優日。月が明るく光って見えるのは太陽に照らされているからなんだって。月も太陽の光を浴びていないと輝けないだなんて……まるで瑠奈たちみたいだねっ!』
「――瑠奈」
同じようなことを言っていた子がいた。
どうして私は今、あの子の名前を……。
「……ますたー?」
「なんでもない。なんでもないんだよ、アンヤ」
そう、もう何でもない記憶だ。
少し一緒にいた時間が長い子。それだけじゃないか。
「アンヤがどこにも行かないって分かったらなんか気が抜けちゃった。夢、ちゃんと応援してるからね」
「うん……ありがとう、ますたー」
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