俺が質問を我慢しているのに、彼女はいとも簡単に俺に質問をしてくる。
「お湯はもっと熱いほうがいい?」
「ベッドのマットレスは硬すぎたりしない?」
「毛布はもっと厚手の方がいい?」
「部屋の温度はどう?もっと温かくもできるけど」
そして――――
「ねえ。どうしてあなた、スープを捨てるの?」
それはちょうど、情事の後、風呂で俺のソレを丁寧に扱きながら洗ってくれているときで、俺は打ち寄せる快感に、一瞬何を言われているかわからなかった。
「スープよ、スープ。コーンスープだろうが、豆乳スープだろうが、最近ずっと捨ててるでしょ?そこに」
彼女は長い睫毛の目を伏せて、トイレを見つめた。
「……ああ」
俺はふっと笑うと彼女を見下ろした。
「一度、変な味がしたことがあって、トイレに流した。それからなんか飲めなくなった。捨てるのも勿体ないからもうスープは準備しないでもらえるか?」
言うと彼女は、考え込むような顔をして、小さく息を吐くと、俺の大きくなったソレから手を離し、シャワーで泡を流した。
風呂から上がると、彼女は白く清潔なタオルで俺の髪の毛を拭いてくれる。
視界に入る髪が少ないので、俺の髪の毛は長くはないのだとわかる。
「――――」
一方彼女は顔は小さいものの、背はけして低くない。というより、女性にしては背が高い。
165㎝はあるだろうか。
そんな彼女と自分の身長差は頭一個分。15㎝ほど。
つまりは自分の身長は180㎝くらいだ。
180㎝の若い男。
食事を準備し、掃除に、風呂に、そしてセックス。
彼女はどうして、俺を飼っている……?
俺の大きい体を必死にタオルで拭く彼女の髪の毛を撫でる。
するとその大きな瞳が、何かを決心したかのようにこちらを見つめ、真っ赤な唇を開いた。
「あのスープの中には薬が入っているの」
俺は眉をひそめた。
「俺は、何かの病気なのか?」
聞くと彼女は迷ったようにまた目を伏せる。
「―――」
「―――教えてはくれないのか?」
「病気というより……」
「―――?」
彼女は再びその瞳を上げた。
その目は潤んでいて、俺が何か悪いことを言ってしまったのは明らかだった。
「あなたは、その薬を飲まないと生きていけないわ」
「―――生きていけない?」
ポロリと彼女の眼から涙が流れ落ちる。
「とても辛いことがあったの。あなたにとって。だからあなたはそれを、忘れなければいけない」
「――――」
「忘れて、隠れて、生きていかなければならないのよ……」
「――――」
何が何やらわからなかったが、大きな瞳から流れる涙が止まらないので、俺は仕方なく小さく頷いた。
「今日からスープ、飲んでくれる?」
彼女は必死の形相で俺を見つめた。
こんなのーーー断れるわけがない。
こちらには首を横に振る材料が一つもないのに、彼女には泣くほどの理由がある。
「………ああ」
俺が素直にそう頷くと、彼女はやっとふっと柔らかい笑顔を作った。
◇◇◇◇◇
その日の夕方も、少女が俺の食事を運んできた。
「…………」
ちらりと白いカメラを見上げる。
その奥に彼女の大きな瞳を感じる。
俺はチーズハンバーグステーキを食べた。
緊張のためか何の味もしない。
続いて添えられた温野菜のキャロットとベビーコーンを口に運んだ。
ライスを口いっぱいに含み、水で流した。
横目でスープを見る。
今日はクラムチャウダーだ。
浮かんでいるアサリがなんだか禍々しいものに見えた。
「…………」
迷いを吹き飛ばす様にそのスープカップの取っ手を掴むと、一気に喉奥に流し込んだ。
変な味は―――しない。
しかし飲みこんだ瞬間、喉も胃袋も侵食され、蝕まれていくような変な感じがした。
「―――お済なら、お皿をお下げします」
見計らったように彼が入ってきた。
いつもは言葉を発しないのに、こちらに向けて話しかけてきた。
「…………」
違和感を覚えつつも、俺は立ち上がると、邪魔にならないようにベッドに移動した。
酷く疲れた食事だった。
俺はマットレスに倒れ込み、天井を見つめた。
視界の端で、全てをそつなくこなした彼が一礼して去っていった。
『とても辛いことがあったの。あなたにとって。だからあなたはそれを忘れないといけない』
一人になった部屋で眼を瞑ると、彼女の声が反芻された。
『忘れて、隠れて、生きていかなければならないのよ……』
忘れて―――?
そうか。だから俺は何も思い出せないのか。
自分のことも。
彼女のことも。
この部屋のことも。
忘れて、隠れてーーーー。
――――。
――――?
――――隠れて?
俺は瞼を開いた。
俺は誰から隠れているのだろう。
「!!」
その時急激な吐き気が襲い、俺は立ち上がった。
ユニット型のトイレに駆け込み、先ほど入れた胃の中のものを全て吐き出した。
カメラはこの扉の上部に取り付けられているため、おそらくトイレは彼女たちには見えないだろう。
それはよかったが―――。
「…はあ……うぅッ、ハアッ、はあ…!」
全て出したのに、それでも起こる吐き気に喘ぐ。
そして、絶望が襲う。
数日スープを飲むのをサボっただけで―――。
俺の身体は、もうそれを受け付けなくなっていた。