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毎食残さず食べる。
そして毎食残さず吐き出す。
そんな日々は3日で限界を迎えた。
喉はもちろん、常に眼球が乾いて痛い。
手足の先が痺れ、平衡感覚がないから座っていても寝転がっていても気持ち悪い。
それなのに男の生殖本能と子孫繁栄本能は、生存本能に勝るらしい。
彼女に求められると、起き上がる体力はないのに、ソレは確かに反り勃った。
このままだと栄養失調で死んでしまう。
それどころか、貴重なたんぱく質まで彼女に吸い取られ、尽きてしまう。
俺は回らなくなってきた頭で考えた。
どうやらスープが原因らしいのはわかっているので作戦を考えた。
1つ。スープを先に飲む。厳密には飲みこんだふりをする。
しばらくしてからふと思い立ったように立ち上がる。
トイレへ行き、一気に吐き出す。
流し終わったら、あたかも用を足したような顔で椅子に戻り、残りの食事は全て食べる。
しかしこんなことを毎回繰り返していてはバレるので、2つ目のパターンも考えた。
他の飯を全て食べてから、最後にスープを口に含む。
含んだまま、彼が食器を下げるのを、ベッドの上で見つめる。
彼は話しかけてこない。
イコール言葉を発する必要はない。
彼がいなくなってから数分待ち、自然な動作で立ち上がる。
そしてトイレへ。スープを吐き出す。
これで嘔吐せずに、ほぼすべての食物と栄養を摂取できるようになった。
吐き気と眩暈が無くなると、思考は少しずつクリアになってきた。
彼女は、どうして俺がスープを捨てていることに気づいたのだろう。
カメラで見たから?
違う。
気づいたから、カメラを設置したのだ。
いつ気づいた?
なぜ、気づいた?
彼女のひどく動揺した顔を思い出した。
そうだ。あれは――――。
………あんたは結局、誰なの?
俺が彼女にそう聞いた時だ。
―――だって当たり前じゃないか。
俺はここがどこかもわからず、
自分が誰かもわからず、
見知らぬ美女に抱かれ、生かされている。
その美女に正体と自分との関係を聞くのは至極当然のこと。
しかし―――。
この状況を、俺はほんの数日前まで何の違和感もなく、疑問もなく、受け入れていた。
スープに入っているのはおそらく抗うつ剤や安定剤の類だろう。
しかもかなり強い。
それのせいで思考力が低下していたものと推測できる。
問題は――――。
彼女がどうしてそれを俺に飲ませ、そしてこれからも飲ませ続けようとしているのか、だ。
「……は……アあ……ああ……」
自分の上で腰を振っている彼女を見上げた。
性懲りもなくその乳房に手を伸ばそうとして、硬い手錠で手首が引き吊られる。
「――――」
ただ、彼女に快感をもらっているだけではつまらない。
俺は自由になる左足の膝を立てた。
「―――?」
彼女が驚いたように振り返ると、俺は少し体を浮かせ、彼女の臀部の方に数センチ移動した。
「………え?」
そして角度を付けて腰を斜め上に打ち付けた。
「――ぁあッ!!」
バランスを崩した彼女の両手が、ベッドのヘッドボードに着地する。
そのまま二度、三度と、奥まで突き上げると、彼女は腕を伸ばした状態で、ボードに凭れ掛かった。
「………くッ」
角度が変わったことで、締め付けが増し、彼女だけではなく自分も窮地に追い込まれた。
目の前には彼女の乳房が上下に揺れている。
舌を伸ばせばその桜色の突起に舌先が届きそうだ。
嘗めたい。
吸い付いて、口の中で転がしたい。
その欲望がさらに自分のソレを限界に追い込んでいく。
彼女は達していないのに―――。
俺は気分を逸らすために、ベッド脇にある本棚を見つめた。
ずらりと並ぶ旧約聖書。
その奥に、金色の背表紙が見えた。
―――他にも本があったのか……。
それに目を凝らすことで、下半身に上がってくる快感と熱を逃がそうとする。
―――なんだ?あの本は……。
【ギリシア神話全集】
今思えば、これがーーーー
記憶も自由も無くした俺と、
自分の正体も知らずに羊飼いとして育てられたパリスとの、出会いだった。
ちょっと前まで夢なんて覚えていなかったのに、最近同じ夢を見る。
薄暗い工場。
水が垂れる音。
油と石鹸の匂い。
中央で誰かが泣いている。
あれは――――。
女性?
ポニーテールに髪の毛を結い上げた女性だ。
その顔は暗くてよく見えない。
女性が何か抱えている。
その華奢な身体より大きな何かを。
人間だ。
人間を抱き起すように女性が座り込んでいる。
―――お前が殺したんだ。
どこかで男の声が響く。
その声で初めて彼女は俺の存在に気付いたかのようにゆっくり振り返る。
その涙に潤んだ目が、わずかに漏れる外の光で銀色に光る。
男の声が再び響く。
―――この、人殺しが……!!
俺は目を開けた。
今日もそれ以上の進捗はなし。
新たな情報もなし。同じ夢だ。
あれは俺の記憶なのか?
思い出せない。
無理に記憶を引っ張り出そうとすると、途端に靄が掛かり、オリジナルの記憶、つまりは夢以上に創造してしまうためしないようにしている。
だが待てども待てども、この夢はこれ以上進捗しない。
彼女の顔もはっきりしないし、声の主もわからない。
そして彼女が抱えている、おそらくは死んでいる人物も……。
「―――俺が、殺したのか……?」
言葉にして声に出してみるが現実感がない。
そもそも人を殺して何かしようとするほどの激情が自分の中に存在したとは到底思えない。
―――とても辛いことがあったの。あなたにとって。だからあなたはそれを忘れないといけない。
彼女は言った。
辛いことがあった?俺に?
辛かったのは俺じゃなくて、ポニーテールの女じゃないのか?
―――忘れて、隠れて、生きていかなければならないのよ……。
忘れて、隠れて。
ポニーテールの女と、声の主の男。
彼らから隠れて生きていかなければいけないのだろうか。
「……………っ」
目の上あたりがひどく痛む。
俺は両手でそこを強く擦った。
何か思考を紛らわせるものを―――。
見回す。
と、先日彼女との情事の間際に目に入った本があった。
【ギリシア神話全集】
俺はヨロヨロと立ち上がると、本棚の奥からその本を引っ張り出した。
ドンとダイニングテーブルの上に置く。
埃はかぶっているものの、読み古された感じはない。
分厚く、重い。
全519ページ。
―――まあいいか。時間だけはたっぷりある。
俺は金色の文字を指でなぞった後、重々しい布表紙を捲った。