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ヨコハマの路地裏。中也の指先は、絶望的なほどに震えていた。
「……っ、嘘だろ……なんで、今……ッ」
喉の奥からせり上がる、焼けるような熱。心臓の鼓動が耳元でうるさく打ち鳴らされ、立っていることさえままならない。
これまで「欠陥品」と言われるほどに症状のなかった中也のΩ性が、溜め込まれた数年分を一度に爆発させたかのように、彼を内側から焼き尽くそうとしていた。
バッグの中をかき回すが、予備の抑制剤は見当たらない。視界は涙で滲み、肺に吸い込む空気さえも熱を帯びていく。
(抑えなきゃ……誰かに見つかる前に……ッ)
その時だった。路地の入り口に、見慣れた、そして今最も嗅ぎたくないはずの「香」を纏った影が立つ。
「おや……、こんなところで何をしているんだい、中也。野良犬と喧嘩でも――」
太宰の声だ。いつもなら激昂して殴りかかるその相手に向かって、中也の身体は、意識とは真逆の反応を示した。
太宰が放つ、冷たくも暴力的なまでに芳醇なαの気配。それが中也の鼻腔を突いた瞬間、空っぽだった身体の奥が、歓喜に震えて疼き出したのだ。
「……だ、ざい…………」
中也は、自分でも驚くほどか細く、湿った声を漏らした。
誇りも、確執も、すべてが熱に溶けていく。中也は膝をつき、縋るように太宰の方へ手を伸ばした。
「……たすけ、て…………っ、……だざい……ッ」
太宰の瞳が、一瞬で鋭く細められた。
彼はゆっくりと、獲物を追い詰める捕食者の足取りで中也に近づく。
「……へぇ。中也、君……。今まで隠していたのかい? それとも、今日まで目覚めていなかっただけかな」
太宰の手が、中也の熱い頬を包み込む。その指先が触れただけで、中也は「ぁ……」と短く鳴いて、自ら太宰の手掌に顔を擦り寄せた。
「あぁ、ひどい匂いだ。甘くて、とろけてしまいそうな……。……マフィアの重力使いが、こんな声を出すなんてね」
「……っ、……うるせェ……っ、……はやく、……薬…………」
「薬? そんなもの、もう効かないよ。……君が今求めているのは、そんなものじゃないだろう?」
太宰は中也の首筋、項の近くにある「腺」を、わざとなぞるように指を這わせた。中也は腰を砕かれ、太宰の胸に顔を埋める。
「……だざい、……おねがいだ、……くるしい……ッ、……なんとか、して…………」
半泣きで、プライドをかなぐり捨てて乞う中也。太宰はそんな中也を愛おしそうに、けれど冷徹な支配者の瞳で見下ろした。
「……わかったよ。助けてあげる。……でも、中也。私の助けは、抑制剤よりもずっと、君を壊してしまうよ?」
太宰は中也の後頭部を掴み、無理やり自分を見上げさせた。涙で濡れた瞳、赤く染まった頬、熱い吐息。
太宰は中也の耳元で、甘く、逃げ場のない声を落とした。
「……今日から、君は私の番だ。……一生、私の許可なしでは息もできないように、深く、深く刻み込んであげる」
太宰の牙が、中也の無防備なうなじに触れる。
中也は恐怖と、それを上回る圧倒的な快楽に身体を震わせながら、太宰のコートを強く掴んだ。
「……あ、……ぁっ…………だざ、い…………!!」
路地裏に、中也の切実な絶叫と、太宰の満足げな低い笑い声が溶けていく。
重力使いとしての「中原中也」が死に、太宰治という一人のαに身も心も捧げる「Ωの中也」が産声を上げた瞬間だった。
数時間後。太宰のマンションで、深い眠りに落ちている中也の首筋には、消えることのない深い歯型が刻まれていた。
太宰はそれを満足げに眺めながら、中也の指先を愛おしそうに舐め上げる。
「……やっと捕まえた。……もう二度と、君に『自立』なんて言葉は使わせないよ、中也」
初めてのヒート、初めての敗北。
中也が目を覚ました時、彼は自分が二度と太宰なしでは生きていけない身体になったことを、嫌というほど思い知らされることになるのだ。