テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
学園都市『キヴォトス』。 そこは、青春のきらめきと硝煙の匂いが混在する、異色の世界である。
この世界を根底から支える不可欠な要素、それが『神秘』という概念だ。
崇高論、恐怖と表裏一体、生徒の優劣を決定づけるという説まで、様々な憶測がまことしやかに語られている。しかし、それらは各々の主観に基づく推論であり、想像の域を出ない。
だが我々、ミレニアムサイエンススクールの大半を占める『科学的還元主義者』にとって、この混沌とした神秘の概念において、証明可能な事実が幾つか存在する。その内の一つが……。
ーー神秘は、損なわれてはならない。
この原則がある故に、キヴォトスの生徒にとって身体の欠損は、まさしく最悪の事態と見なされているのだ。
「……という学説が存在することは、先生も分かっているね?」
“うん、初めて知った”
「……やっぱりか。まあ外から来た先生なら、この事を知らないのも不思議な事では無いな」
シャーレの執務室。その部屋には、少し困惑した顔を見せるシャーレの先生。そして、深刻そうな顔のミレニアムサイエンススクール3年生、白石ウタハが向かい合って座っていた。
「今の話題は、度々ミレニアムで課題として出される難問の一つ、『神秘の構造解析』から派生された研究の一つだよ」
“つまり……神秘自体の解明じゃなくてそれの有する法則や因果関係ってこと?”
「飲み込みが早いようで助かるよ、先生。それなら本題に入りやすい」
ウタハは満足げに頷く。彼女の饒舌ぶりは、自分の得意分野について語れる喜びの表れだろう。しかし、先生の頭には別の疑問が浮かんでいた。ロボット工学の専門家である彼女が、なぜ畑違いとも言える『神秘』の分野にこれほど精通しているのだろうか。
“話を遮って悪いんだけど、どうしてウタハがその研究を?”
「……」
好奇心から発した純粋な問い。しかし、その一言はウタハの言葉をぴたりと止めさせた。彼女の視線がふと宙を彷徨い、その横顔に微かな陰が差す。
“あ、いや、変なことを聞いたなら……”
「いや、不意を突かれただけさ。先生の方から話を切り出されるとは思わなくてね。……そうだな、私がこの分野に足を踏み入れたのは2年前、まだ1年生だった頃だ」
“1年生の頃から……”
「ああ。2年前は……まさに波乱の時代だった。技術の進歩は留まることを知らず、傲慢に突き進んでいた。しかし光には必ず影ができるように、 空には雷鳴が轟き、血に濡れた羽が舞い落ちる。そんな時代だったのさ」
彼女は、具体的な出来事には触れず、ただ情景を描写することで過去を仄めかした。思い出すこと自体が、何か重いものを伴うかのように。
「私たちも、ただ無事でいられたわけじゃない。あの奔流に、否応なく巻き込まれて……」
途中までは、物語を読み聞かせるようにに淡々と語っていたが段々と言い淀んでしまった。
「……はは、すまない。やっぱりまだ不安なんだ」
“大丈夫だよ……どんな君でも認めるから ”
言わなくてももう分かった。冒頭の学説、そして2年前の出来事。これらは恐らく、彼女に深く関係した事柄なのだろう。
いつも自信に満ちて、自らの発明を高らかに「合理的で、精密で、そして簡易」だと語る彼女。その口からこぼれた「不安」という言葉は、俺の胸にずしりと重く響いた。
彼女が専門外の研究に手を出すほどの理由。それは、純粋な知的好奇心などという生易しいものではない。きっと、守りたいものがあったのだ。あるいは、失ってしまった何かを取り戻すためだったのかもしれない。彼女が追い求める「ロマン」の根底には、この2年前に経験した痛みが眠っているのだとしたら。
普段、彼女が見せるマッドサイエンティストのような探求心も、徹夜を厭わないその情熱も、すべてはこの過去に繋がっているのかもしれない。そう考えると、いつも頼もしく見えていた彼女の背中が、今は少しだけ小さく、そして儚げに見えた。
私は先生だ。生徒が壁にぶつかった時、道に迷った時、その隣で静かに寄り添い、支える。今、目の前の彼女が勇気を振り絞って重い扉を開けようとしている。ならば私がすべきことは、ただ一つ。彼女がどんな姿であろうと、そのすべてを受け止めることだ。
「……やっぱり先生は、優しいな」
私の覚悟を見透かしたように、ウタハはどこか諦めたように、それでいて少しだけ救われたように呟いた。
そして、意を決したように、ゆっくりと自身の右手へと左手を伸ばす。ぎこちない手つきで、黒い手袋の端を掴んだ。指先が微かに震えている。一瞬の逡巡ののち、彼女はゆっくりと、皮膚を一枚一枚剥がしていくかのように丁寧に、手袋を引き下げていった。
やがて、布地の下から現れたものに、私は息を呑んだ。
“……義手”
思わず漏れ出た私の声は、ひどく掠れていた。
「違うよ、先生。――義腕さ」
ウタハは静かに訂正すると、今度は右腕の袖を自ら捲り上げる。
彼女の指先から、手首を越え、肘の関節近くまで。そこにあったのは、温かな血の通う人の肌ではなかった。鈍い光を放つ金属のフレーム。神経パルスを伝達するためであろう、細いケーブルの束。関節を駆動させるためのアクチュエーターが、無骨に露出している。
それは、ミレニアムの最先端技術とはあまりにかけ離れた、一昔前の……いや、まるで修理の跡をあえて残したかのような、生々しく残酷なデザインの義体だった。
あまりに突然で、あまりに残酷な告白だった。
言葉を発することもできず、ただ彼女の金属の腕を見つめる私と、俯く彼女との間に、鉛のように重い沈黙が落ちる。執務室の時計の秒針の音だけが、やけに大きく響いていた。
その静寂を破ったのは、ウタハのか細く、震える声だった。
「……はは、すまないね。こんな醜い発明品を見せてしまって。失望したかい、先生?」
顔を上げた彼女は、乾いた笑みを浮かべていた。だが、その声は痛々しいほどに震えている。
「ミレニアムサイエンススクールのマイスターが、こんな不格好で……時代遅れのガラクタを付けているなんてね。滑稽だろう?」
それは、投げやりな言葉で自分を傷つけることで、相手から拒絶される痛みから必死に身を守ろうとする、悲痛な叫びだった。
予測していたはずの反応。それでも失望されたくない。その瞳の奥で渦巻く懇願と絶望が、ナイフのように私の胸に突き刺さった。
いくら信頼を寄せる者でも、いつかは失望されてしまうという考えがよぎってしまう年頃。その不安が、彼女から自信に満ちたエンジニアの仮面を剥がし、傷つきやすい一人の少女の姿を露わにしていた。
違う。 失望なんて、するはずがない。
私はゆっくりと立ち上がり、彼女が座るソファの前まで歩み寄った。俯いていたウタハが、驚いたように顔を上げる。その不安に揺れる瞳を、私はまっすぐに見つめ返した。
そして、ためらうことなく、そっと手を伸ばす。
びくり、と彼女の肩が震えた。私の手が、彼女の無骨な金属の指先に触れたからだ。冷たいと思っていたその感触は、不思議と冷たくはなかった。むしろ、彼女のこれまで背負ってきたものの熱が、静かに伝わってくるようだった。
“醜いだって? 失望したかって?”
私は、その指を優しく包み込むように握り、静かに語りかけた。
“冗談はよしてくれ、ウタハ。私には、これが今まで見てきたどんな発明品よりも……力強く、そして美しく見える”
「……えっ?」
“だって、これは君が2年間、戦って、生き抜いてきた証そのものじゃないか。血と涙と、そして君の魂が込められた……世界でたった一つの、最高傑作だよ”
これは、ただの慰めじゃない。心からの本心だった。 この腕は、彼女が何かを失い、それでも前に進むことを諦めなかった証だ。ミレニアムのマイスター、白石ウタハが作り上げた他のどんな発明品よりも、尊くて、気高い。
私の言葉に、ウタハはただ目を見開いて硬直していた。やがて、その大きな瞳の縁に、透明な雫がゆっくりと浮かび上がっていく。それは、長い間堰き止められていたものが、ようやく溢れ出した瞬間のように見えた。
「……ぐすっ……せ、せんせい……。私は……まだ君のことを信頼できていなかったようだ……」
“大丈夫。そんなに自分を責めることじゃないよ”
私は彼女の後悔に対し優しく慰めた。それがさらに脆弱な心を揺さぶってしまったのか、不意に私の胸元に飛び込み、生身の左腕と義体の右腕でがっしりと掴まれ、胸に顔を埋めてしまう。
彼女の涙は止まらず、むしろ激流へ変化し、枯れた呻き声と共に私のシャツにシミを作り出してしまった。
私は言葉をかけずに、そっと彼女の背中を撫でながら、そのまま存分に泣かせてやった。
どの物音も静まり、響き続いたのは、作り出した封鎖された羞恥の塊がやっと解放される音だった。
コメント
5件
曇りと思ったけど…晴れて良かった……想像したけど美しいなぁ…ハガレンのエドワード思い出した
うわぁ...ウタハ最近書いてるけどいいなこれ...自分なりに作るけどセンスありすぎですぜtakamagiさん