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「おい、地味女!」
「……」
「返事くらいしろよ」
お母さんが亡くなり、一人になった私は孤児院に預けられた。
家から持ってこられたのは、お母さんが刺繍してくれた白い布と、私が眠る前に読み聞かせてくれた一冊の本だ。
孤児院にいる子たちも始めは私に声をかけてくれたけれど、次第に無くなり、当番や勉強の時間が終わると、私は、みんなと外で遊ぶことなく、室内で静かに過ごすことが多くなっていた。
パチパチと暖炉の中で燃える薪の音を聞きながら、私は家から持ってきた本を開き、お母さんとの思い出にふける。
静かに過ごしたいのに、私に執拗に声をかけてくる男の子がいる。
私より少し高い背丈の黒髪の男の子、ルイスだ。髪と同じ色の瞳は、鋭くなっている。
「……なに」
私は本を閉じ、「地味女」と呼んだ少年を睨んだ。
「掃除ならみんなでやったし、宿題ならもう終わらせたわ。他に言いたいことがあるの?」
「お前、今日の宿題、ズルしただろ!」
「ズル?」
私とルイスは同い年で、この孤児院では年長のほうだ。あと二年もすれば、孤児院を出て、奉公先で働くようになる。
良い奉公先で働くには、最低限の教養がないといけない。
将来の為、勉強に励むのは当然の事だ。
「してない!」
「うそだ! お前、宿題出されてすぐに終わらせただろ? 先生に宿題の内容を聞いてたんじゃないのか?」
ズルをした、と難癖をつけてきたのは、時間のかかるであろう、文章の書き写しの宿題をすぐに終わらせたからだ。
私は、宿題を出されてすぐ教科書を開かずに、紙に文章をすらすらと書き、先生に提出した。事前に先生から宿題の内容を聞いていたのだろうと言われても不思議ではない。
「そんなことしてないわ。先生に確認すれば分かることよ」
「なら、どうしてすぐに宿題を終わらせられたんだよ」
ルイスは宿題の内容を私に突き付ける。
今日、先生から出された宿題は教科書の文章を書き写すものだ。
「教科書の内容、全部覚えてるから」
私がすぐに宿題を終えたのは、教科書の文面を全て覚えているからだ。本を一度読めば、その内容を暗唱できる。
「うそつけ!」
理由を告げても、少年は納得しなかった。
「なら、ここでやってみろ」
「じゃあ、一つだけ」
私は紙に書かれたページと行数を見た。ベッドの下の引き出しから筆記具を取り出し、教科書を開かずに文字を書く。
「終わったわ」
一文を書き終え、私はそれを少年に見せた。
ルイスは指定されたページを開き、私が書いた文章と交互に見ている。
「嘘だろ……」
ルイスは絶句していた。
「全部、覚えてんのか?」
「……ええ」
ルイスの問いに、私はこくりと頷いた。
見たものをすぐに記憶できる才能は、元々持ってたものではない。この才能を授かったのは、一年前、お母さんを刺し殺した犯人の顔を忘れるものかと必死になったからだと思う。
「ズルしてないんだな」
「そうよ」
ズルして宿題を終わらせたわけではないとルイスが理解してくれた。これで一人の時間に戻れると安堵する。
「本の内容全部覚えてんだったら――」
私の気が抜けている間に、少年は私が大切に持っている本を奪い取った。
「これ、いらねえよな」
「返して!」
ルイスは私から奪った本を頭上にかかげる。私は取り戻そうと手を伸ばす。つま先立ちになっても、本には届かなかった。
「返してってば!」
私は本を返してほしいとルイスに訴える。
「お母さんに買って貰った、大切な本なの!」
「嫌だね」
大切な本だと伝えても、返してもらえない。
私とルイスはじりじりと後ろへ下がり、暖炉のそばに来た。
「お願いだから、本を返して」
今までにない大きな声を出す。そして、私はぴょんと飛びあがる。
ルイスの頭上にある本の角に手が届くも、着地する時に前のめりになり、彼にぶつかった。
「あっ」
ぶつかった拍子に、ルイスの手から本が離れる。
離れた本は宙を描き、暖炉の中へ吸い込まれるように落ちた。
「ああっ」
私は暖炉から本を取り出そうと手を伸ばした。
大切な本は火が移り、素手では掴めない。
私は火を消そうと、バケツの水を暖炉に勢いよくかけた。
バシャと音がした後、火はすぐに消える。
私はすぐに本を拾う。
「本が、大切な本がーー」
火はすぐに消えたので、形は保っていたものの、角は焼け落ちてしまった。水で濡らしてしまったため、乾いたとしても、中が読めるかは分からない。
私はその状態の本を手にしたまま両膝をつく。
今はいない、お母さんに貰った大切な本。
その本がルイスにめちゃくちゃにされた。
私の中で寂しさと怒りがぐちゃぐちゃに混ざり合った感情は、涙となり、頬を伝う。
私は本を抱え、声を出して泣いた。