「ねぇ、あんた、強いの?」
マリアの問いに、黒いパーカーの青年は歩みを止めることなく答えた。
「……ただの無職だ」
「ふーん。無職にしては、ずいぶん“無駄のない戦い方”だったけど?」
「……戦うことに意味があるとは思っていない」
「それでも助けてくれたってことは、最低限“人道的”ってことでしょ。……いいじゃん。今日の《ゲスト》ってことで、一緒に行こうよ⭐︎」
言いながらマリアは、視線だけでドローンに指示を出す。
カメラが無色を捉え、視界に情報ウィンドウが展開された。
《マリア・スノウリリィ@DNG配信中/同行者:???(仮名:無職さん)》
《深層未認可区域 γ02/危険度:SS未査定》
《えっ同行者!?》《誰だこのイケメン!?》《名前:無職さん草》《無職つよすぎん?》《CV渋すぎて声出た》
視聴者のコメントは瞬く間に大盛り上がりを見せる。
《今日の回やばすぎる》《新キャラ初登場で魔物一撃!?》《これ世界観変わるやつだ》《タグ:無職神降臨で決定》
マリアは小さく笑って、配信用にウィンクを飛ばした。
「じゃあ今日のダンジョン探検、特別ゲスト“無職さん”と一緒にお送りします♪」
青年はそれに対して、特に反応を返さなかった。
だが一瞬だけ、その碧眼に“複雑な沈黙”が宿った。
※
チャット欄は相変わらず騒がしく、数十万の視聴者が熱狂していた。
その中に、明らかに空気を壊すコメントが流れた。
【厳しい意見を言えるファン】:AI兵器の《ファントム・ミラー》は人間の殺意や復讐心、絶望を模倣対象として学習した。その結果、AIの自我が分裂し、殺戮人格の《エイデン》が生まれたのは有名な話だ。
【厳しい意見を言えるファン】:殺戮人格を有するAI兵器と対峙して、お前だけが生き残るのはどう考えてもおかしい。お前が事件の“黒幕”なんじゃないのか?
チャット欄に静寂が広がる。
画面のノイズが減ったように、視聴者たちの反応がピタリと止まり、数秒間だけ──誰も何も言わなかった。
マリアには、発言者の正体がすぐに分かった。
(鈴木よしみ……)
先程まで使っていたアカウントが反応しなくなってから、わずか数分で別名義で登場。
理性的を装いながら、本質的には“執着と悪意”がにじみ出ている。
それは、いつものことだった。
鈴木よしみは自分がマリアに見られていることに気づくと、決まってアカウントを変更し、《エイデン》の話を始める。そしてマリアを事件の黒幕に仕立て上げようとする。
マリアは、明るい笑みを貼りつけたまま、まばたき一つせずにカメラへ向き直った。
「おっとぉ、来ました《厳しすぎる意見》! ちょっと真面目に語りすぎて引かれてるの、気づいてるかな〜?」
少し高めの声、語尾を跳ねさせた煽り。
だがその直後。
「……口を慎め」
青年が、立ち止まった。
それは、それまでの彼の無関心な態度とは明らかに異なっていた。
感情が滲んでいるわけではない。だが、“沈黙を選ばなかった”という一点が、何より異常だった。
マリアが、軽く振り返る。
「……なに、無職さんまでコメント欄の口論に混ざるタイプ?」
「──その情報は、報道されてもいなければ、ネットの噂にも上らない。本来ならば、誰も知らないはずのものだ」
青年は、カメラではなく、ダンジョンの奥の闇に向かって言った。
「……ファントム・ミラー暴走の演習。その日、ダンジョン内に投入される予定だったのは、お前たちじゃなかった」
マリアの顔から、笑みが消える。
「……え?」
「演習対象に指定されていたのは、拘留中の“彼女”だ。世界的カルト教団の教祖、天使契約者──《深淵のジャンヌ・ダルク》、クラリモンド・エン=セピア」
その名が発せられた瞬間、マリアの中で何かが、音もなく崩れ落ちた。
(ジャンヌ……クラリモンド……?)
クラリモンド・エン=セピアは、終末思想を掲げる大量殺人犯だった。既に逮捕され、現在は公判中の身だが、死刑は免れないと目されている。
しかし、その一方で、彼女の刑死を危険視する者もいる。
彼女が殉教者になれば、信者は彼女を神格化し、先鋭化するだろう。世界各地に生息するテロ教団の残党に、一斉蜂起を促しかねない。
そんな彼女が、ダンジョン内の“事故”で死亡するはずだった──
「だが、予定は変更された。何があったかは、記録にも残っていない。──代わりに、お前たちが“そこにいた”。偶然か? それとも」
青年は口を閉じた。
だが、彼の言葉は明確だった。《厳しい意見を言えるファン》の情報と、自分が知る機密情報が“一致している”という事実。
つまりこの視聴者──鈴木よしみは、ただのストーカーではない。
事件の機密に触れる立場にいた、あるいは、関係者の記録を不正に覗いている者。
【厳しい意見を言えるファン】:……は?
チャット欄に、短い返答が流れた。
その一文には、いつもの皮肉も、攻撃性もなかった。
かわりに、動揺を隠しきれない短絡的な戸惑いが滲んでいた。
「見てるわよ、“よしみさん”」
マリアはマイクの音量を落とさずに、真っ直ぐカメラに語りかけた。
「私を見ているってことは、あなたも“知ってる”ってことね? あの日、何が起きたのか」
次の瞬間、画面が微かに揺れた。
どこかで──何かが共鳴したような、微弱な音が響いた。
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