うなぎが食べたい。私は疲れて錘になった足を地面に突き刺しそうになりながらそう思った。
しかしうなぎを取り扱っている店などこの時間帯にはやっていないだろう。23時だから。窓の外の光もあまり見えない。ぽつりぽつりとある光はなぜか楽しそうで苛立った。
それでもうなぎが食べたい。安くてほとんどうなぎの味がしない者でもいいから。けれどアナゴは妥協できない。うなぎとは違う。
この時間にやっている店といえばコンビニだけだ。ふと思ったが、コンビニはうなぎ丼などを売っているだろうか。
この錘の足をそこまで動かしたくない。けれどうなぎのためならしょうがないだろう。私はシャツからTシャツとジャージを着て、暑すぎる外へ出かけた。
私はゆっくり靴紐を結んだ。固結びをしてしまった。
時間がかかっても良いのは楽なことだ。そして自分にしか迷惑のかからないことも楽なことだ。この二つを満たさない仕事というものは社会から消えてほしい。
けれど働かなければうなぎも買えないし、きっと酷い死に方をするのだろう。仕事で少しは得た達成感も味わえないなんて。なんだか惨い。
しかし達成感なんてモノは全く思い出せないものだ。最近どんなもので達成感を得たのかさえ忘れてしまった。きっとその達成感を得た時は心が震えていたのだろう。けれど今になって思い出せないなんて達成感とは薄っぺらいモノだ。
達成感は人にとって良いモノだが、思い出せないということはあまり意味がないということではないのだろうか。ただ、私が薄情なだけかもしれないが。
達成感と楽しかった思い出や、嬉しかった出来事も似ている。どちらも良いモノで、忘れやすくて。それなら良い夢もそうかもしれない。
なら、悪い思い出や失敗した出来事や悪夢はその逆なのではないだろうか。悪いモノで、頭にこびりつくように覚えていて。
しかしそれが人間に功を奏すことも多い。失敗は成功のもととよく言うだろう。そんな言葉は勝ち誇っている感じで自分では言いたくないが。
もしかしたら、悪いことをして反省したら良くなり、良くなった思い出を忘れると、悪いことも同時に忘れられるのかもしれない。なんて便利なんだろう。
しかし私は悪かったことをたくさん覚えている。良かったことは覚えていないのではなく、そもそもなかったのだろう。酷い結論だ。
私は捨てられた缶を蹴った。しかしすぐにその缶を拾い、ゴミ箱に捨てた。この良心が役立たないものか。
大学生だろうか、楽しそうに騒いでいる声が聞こえる。
こうやって群がっているのは憧れる。いや、嫌なのだろうか。あまりなったことがないからわからない。
小学生の頃は友達が多かったが、中学生あたりになるとすっかり消えてしまった。別にいなくても話せるなら良いと思った。
別にいじめられることもなく、変な目で見られることもなかった。余計に友達の利点を感じられなかった。しかし、友達がいない人の利点も感じられなかった。
私が人と楽しく酒を飲んでいるのを想像した。そんなことできそうにもないが。おそらく、仕事のことや最近のニュース、誰かとの付き合いの話でも聞くのだろう。
聞く側なのはよく想像できた。けれど自分が話している姿が想像できなかった。これでは人と付き合うことができない。
いや、話さなくても友達だとわかるのだろうか。あれを話したいだとか、こう考えているだとか。それが全人類が全人類とできたらきっと楽だ。
友達の定義もよくわからなくなってきた。そんなこと考えるやつは友達なんていなくてもいいのだろう。
ようやくコンビニに着いた。明るい光が目を突き刺す。目に染みる。
アナゴ弁当があって一瞬とても焦った。うなぎがないかと思った。しかし、うなぎ弁当もしっかり居た。アナゴ弁当より少し小さかったが。
レジへ進む。なぜか緊張した。
会計が終わった。コンビニのレジは仕事が早くて尊敬する。私もテキパキ動ける人になりたい。
自動ドアが勝手に開いてくれるのはありがたい。ドアより自分の方が上になった気分になれる。
ああ、ドアだけではなくて世界中のどんなものより上の存在になって深々と礼をさせてみたい。そんなことあったら大変だが。
会計は緊張する。相手が好きな人というわけではない。むしろ知らない人だ。それが嫌なのだ。
いつも私は会計をするときは商品のように品定めされている気分になる。会計に出したものより大切にされている優越感なのだろうか。
相手にどう思われているかはあまり考えられない。思春期あたりからそうなるらしいが、その頃友達がいなかったから鈍感になってしまったのだろうか。なんか残念だ。
それは仕事場でも考えることがある。無愛想だと思われているか、変な奴だと思われているか、怖い奴だと思われていないか、頭の中が見られていないか。
そんなことを考えて放心していたらもっと良くないだろうと今思った。きっと今気づいたのは遅かっただろう。
相手がどう思っているか考えるのは頭の探り合いみたいだ。実際に将棋や囲碁もそんなものなのだろう。やったことがないから想像だが。
一手先を、一手先を、と忙しなく考えるのは大変なのだろう。頭の探り合いも大変なのだろう。
これを予想しているだけの私はきっと誰のことも考えていなかったのだろうな。明日親孝行の方法でも考えなくては。
道端に人が寝ていた。きっと酔いつぶれているのだろう。放っておいた。関わりたくない。
うなぎはアナゴよりも柔らかい印象がある。どちらも濁点がつくのは同じで、似てある魚だが。「ゴ」がいけないのだろうか。
安心感とは人に大切なことだ。これは私でもわかる。よかった。
親も安心感がある。きっと人生の途中で関わらなくなっても顔を見たら安心感があるのだろう。子供から記憶を植え付けられているからだろう。わからなかった。
家に着いた。これが安心感だ。
手を洗い、机の上にうなぎ弁当を置いた。23時30分だった。時間が経っていた。
念願のうなぎ弁当。箸を用意して食べ始めた。頭が軽くなった感覚がある。
考えていたことが消費された感じだった。うなぎはすごい。とてもだ。
色々と考え込んだ夜だった。溜まっていたモノが消えてスッキリした。これを人に言えばもっと清々しくなるだろうか。
食べ終わった弁当の箱を捨て、軽くシャワーを浴びた。
明日も働いて働いて、疲れて、帰って。
眠たくて何もなくなった感覚がする。もう寝る。
おやすみなさい。
あとがき
なんだか疲れて書いた感じだった感じで。
…深い意味はありませんよ。
ここまで読んでくださりありがとうございました。疲れたみなさんにわーって響いたらわーって喜びます。
…年齢層が違うかもしれませんが。
ふざけてますね。ではありがとうございました。こんな感じの話がお好きでしたらいいねお願いします。
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