コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
壱道が無言で髪を掻き分け、耳につけたイヤホンを取ると力なく床に投げつけた。
そうか、たまに変な独り言が入ったのは、みんなと交信していたのか。
「壱道さん」
項垂れたままの小さな背中に話しかける。
「あの、本当に申し訳ありませんでした」
暫しの沈黙の後、
「言ったはずだ。あれだけの限られた情報であそこまでたどり着ければ大したもんだと」
壱道が振り返った。
「こちらこそ悪かった。お前までをも騙すような真似をして。いくつか説明してやる」
ダイニングテーブルに腰掛け、琴子にも促した。二人は再び正面に座った。
「はじめにどうでもいいところから。中学校云々の話だが、俺の出身校は確かに松が岬東中学だが、三年の二学期までは金池中に通っていた。だからお前に話した内容も嘘ではない」 「転校?」
「クラスも違うし、俺たちに面識などなかった。ちなみに櫻井を当時助けたという生徒は、|新野雅行《にいのまさゆき》。東京都板橋区在住で、中学卒業後は一度も会っていないそうだ」
琴子は自分の捜査の浅さに赤面した。
「もう一つ、お前が心配している杉本鞠江だが、警察の監視のもと、ホテルの一室で保護している。
先ほど二階堂さんに筆跡鑑定依頼した箱と送付状が、彼をおびき寄せ、自供を促す最終手段だったため、持ち主にまで身の危険が及ばないように匿った」
「最終手段?」
「二階堂さんは、事件の物証を鑑識するなかで、あのカードの存在を初めて知り、陽菜の字も見た。
病室でエリカのオーブを見たことがあった彼は、カードがここにあるということは、箱とオーブはどこに行ったのか心配だったはずだ。
カードは和紙で指紋は取れなかったが、オーブは違う。
ガラスの表面には陽菜の指紋がくっきりついているだろうからな。
それだと思わせて、杉本鞠江の家に届いた別のオーブをあたかも陽菜のもとにあったエリカだと思わせることで、二階堂さんにアクションを起こさせた」
「エリカだと思わせる?実際は違うんですか?」
琴子は首を捻る。
咲楽が作ったオーブシリーズは、ナデシコ、ラベンダー、グラジニウム、エリカの4つであるはずだ。
「じゃあその箱に入っていたのは?」
「スノードロップという花だ。咲楽が杉本鞠江にあげるためだけにごく最近作られたオーブだ。その存在を知るものは当人以外にいない」
「だからエリカに違いないと思った二階堂さんは、リスクを犯してまでこれを取り返しにきた」 整理しながら思考を繋げる。
「そしてそのリスクは低ければ低いほどおびき出すのに都合がよかった。だからお前の言うとおり形だけ人払いをする必要があった」
「じゃあ庄内で死体が上がったという情報は」
「彼が流したものだ」
ちなみに、と言いながら頬杖をつく。
「ピエロが林だと気づいたのは正直驚いた。だが初めからじゃない。アルファードで襲ってきたピエロは、確かに俺たちを本当に殺そうとして襲ってきた別人だ」
なんと。ピエロは二人いたのか。その可能性は考えなかった。
「それが岡崎組幹部の塩野芳樹。お前が横山の取り調べをしてる時分に、病室に乗り込んできた」
「え?そんなの聞いてないんですけど」
「危ないところで狭間が駆けつけ、現行犯逮捕した。聞けばお前が電話で忠告してくれたらしいな」
弱く笑う。
「捕まえた塩野は、先の岡崎組のガサ入れを、警察にリンクしたと組の人間に疑われるのを恐れていたらしい」
「岡崎組?警察にリンク?」
「先程も言ったが、塩野は、二階堂陽菜と付き合っていた」
「ーーーそれじゃあ」
「あいつはどうしてもそれを隠したかった。だから陽菜の自殺未遂事件について、調べてほしくなかったんだ。
病院をうろついて間に、ドアノブを持ちながら科捜研にいくために大学病院内をうろつく俺を見てしまった。
あいつは岡崎組幹部だ。元々二課にいた俺の顔は知っている。
さらに“自殺事件について調べている刑事”と電話で問い合わせて、俺の名前が出た。
だからあいつは、俺を消せばその事件について調べる人間がいなくなると安易に考え、襲ってきたんだ」
回収しきれていなかったピースがどんどんはまっていく。
「林は、俺が提案した交換条件を飲み、ピエロのマスクを被り、タイミングをみて廊下に飛び出した。そこからはお前も知っての通りだ」
もうすでにあの時点で、自分以外はみんな知ってるいたのか。
琴子は目を細めて、狭間に言った暴言を反芻し赤面した。
「どうしてそこまでして、私に真実を隠したかったんですか」
「俺がいないわずかな間に、感情に任せて暴走した捜査をしたお前を見て、今回の慎重を極める作戦に、お前を混ぜるのは躊躇われた」
ぐうの音も出ない琴子を見て、壱道は小さく息を吐いた。
「というのは表向きの理由で、本当は、内輪の人間が犯人だった場合、お前の精神にどれほど耐性があるかわからず、俺の判断で事件から外した」
何とも言えない感情で、胸と顔が熱くなる。
「だが先程の俺への追い詰め方を見る限り、要らぬ心配だったな」
笑いながら頬杖をつく。
「ちなみに、先にそれを勧めたのは狭間だ。お前と二階堂さんは、デキているからと」
「はあ?」
琴子は呆れ、手で目を覆った。
芽生えた罪悪感も吹っ飛ぶ。
「署内で二階堂と逢瀬を重ねていたと言っていたが」
「逢瀬って。二階堂さんとお話ししたのって数回しかありませんし、その話題って、ほとんど壱道さんのことだったと思うんですけど」
視線が落ちる。
「……壱道さん」
沈黙が続く。
普段通りにしているが、二階堂と壱道は、琴子が想像できないほど深い信頼関係で結ばれていたはずだ。
彼はどれほどの心の葛藤を乗り越えて、今日という日を迎えたのだろう。
「腹が減った」
突然、壱道は首をかくんと上げた。
「食うか」
ゴソゴソと二階堂が持ってきた菓子屋の袋を漁っている。
「え、食べるんですか?」
「なんだ、甘いものは嫌いか?」
「ーーー危険じゃないですか?」
「何が」
「だって、先程の話だと二階堂さん、力付くでオーブを奪うためにここにきたんですよね。その」
「ーーーあの人は毒なんて入れない」
言いながらドライアイスと共に入ったそれを明け始めた。
「ホワウドクラウドって知ってるか?」
「………塩シュークリームで有名らしいですね」
「よく知ってるな」
「いやいや、やりとり見てましたから全部」
包みを開け、食べ始めている。
「お前も食え」
一つを渡される。
二人はしばし無言で食べ続けた。
「塩シュークリームって本当に流行っているのか」
俯き加減でひたすら口を動かしている壱道が問う。
「そのはずですけど。でも正直、普通のカスタードの方が美味しいですね」
笑いながら顔をあげて、琴子は思わず言葉を失った。
俯いた壱道の顎から、幾つもの滴がこぼれ落ちる。
「同感だ」
雨はいつの間にか止み、部屋の静粛のなかに、壁時計の秒針音だけが響いていた。