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ヒルデガルドの出した条件にイーリスは頷き、ギルドへ向かう支度をすませ、アベルたちに留守を任せて家を出た。通知書が届いたらギルドで試験の内容について再度の説明を受け、何か問題が起きた場合でもギルドに責任を問わない誓約書を書かされる。昇級試験には危険が伴うので、本人の意思を確かめる必要があった。
ギルドのロビーでは既に多くのブロンズやシルバーランクの冒険者たちが集まっていて、受付のイアンが彼らの前で丁寧に説明をしている。
「──と、いうわけで今回の件はコボルトロードの目撃情報もありますから、ブロンズ以下の冒険者は大怪我のおそれがあるので、極力、戦闘は避けて下さい。シルバー以上の方々は見かけた場合、単独でなく協力での討伐をお願いします」
コボルトロード。コボルトたちを統率する破格の強さを持ったコボルト。大柄な体躯を持ち、戦斧や大槌を武器にしているケースが多く、かつ俊敏で、その脅威はホブゴブリンを凌ぐ。実力主義的で群れの中でも弱いコボルトを追い出したり、酷くなると殺害して食糧代わりにする場合もあるほど凶暴な存在だ。
「ヒルデガルドの本にもロードの名前を持った魔物に関連する項目があったよね」
「ああ。コボルトロードはその筆頭だ」
コボルトロードは群れを形成して頂点に君臨するが、その強さは群れに頼ったものでなく、群れが大きくなると単独でゴブリンの巣を襲撃して壊滅させて食糧にするほど圧倒的だ。非常に野蛮で、通常種よりも人間の言語を理解してはいるが、非常に好戦的なため対話を試みた魔導師が死亡した例もある。
「君より強い魔導師でも一瞬の油断であっさり命を落とす。それがコボルトロードという蛮族の強さだ。しかも目撃情報では通常よりも屈強なコボルトロードだとあったから、今回の昇級試験はそこそこ危険かもな」
ブロンズランクの冒険者なら、無理をすれば命を落とす可能性もある。魔導師見習いのイーリスが単独で戦える相手ではない。いくらヒルデガルドが一緒とはいえ、何が起きるか分からない洞窟では咄嗟に逃げる準備も必要だ。
「購買に丁度使えそうな魔道具が売っていたから、それを買ってから洞窟に向かうとしよう。はぐれたときに自分の身を守る手段がないと困るだろう?」
「そうだね。ボクも戦える相手とは思えないし……」
すべてヒルデガルド任せでは成長できないと考えたイーリスは、一度だけ相手の攻撃から身を守ってくれる〝退魔の首飾り〟を買った。小さな紫色に輝く宝石は魔力を込めると、いざという場面で機能してくれる。迷宮洞窟のような危険な場所では重宝され、値段もそれほどではないので冒険者のあいだでは人気の魔道具だ。
「準備はできたな。じゃあ私たちも遅れないうちに向かおう。せっかくだからコボルトロードがどうして迷宮洞窟をうろつくのかも調べたい」
魔物の行動について調べられるのは、世界のどこを探してもヒルデガルドくらいだ。いくらコボルトロードが強いとはいえ、彼女にかかれば片手間で仕留められる相手に過ぎない。ちょっとの期待が目を輝かせた。
迷宮洞窟は町の西側から少し進んだ場所に位置する遺跡にある。貴重な歴史が残っていて調査も進んでいないため、迷宮のように入り組んでいるのもあってか、魔物たちにとって都合のいい棲み処になっていた。
コボルトロードが出入りするようになったのは最近のことで、何か理由があるのではないかと疑った国からの依頼を受け、ギルドが調査及び討伐のために昇級試験として冒険者を集めていた。実際、討伐にはシルバーランクに相当する冒険者が数名もいれば多少の苦戦はあっても可能であると見立てたのだろう。
ヒルデガルドはそれをいささか危険な考えだと呆れた。
「昔、私も強力なコボルトロードを討伐したことがある」
御者台で揺られながら、彼女はぽつりと話す。
「当時、旅をしながら書き溜めた魔物の生態についての資料を一冊にまとめて世に出した頃、まだ詳しく調べ切れていなかった〝ロード〟と呼んだ希少種について調べようとして、コボルトロードのうわさを聞いて集落を探したときに出会ったそいつは、他のコボルトロードよりも遥かに巨大で強かった」
魔王を討ったあとの世で暮らす魔物の中で、ただ一体だけ、大賢者の称号を持つ彼女がはっきり「かなり苦戦した」と言えるほどの怪物。コボルトロードのなかでも別格だった。当時を思い出しながら彼女は複雑そうな顔をする。
「以前にも少し話題にあげたが、魔塔は知っているだろう?」
「うん。優秀な魔導師たちが集う、世界にただひとつの塔だよね」
「そうだ。そこにいた私の知り合いがよく調査を手伝ってくれた」
魔塔でヒルデガルドの存在を知らない者はいない。彼女が頼めば、どんな仕事でも手伝ってくれた。中でもマックス・セルキアという特に優秀な大魔導師の男がいて、魔物の生態調査には常について回っていた。
ただ、ひとつ難点があったとすれば、あまりにも過ぎた温厚な性格をしていたこと。ヒルデガルドと共に遭遇したコボルトロードが、通常よりも会話が成り立つと見るや、彼女の忠告も聞かずに『どんな暮らしぶりかを調べたい』と歩み寄ろうとして、戦斧のひと振りで殺されてしまった。
ひとりの大魔導師の死は瞬く間に人々の知れ渡るところとなり、不慮の事故によって死亡したといった話はイーリスも耳にしたことがある。
「……じゃあ、ヒルデガルドは目の前でそれを?」
「見たよ。助けようとしたが間に合わなくてね」
単身で討伐はしたものの、友人を救うには至らず、師を失ったときを振り返らせるほどの衝撃だった。だからか、今回のコボルトロードの目撃情報を知ったときは不安になった。イーリスを連れて行くのが怖かったのだ。
「いいか、イーリス。私の弟子なら、なにより生きることを最優先に考えてくれ。もう誰も失いたくはないからな」