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2005年 十二月二十四日
テキサス州ダラスの空港ターミナル内にあるピアノ・バーは、クリスマスの電飾で飾られている。店員はサンタクロースの格好をしながら、オーダー取りに忙しい。窓の外の、飛行機はひっきりなしに離着陸を繰り返している。
フロリダ行きの四人グループを見送ったあと、次の飛行機が遅れている都合で、二十分ほど時間が空いた。
マシュマロ入りココアを注文すると、今朝郵便受けから取ってきた手紙を開封した。エバンスの旧友、デジュンからだった。
「今度ジョーン・クラスの同窓会をやります。会場はエバンスの『ジョーン・キャンピオン・ホール』です。知っていると思いますが、私達がよく集まったあの場所です。そこで、ケンタ君にピアノを弾いてもらいたい」
ジョーン先生は、奈津美が帰国してから半年後に亡くなった。学校側はカフェテリアに、先生の名前を付けた。
「話してなかったですが、ジゼルと結婚しました。先週、二人目の子供が生まれました」
そのうち遊びに行くと言ったまま、L.A.にご無沙汰になっている。彼らが親になっている現実が、未だにしっくりこないままでいる。
「アレシオの消息が分かりません。招待状は宛先不明で戻ってきてしまいました。どこへ引っ越したかご存知でしたら、教えてください」
あれだけ仲のよかった友達だったが、いつしか音信が途絶えてしまった。もしかしたら国に帰って、イタリアのどこかのバーでピアノを弾いているかもしれない。
「ナツミの日本の家に電話しました。残念ながら今回は参加できないそうです。君によろしくと言っていました」
ロサンゼルスを離れたのは、ピアノばかりが理由だとは言えない。ニューオリンズではいくつかのバンドに参加させてもらい、一時はアジア出身の異色のピアニストとして地元の新聞に取り上げられたこともあった。CDもローカルながら三枚ほど出したが、今はテキサス州ダラスに移って日系旅行会社に勤めている。
あれから年月が経った。この間、何度も地獄を見た。何度も夢を見た。今はどうにか元気でやっている。
今もクローゼットを開けると、奈津美が残していった赤い帽子があるし、直してくれたジーンズがある。
そして、俺は今日もあの愛を忘れずに生きている。