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由樹は緑色のレースのシートが被せられた時庭展示場を見上げた。
向かって右側からは、青色の重機が入ってくる。
それと時庭展示場を交互に見上げると、目頭が熱くなってきた。
玄関に油圧ショベルが入る。
『ようこそ。セゾンエスペース、時庭展示場へ』
篠崎の顔が浮かび、由樹は軽く頭を下げた。
ホールも音を立てて抉られる。
『全部覚えろ。あとでチェックするからな』
由樹は小さな声で、「はい」と囁いた。
和室がむき出しになる。
『吸収すべきは、“お客様の話”だ』
「……はい!」
長い廊下が崩れていく。
『良い営業というのは、“俺が客なら、俺を選ぶ”と言い切れる営業だ』
「精進します!」
事務所が潰されていく。
『お前ムカつくんだよ。こんないい男に興味ないとはどういうことだ』
「……ずっと……、ずっと………」
由樹はこらえられず涙を流した。
「好きでした。篠崎さん………」
「バーカ」
背後から響いた声に由樹は振り返った。
「そういうのは……本人に言え!」
息せき切って駆けつけた篠崎が、膝に手を当てながら、由樹を見上げていた。
「勝手にいなくなるなよ!お前は!!」
「あ、すみません」
由樹は慌てて手で涙を拭った。
「メールは入れておいたんですけど」
「うるせえ」
篠崎は身体を起こすと、由樹を見下ろした。
「こっちは朝起きてお前がいないのが軽くトラウマなんだよ」
「えっ……」
思わず頬を赤色に染める。
「だから、な?黙っていなくなんなよ」
篠崎の手が由樹の赤い頬に触れる。
「あーほら。やっぱり躯体腐ってねぇな」
後ろから乾いた声が聞こえてきた。
「断熱材も経年劣化してませんね」
冷めた声も響いてきた。
二人揃って振り返ると、紫雨と林がカメラ片手に立っていた。
「ちょ、どいてくれる?邪魔だから」
紫雨が二人の間から突き放すように前に進む。
「……てめえ」
篠崎がその後頭部を睨むと、彼は振り返らないまま言った。
「何、感傷に浸ってんすか。たかが展示場1個壊されるだけで」
「たかがって……」
由樹も呆れながら元上司を見つめる。
「1個新しいのが建てば、1個壊されるのは、自然の摂理でしょう?」
紫雨が振り返って二人を睨む。
「ぶっ壊したんだから、ただ前に進めばいいだけだって言ってんですよ」
「…………」
「篠崎マネージャー」
篠崎がその言葉の意味を考えようとするのを、言った張本人が遮る。
「ヤオクビ展示場でもガンバッテクダサイネ。オーエンシテマス」
「ヤオザキだ。馬鹿」
篠崎がその顔を睨む。
「さっさと行ってください。撮影の邪魔なんで」
林もカメラから目を離して二人を睨む。
「けっ。こいつらは………」
篠崎が睨むと、由樹は笑った。
「じゃあ行くか。新谷」
「はい!」
二人は荷物を積み込んだアウディに乗り込んだ。
「雪用の長靴買わなきゃですよね」
由樹がシートベルトを締めながら篠崎を見上げる。
「雪降ってからで十分だろ、そんなん」
篠崎もシートベルトを引っ張りながら由樹を見下ろす。
「まず買うべきは………キングサイズのベッドだ」
「………っ!」
アウディーは出発した。
時庭ハウジングプラザに咲き誇った桜の、ピンク色の絨毯を巻き上げながら………。