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秋の風が、ゆっくりと墓地を吹き抜けていく。
夏の暑さをを少しだけ残した風だったで、頬に触れる感触はどこかやわらかかった。
私は、小道の砂利を踏みしめながら、彼の眠る場所へと向かう。
両手には、小さな紙袋を抱えて。
その中には、どら焼きが一つ。
私の、大好きなどら焼き。
墓石の前に立ったとき、胸の奥が、きゅっと締めつけられるような感覚がした。
彼の名が、丁寧に刻まれている。
指先で、そっとなぞった。
冷たい石の感触が、じわりと指に伝わる。
私は、そっとしゃがみ込んだ。
そして、袋からどら焼きを取り出して、墓前に供える。
「……やっぱり、これになっちゃった」
小さな声で、ぽつりと呟いた。
そして、彼に向かって、苦笑いを浮かべる。
「また、これかよって言われちゃうかな」
昔から、よく言われた。
「甘いものばっか食べて、虫歯になんぞ」
「いや、またそれかよ。本当好きだな」って、半分呆れたように笑って。
でも、結局は、ふたつに割ったどら焼きを、無言で差し出してくれた。
あのときのぬくもりも、表情も、ちゃんと覚えている。
秋の匂いを含んだ風が、供えたどら焼きの甘い香りをふわりと運んでいった。
それを見ていたら、不思議と胸の奥がじんわりあたたかくなった。
「……今日も、遅刻しそうだったんだよ」
話しかける声が、少しだけ震える。
だけど、私は笑った。
「でも、ちゃんと学校にも通うようになったよ。」
「それに、今は受験に向けて勉強してるんだよ。」
私が勉強なんて、信じられないよねと、苦笑しながら。
小さな報告。
でも、それは私にとって、とても大きな一歩だった。
あの日、彼が守ってくれた命。
私は、あれから何度も立ち止まりそうになった。
世界のすべてが色を失って、歩く理由も、未来の意味もわからなくなった。
けれど、あの日、送り堂で。
最後に、彼と交わしたあのぬくもり。
風に溶けた、彼の最後の笑顔。
全部が、私を前へ押してくれた。
私は、静かに目を閉じた。
―もう、大丈夫だよ。
心の中で、彼にそう伝えた。
たぶん、これからも、簡単な道じゃない。
彼がいない寂しさも、ふいに押し寄せる悲しみも、きっと何度も私を立ち止まらせるだろう。
だけど、それでも。
私は、生きる。
彼と出会ったこと、彼が私にくれた日々を、無駄にしないために。
手を合わせ、深く頭を下げる。
風が、やさしく髪を揺らした。
ふと、顔を上げた先。
墓地の向こう、青く澄んだ空に、ひときわ輝く星が一粒、昼間の光の中に瞬いている気がした。
きっと、彼だ。
どこかで見守ってくれている。
私は、にっこりと微笑んだ。
「また、どら焼き持ってくるね」
そう言って、ふわりと立ち上がる。
立ち上がった身体は、少しだけ心細く揺れたけど、すぐにしっかりと重心を取り戻した。
背筋を伸ばして、私は歩き出す。
振り返らない。
でも、忘れない。
胸の中に、彼の笑顔とぬくもりをちゃんと抱いたまま。
小道を一歩ずつ進むたびに、少しずつ、世界の色が戻ってくる気がした。
きっと、また何度でも泣くだろう。
でも、泣いてもいい。
それでも、前を向くって、私が決めたから。
秋の風が、背中をそっと押してくれる。
私は、青い空を見上げた。
どこまでも続いていく空の下で、
新しい一日が、静かに始まろうとしていた。