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目が覚めると、そこは清潔すぎるほどに白い保健室だった。ポピーはゆっくりと上体を起こし、重い頭を押さえた。視界の端に、ミス・サークルとミス・ブルーミー、そして保健医のミス・サシャが立っているのが見える。彼女たちは、自慢の「優秀な生徒」に起きた不測の事態を案じているようだった。
「気がついたかしら、ポピー。実験中に突然倒れるなんて、あなたらしくないじゃない」
ミス・サークルが、いつになく穏やかな、しかしどこか威圧感のある声で尋ねる。ミス・ブルーミーも、カッターナイフの手を止めて彼女をじっと見つめていた。
「……ごめんなさい、先生。少し、考えすぎてしまったみたい」
ポピーは即座に知性を働かせ、脳内にある「被検体」としての凄惨な記憶を、心の最も深い場所へと押し込めた。呼吸を整え、いつもの冷静な転入生を演じる。
「さっきのは、その……一種の心的外傷後ストレス障害、PTSDの症状だと思うわ。自分でも驚いたけれど、あんなに激しく出るとは思わなかった」
「PTSD? 何が原因でそんなものになったの?」
ミス・サシャが手帳を広げながら問いかける。ポピーは一瞬の迷いも見せず、事前に構築した「嘘」を口にした。
「以前いた場所で、大きな事故に巻き込まれたことがあるの。爆発を伴う大規模な建物の崩壊よ。実験室の鋭利な器具や、薬品の匂いが、その時の光景をフラッシュバックさせてしまったみたい。……優秀な成績を維持しようと自分を追い込みすぎて、精神的な許容量を超えてしまったのかもしれないわ」
「事故、ね……。確かに、あれほどの知能を持つあなたがパニックを起こすのだから、相当な経験だったのでしょうね」
ミス・ブルーミーは納得したように頷いた。彼女たちにとって、ポピーは「満点を取り続ける稀有な才能」であり、失うには惜しい存在だ。その才能が一時的な過去のトラウマで揺らいだのだとしても、それを克服し、再び完璧な生徒に戻ることを期待していた。
「いいわ、ポピー。今日はもう休みなさい。優秀なあなたには、最高の状態で授業を受けてもらいたいもの」
ミス・サークルが、巨大な手でポピーの頭を優しく――しかし、逃げ場を塞ぐような力強さで――撫でた。
「ありがとうございます、先生。次は、もっと完璧にこなしてみせるわ」
ポピーは愛想よく微笑んだ。その瞳の奥に、決して誰にも見せてはならない地獄の記憶を隠したまま。
教師たちが保健室を去り、重い扉が閉まると、部屋には静寂が戻った。
ポピーは白すぎる天井を見つめながら、小さく息を吐き出した。その手はまだ微かに震えている。脳裏をかすめたのは、実験室の惨劇ではなく、もっと遠い、温かかった日々の記憶だった。
「ルードヴィヒ……。それが私の名字」
彼女は誰にも聞こえないほどの小さな声で、その名を唇に乗せた。
エリオット・ルードヴィヒ。かつて彼女を愛し、誇りに思ってくれた優しい父親。彼と共に過ごした時間は、今やこの「紙の世界」よりもずっと遠く、おぼろげな幻のように感じられる。
だが、その追憶はすぐに、どす黒い怒りへと変貌した。
「パパを死に追いやり、会社を……私たちの場所をあんな地獄に変えた奴ら。私は絶対に許さない」
彼女の瞳から温度が消え、鋭利な憎悪が宿る。会社を乗っ取り、自分を人形に変え、人間としての尊厳を奪った者たちへの復讐心。それが、今の彼女を動かす真の動力源だった。
ポピーはベッドから降り、鏡の前に立った。そこに映るのは、かつての小さなプラスチックの人形ではなく、160センチの背丈を持つ一人の少女だ。
「私はポピー。ポピー・ルードヴィヒという一人の人間として、ここで生き抜いてみせる」
この異常な学校、FPEの世界で、彼女は「完璧な生徒」という仮面を被り続けるだろう。だが、その内側にある真の名前を他人に明かすつもりはない。
「……でも、外ではただの『ポピー』でいいわ」
彼女はグラブパックを背負い直し、鏡の中の自分に冷徹な微笑みを向けた。父親からもらったその知能を武器に、ルードヴィヒの誇りを胸に秘め、彼女は再び、白と黒の学び舎へと戻っていった。