テラーノベル
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《フロリダ・ケープカナベラル宇宙軍基地/アストレアA発射施設》
巨大な組立棟のシャッターが、
ゆっくりと閉まりかけていた。
白いフェアリングの中には、
人類初の「小惑星偏向機」アストレアA。
機体の側面には、小さく各国の旗と
「PLANETARY DEFENSE」の文字。
ヘルメットをかぶったエンジニアが、
タブレットを見ながら確認する。
「ペイロード固定完了。
分離ボルト、トルクチェック異常なし。」
「姿勢制御スラスタ、
最終出荷試験クリア。」
「機体質量、予定値プラスマイナス0.2%。」
英語と数字が飛び交う。
それは、祈りとは違う種類の「呪文」だった。
監督官が、
ゆっくりと全体を見渡して言う。
「よし……今日で、
“人間の手で触れる作業”は終わりだ。」
「この先は、
ロケットとコンピュータと、
そして宇宙の仕事になる。」
若いエンジニアが、
フェアリングを見上げながら小さく呟く。
「……お願いだから、
ちゃんと飛んでくれよ。」
隣の同僚が苦笑する。
「科学の現場で“お願い”とか言うなよ。」
「いいだろ、
5日前くらいは。」
その会話を、
少し離れたところで
PDCOの担当官が黙って聞いていた。
(そうだな。
この期に及んで、
“数字だけ信じていられる人間”なんて
どこにもいない。)
基地の外では、
打ち上げ当日に向けた
警備ルートのテープが
黙々と張られていく。
《JAXA/ISAS 相模原キャンパス/プラネタリーディフェンスチーム室》
壁の時計は、
夜の九時を少し回っていた。
白鳥レイナは、
オンライン会議を終えたばかりの画面を閉じる。
「CNEOS、ESA、
全部“Go”ね。」
誰かが尋ねる。
「観測データの更新は……?」
「Day58のセットで“凍結”。
これ以上細かく動かしても、
ミッションシーケンスの方が追いつかない。」
「つまり……」
「“あとは飛ばすだけ”。
そういう段階。」
部屋の隅では、
美星スペースガードセンターからの
最新の星図プリントが
まだ温かいまま積まれている。
若手職員が一枚手に取り、
オメガの位置に小さく丸をつけた。
「5日前の“敵の座標”ですね。」
「敵って言うと、
なんかゲームみたいね。」
レイナは肩をすくめる。
「私たちにとっては、
“計算対象”であり、
“自然現象”であり、
そして……少しだけ“怖いもの”よ。」
机の上には、
小さな紙切れ。
<アストレアA安全祈願>
ぎこちない字でそう書かれている。
「それ、誰が書いたの?」
「美星の職員の子の、妹さんだそうです。
“お姉ちゃんたちの仕事がうまくいきますように”って。」
レイナは、
紙切れをそっとホワイトボードの端に貼った。
「じゃあこれは、
公式には“教育機関からの応援メッセージ”ってことで。」
部屋に、
小さな笑いがこぼれる。
(プラネタリーディフェンス。
大げさな言葉だけど——
実際守ろうとしているのは、
こういう字を書く子どもたちの
日常なんだよね。)
《総理官邸・執務室》
夜の官邸。
サクラの前には、
一枚のタイムテーブルが広げられていた。
<Day55 アストレアA打ち上げ当日
日本時間スケジュール案>
藤原危機管理監が説明する。
「打ち上げ約一時間前に、
官邸地下の対策室入り。
NASA TVと国際回線で
リアルタイム映像を受信します。」
「同時に、
国内テレビ各局には
“数分遅れのディレイ映像”を
提供する形でどうかと。」
中園広報官が頷く。
「万が一、
打ち上げ直後に重大なトラブルが起きた場合、
“その瞬間”を
ノーカットで全国放送するかどうかは、
とても重い判断になります。」
「数分のディレイを置くことで、
最低限の情報整理だけは
こちらでできます。」
サクラは、
タイムテーブルの隅を指でなぞりながら言った。
「“世界と一緒に祈りたい”って人もいるし、
“ショックが強すぎる映像は見たくない”って人もいる。」
「全部には応えられないけど、
せめて“準備不足だった”とは
言われないようにしておきたいわね。」
藤原が、
別の紙を差し出す。
「打ち上げ成功時と、
万が一の失敗時。
それぞれの“第一声”案を
用意しました。」
サクラは沙羅のように目を通し、
小さくため息をついた。
「……こういうの、
本当は読みたくないんだけどね。」
「でも、
読まずに迎えるわけにもいかない。」
窓の外には、
国会議事堂のライトアップ。
(5日前。
世界中の視線が、
“あのロケット”と、
その向こうのオメガに集まっていく。)
(その時、
日本は何をしていたか——
何十年後にも必ず問われる。)
「“見ているだけ”には、
ならないようにしないとね。」
誰にともなく呟いた言葉に、
藤原と中園が
小さく頷いた。
《都内ファミレス・深夜/黎明教団・非公式集まり》
窓際のテーブルに、
飲みかけのドリンクバーのグラスが四つ。
フードメニューは、
とっくに下げられている。
男女四人。
全員二十代くらい。
テーブルの真ん中には、
スマホが一台、画面を下向きに置かれていた。
「……で、“もっと深い部屋”って
本当にセラ様も見てるの?」
フード付きパーカーの青年が問う。
メガネの女性が小声で答える。
「直接名前は出さないけど、
“光を守るための具体的な行動を考える場”って。
モデレーターの一人が、
配信スタッフだって噂もある。」
スーツ姿の男が、
ストローをいじりながら口を挟む。
「種子島まで行くのは、
現実的じゃない。」
「仕事もあるし、
お金もそんなにない。」
「でも、
相模原か大使館前なら行ける。」
パーカーの青年が言う。
「“ロケットの前に立つ”って、
正直ちょっとワクワクしない?」
「歴史に残るかもしれないんだぜ。
“神の光を守ろうとした人たち”って。」
メガネの女性は、
眉をひそめた。
「……私は、
“ワクワク”って言葉は好きじゃない。」
「誰かが殴られたり、
警察に引きずられたりするかもしれないのに。」
「セラ様は、
“暴力は望まない”って何度も言ってる。」
沈黙が落ちる。
少し離れた席では、
普通の大学生グループが
レポートの愚痴をこぼしていた。
(同じ“5日前”なのに、
見ている世界が
全然違うんだな……)
スーツの男が、
テーブルに広げた地図を指でなぞる。
「ここ。
JAXA相模原の正門。」
「こっちが、
ニュースによく映る道路側の歩道。」
「公式チャットでは
“ロウソク片手に歌うだけ”って話だけど——」
そこで言葉を切り、
三人の顔を見回す。
「……本当にそれだけで
“止まる”と思う?」
誰も、
すぐには答えられなかった。
《地方都市・コンビニ店内》
夜勤のアルバイト高校生が、
レジ横の小さなモニターを眺めていた。
<アストレアA打ち上げまで、あと5日>
<あなたは、その瞬間なにをしていますか?>
ナレーションとともに、
空を見上げる人々の映像が流れる
CMのような特集。
店長が、
品出しをしながら声をかける。
「……お前は、
その瞬間何してたい?」
高校生は少し考えてから答える。
「バイト中、ですかね。
たぶん。」
「えー、
もっと夢のあること言えよ。」
「いや、
“いつもどおり”の方が
なんか安心するじゃないですか。」
高校生は、
レジを打ちながら笑った。
「“地球が助かるかどうか”の瞬間に、
ポテチ売ってるの、
ちょっと面白くないですか。」
店長も笑ったあと、
ふと真面目な顔になる。
「……そうだな。
誰かが宇宙で頑張ってる間に、
ここはここで
“普通の夜勤”回してるってのも、
悪くないかもな。」
自動ドアが開き、
冷たい夜風が少しだけ入り込んだ。
高校生は、
画面のテロップをもう一度見た。
<打ち上げまで、あと5日>
(5日あれば、
テスト勉強も、
友達とゲームも、
まだ普通にできる。)
(……そう考えないと、
やってらんないよな。)
彼は胸の奥のざわざわを、
レジの「いらっしゃいませ」に紛れ込ませた。
その日も、
オメガの軌道は変わらない。
変わっているのは、
世界中の「5日前」の過ごし方だった。
ロケットを仕上げる人。
軌道計算を締める人。
言葉を準備する人。
祈りの列を想像する人。
いつもどおりレジに立つ人。
それぞれの場所で、
それぞれのやり方で——
誰もが少しずつ、
“その日”に向けて
自分なりの準備を始めていた。
アストレアA打ち上げまで、あと5日。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.
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