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誰にだって、踏み越えられたくない一線がある。
聞かれたくない。
話したくない。
見せたくない。
隠し方がどうであれ、そこに触れられた人間は少なからず考える。
信用出来るだろうか、と。
この人に、話しても良いだろうか―――と。
そこにさらっと入るのが、俺のお仕事。
いかに怪しまれず懐に入れるか。
どれだけ本音を引き出せるか。
一線をこの手で消してしまったことなんて、1度や2度ではない。
俺はさぁ、ズルいから。
人のを見ても自分のは見せないつもりで。
どれだけ親しくなった人間にも、話さないつもりだった。
自分から話す気なんて、さらさらなかった。
踏み込んで欲しくなかったから。
ごめんね。
最後くらい、上手に騙されたかった?
そうだよね、俺も上手に騙せるままでいたかったな。
俺、アンタのそういうとこ、信用してたのになぁ。
「ゲン」
「ん、どうしたの?」
電池を量産し続けるゲン。
千空は21世紀とは比べ物にならないレベルで質の悪い紙を眺める。
「てめー、旧世界で俺に会ったことあんだろ」
紙の上を走る文字を目がなぞっていく。
文字を読んでいるようにはあまり見えなかった。
どこか、遠い記憶を思い返しているように見えた。
「俺らがペットボトルでロケット作ってんの、見てただろ」
ゲンの手が止まった。
糊のついたままのマンガン電池が床に落ちる。
「…あー…はは。え、そうだった?」
どう見ても誤魔化すような笑顔。
いつもより上ずってしまう声。
「学ランの中坊だろ。黒髪で、今のお前と同じ髪型。そん時俺は小学校高学年。年齢差も一致する」
「…すごい、よく覚えてるね」
ゲンの手が電池を拾い損ねる。
さらに転がった小さな電池は、移動しないと手が届かないところまで行ってしまう。
「何であんな顔で俺らんこと見てたんだ?それにあの傷…お前、殴り合いなんてガラじゃないだろ」
「…は」
乾いた笑いがこぼれた。
顔をあげなかった千空にも気づけたはずだ。
「…ゲン?」
ゲンの顔から笑顔が消えたこと。
本気で傷ついた顔をしたこと。
千空に悪寒が走る。
取り返しのつかないことをした。
何か、大切なものを失ってしまった。
そんな気がした。
きっと、この手で。
自分が、壊したんだろう。
ここまでの短い時間で積み上げてきた、大切な何かを。
「…ああ、うん。そうだったかもね」
冷めきった目で、貼り付けたような笑顔で。
ゲンは曖昧に真実をぼかした。
あー…触れられたくなかったなぁ。
俺、失敗しちゃったんだね。
ねむ
20
#下手
アスカ〈DESIRE〉
100
#両片思い
如月 零夜
16
27,358
千空ちゃんて…時々ホント残酷だよね。
千空ちゃんが、人の心分からない訳ない。
ごめんね。
もう、見せないよ。
「お前」
「…あ、千空ちゃん。俺ちょっと用事〜」
「急に?」
「そ、急に思い出しちゃった♪」
「今からか」
「うん。ごめんねぇ」
いつも通り。
なにも変わらない。
だからこそ怖かった。
「また後で〜」
「待てよ」
「どしたの、千空ちゃん」
「……いや」
ゲンは可笑しそうに笑った。
『可笑しそう』に。
本当にゲンが可笑しいと思っているか。
答えは、”分からない”に近かった。
仮面のような笑顔には一切の感情が見えない。
さっきまでは、『親しさ』『信用』『人懐っこさ』が透けて見えるほど、近かったのに。
「あは、千空ちゃんてば変なの♫」
君が聞いたんだよ?
そう言っているように、聞こえてしまった。
その日から、ゲンは何ら変わりない。
朝になれば挨拶して、作業の相談に乗って、他人の話に耳を傾けて。
冗談も言う。くだらない嘘もつく。
時には千空の隣で夜を明かした。
千空が疲れていればさり気なく気をまわして、無茶をすれば止める。
何もかも失っていないように見える。
いや…
失ったのは、千空の方だったのかもしれない。
『千空に好意を持っていたゲン』を。
『全幅の信頼を寄せていたゲン』を。
『気兼ねなく話せた悪友』を。
…ゲンは、前ほど自分のことを話さなくなった。
追及されれば笑ってかわす。
自分の話などくだらない、とさらりと話をすり替える。
「俺の話?やだね〜。恥ずかしいもん」
「そんなのつまんないよー?代わりにマジックでも見せようか」
「千空ちゃんてば俺のこと好き過ぎ〜」
どれもこれも普段の口調。
千空が一歩踏み込むたび、ゲンは少しずつ扉を閉める。
きっと、千空が扉に触れるときには、扉は施錠されてしまっているだろう。
蟻一匹通さないほど、強固に。
「…お前、最近自分のこと話さないな」
「ん、そう?」
「前はもっと話してたろ」
「え〜そうだった?」
「…」
「千空ちゃんて、よく覚えてるよね」
笑う顔は、あの日から変わらない。
変わらない、ままだ。
「…ゲン」
「なあに、千空ちゃん」
「何でも、ねえ」
「そっかぁ」
千空は、ずっとゲンの隣にいた。
ゲンも同じ。
お互いに、沢山の人間の中から肩を並べる、その相手を選んでいた。
隣にいたはずの存在が、段々前に進んで行ってしまって。
背中が段々遠ざかっていく。
もう追いつけなくなっていく。
ある時、千空は気づいた。
自分はコイツのことを何も知らない、と。
好きな食べ物。嫌いな言葉。得意なこと。苦手なこと。くだらない癖。疲れた時の顔。
全部知っている。
…なのに、1番大切なことだけ分からないままで。
うん…最初から『分からない』んじゃなかったな。
もう、教えてもらえないんだ。
千空のことを信用してない訳がない。
嫌いになった訳でもない。
千空のためなら、石化スピードを伝えるためなら、仲間のためなら。
嫌な顔一つせず、仲間と共に石化光線の前に身を投げ出すような人間だ。
ただ、1度閉めた扉をもう開けないと決めただけ。
自然に緩んでしまっていた扉を、今一度閉め直しただけ。
今日も、ゲンは何も知らない千空に笑いかける。
「千空ちゃーん。これどこに置けばいい?」
「900個!?多すぎない!?」
「ドイヒー…やるよ、やるけどね??人使い荒いって自覚持ってよね」
いつもと同じ顔、同じ声。
まるで最初から開いていなかったように。
あの日。
傷ついたような、何かを諦めたような。
見たこともないくらい冷めたあの顔が。
『千空が好きだったゲン』の最後の顔だった。
『浅霧幻』は死んでいない。
『あさぎりゲン』として、千空と関わり続ける。
それが、単純な好意だったのか。
恋をしていたのか。
それとも、名前のない感情だったのか。
いずれにせよ、それを自覚する前に。
名前を付ける前に終わってしまった。
不可逆の時間の中で、『千空が好きだったゲン』はもう戻ることはない。
もう見せない。
もう聞かせない。
だから、今まで通りに振る舞う。
千空が好きだったゲンだけを、誰にも見えないところにしまって。
もう二度と気を抜かない。
もう、千空ちゃんを傷つけるようなことはしない。
あんな顔、見せやしない。
俺が紡ぐのはペラペラの嘘だけでいい。
こんなに重くて黒い言葉、何より大切な相手に聞かせるわけにはいかない。
今後、千空がどれだけ優しくしても。
どれだけ大切にしても。
どれだけ「お前のことが知りてえ」と言っても。
あの一瞬のあとでは、もう同じようには受け取れない。
だって、あのとき確かに思ってしまったから。
――ああ、この人にも、見せなきゃよかった。