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10月に入り、八尾首市は暑い夏と寒い冬の間の、つかの間の秋が訪れた。
ハウジングプラザ八尾首は、雪の降る前にハウスメーカーを絞ろうと、家族連れで賑わっていた。
「お疲れでーす」
聞き慣れた声に由樹は顔を上げた。
「紫雨マネージャー!」
思わず由樹は事務所の出入り口に駆け寄った。
「おー新谷。久しぶりー」
相変わらずマネージャーらしからぬ緊張感のない間延びした声を出しながら、紫雨は靴を脱いだ。
「どうしたんですか?今日は!」
興奮気味に言うと、紫雨は事務所を見回して首を傾げた。
「あれ?聞いてない?俺、お客さんとここで打ち合わせ。旦那さん単身赴任でさ」
言いながら鞄を由樹に押し付ける。
「警察も大変だよなー。転勤多くて」
言いながらづかづかと上がりこんだ。
「あー疲れた。クソ遠いよ八尾首は。新谷、オレンジジュースちょう……」
「おい。うちの部下を嫁のように扱うなよ」
展示場から事務所に戻ってきた篠崎が紫雨を睨む。
「……こわ。うちの部下じゃなくて、俺の嫁を、でしょ」
紫雨がクククと笑う。
「俺は男ですよ!」
「おいおいおいおい。いつからそんな目で俺を睨むようになったんだぁ?お前はー」
珍しく自分を睨んだ由樹の顎を紫雨が掴み上げた。
「ちょっと紫雨さん!新谷君に絡まないでください」
渡辺がもっとあからさまに紫雨を睨む。
「最近スランプで落ち込んでるんですから!」
その言葉に顎を掴まれている由樹は視線だけで渡辺を振り返った。
「俺、スランプじゃないですよ!」
「あれ?違った?」
「ちょっと悩んでるだけです!」
紫雨が眉間に皺をよせ由樹を覗き込む。
「うーん。確かに営業マンの顔じゃねえな」
「え。マジです……」
不意をつかれてその頬にチュッと軽くキスをされた。
「あらららら。なんか見たことあるな、このシーン」
渡辺が口を開けるのと同時に、篠崎のゲンコツが紫雨の頭頂部に落ちる。
「いってぇぇ。冗談でしょ!冗談!」
紫雨が頭を抱えて大げさによろける。
「お前なあ……。好き勝手やるなら展示場貸さねえぞ」
「えー、そんなぁ」
(はぁ。これ、また俺が後から怒られるパターンだ……)
楽しそうに笑う紫雨を見ながら、由樹は細くため息をついた。
◇◇◇◇◇
紫雨の客が来て、細越に打ち合わせルームに茶を持って行かせたところで、自動ドアのチャイムが鳴った。
「お。新規だな」
篠崎がモニターを見てからホワイトボードを振り返る。
「次は……新谷か」
新谷はネクタイを整えながら颯爽と立ち上がった。
「のびのびとやれよ」
篠崎が由樹を見下ろす。
「お前はお前でいいんだからな?」
「はいっ」
新谷は唇を結び、大きく頷くと、展示場に走っていった。
「……なんか俺、新谷君が新人の頃を思い出しました」
渡辺がふざけて涙を拭うそぶりをする。
「成長しましたね……!」
「……うーん」
篠崎はモニターに映る新谷の後頭部を見ながら唸った。
「成長したからこそぶつかる壁っつうのもあるよな」
「ミシェルという名の?」
「いや、ミシェルに限らず、さ」
篠崎は客が連れた小さな女の子を覗き込んでいる新谷の笑顔を見た。
女の子は手にオレンジ色をしたウサギのぬいぐるみを抱いている。ファミリーシェルターのマスコットキャラだ。
きっと新谷もそれには気が付いているだろう。
心なしかその笑顔が引きつっているように見える。
「その壁をないものとして意識させないでいくか、それともぶち当たらせて悩ませるべきか、今、俺の方が悩んでる」
「なるほど」
渡辺も腕を組みながらモニターを見る。
「新谷のスタイルから行くと、壁なんて無視してわが道を突き進んだ方がいいんだけど、あいつ自身がその壁を意識しまくってるんだよな。そうなると無視はできないから、やっぱりぶち当たって突破するなり乗り越えるなりする必要があるんだが……」
「ドツボにハマりそうだと…」
「そういうこと」
「その壁とは?」
渡辺が聞くと、篠崎は息をつきながら自分の椅子に座った。
「“他社も悪くない“っていう壁だ」
篠崎は目を擦った。
“セゾンは良い”それを素直に伝えられるうちは、新谷は売れる。
しかし、他社を意識するのであれば、“セゾンは良い。でも、他社も悪くない。それでもセゾンはもっと良いんだ”という2段階先にいかないと、彼は今後、おそらくは契約が取れない。
「俺はさ、どっちかというとその壁は無視してるんだよ」
「はい」
「セゾンの家作りは良い。それで完結。それが客に伝われば他なんて見えなくなる」
「そうですね」
渡辺が頷く。
「紫雨さんもどっちかというとそっちじゃないですか?他社批判なんてするの見たことないし」
「そうだな。あいつの場合、他社の技術は嫌というほど勉強してるだろうけど、それでもセゾンの方が良いという自信があるから、話題に触れる必要もないんだろうな。
他社を認め、それでも自社を勧める。それは俺や紫雨でも普段やっていない高度なテクニックだってことだ」
篠崎は壁の向こうにあるだろうファミリーシェルターの方向を睨んだ。
「その点、ミシェルの牧村は、それがダントツで上手いんだよな。つまりは新谷がなるべき理想像が、俺や紫雨じゃなくて、牧村なんだよ」
「ははは。なーるほろ」
渡辺が乾いた笑いを漏らす。
「新谷君、ものすごい相性の悪い敵にぶつかっちゃったわけですね」
モニターからは談笑も華やいだ声も聞こえてこない。
やはり新谷は意識しすぎて本来のアプローチが出来ていない。
ほんの小さな女の子が持っている、オレンジ色のたかがぬいぐるみを。
(これをスランプと呼ばずして、何をスランプと呼ぶのか…)
由樹は夕闇の展示場を見上げながら、管理棟のベンチに一人座った。
せっかく“やる気”、“金”、“土地”、と三拍子そろった客が来たのに、あるものが気になって気になって、いつもの接客が出来なかった。
それは――。
ファミリシェルターのバルコニーからこちらを見下ろすウサギを睨む。
先にそちらを見てきた客から、「木造より鉄骨の方が耐久性が高いって聞いたんですけど、本当ですか?」
と聞かれては焦り、
「木造はやっぱり燃えやすいもんね。薪にまさか鉄はくべたりしないもんね」
と笑われては苦笑いを返し、
「鉄は温まりやすいけど、木は熱を通さないから却って寒いって聞いて。ほら、鉄鍋はあるけど、木鍋なんてないじゃないですかー」
と言われてあろうことか、
「木ベラならありますけどねー」と謎の返答をした。
木。
鉄。
木。
鉄。
木と鉄。
木と鉄。木と鉄………
キテレツ大百科。
「何を言ってるナリか。俺………」
思わず頭を掻きむしる。
と―――。
「あれ、最近よく会うね」
また視線を上げると、先日と同じ目つきで牧村がこちらを見下ろしていた。
「これはこれは、ミシェルさん」
言うと、牧村はふっと笑った。
「ナニソレ。仕返しのつもり?」
言いながらベンチの隣に座る。
「セゾンちゃんは何か悩み事でもあんの?この間からずっと暗い顔してるね」
由樹は恨めしそうにその横顔を睨んだ。
「あ、もしかして、俺のせいとか?」
「…………」
「マジかー責任感じるなー」
言いながらテーブルに肘をついてこちらを覗き込んでくる。
「そんでわかった?俺がこの間言った意味」
「もう忘れました」
「ええ?」
「……俺があなたに勝てない理由は、あなたが、セゾンの家作りを認めているから…ってことですか?」
「覚えてんじゃん」
笑うと白い歯が薄い唇から覗く。
由樹はそこから視線を逸らすように牧村を睨み上げた。
「……んけど、………か?」
「は?ナニ?」
牧村が寄せた耳に、由樹は思い切り息を吸い込んでから叫んだ。
「わかりませんけど、それが何かぁ!?」
「ッ!!」
牧村は目を瞑り、耳を塞ぎながら笑った。
「……そういうことすんだ、君。可愛くないからセゾン君に降格ね」
「願ったりです」
「言うねえ」
瞳を開けて由樹を睨むと、牧村は足を開いて座り直した。
「しょうがないなあ。俺のせいで給料下がったりクビになったら夢見悪いからヒントをあげよう」
ますます顔が寄る。
由樹は睨みながら改めてその顔を見つめた。
(……やっぱり近くで見ると全然似てない)
鼻筋が通って整っていないわけではないのだが、篠崎とは全然違う。
まず目がつり目で、いかにも意地が悪そうだ。
笑うと頬骨が出る。そこも違う。
というか……。
(同じところなんて一つもないのに。なんで俺、この間この人と篠崎さんが似てるだなんて思ったんだろう……)
「セゾン君はさ、ミシェルの家をちゃんと見たことある?」
「はい。この間、県外の展示場に行ってみてきましたけど……」
「ほう」
牧村は唇を丸くした。
「それで?」
他社を褒めるのは癪だが仕方がない。
「間口が広く取れていいなあって思いました」
「あとは?」
「思ったほど鉄骨の冷たさとかはないんだなって」
「ふむふむ、それから?」
「……セゾン批判がえげつないなって」
「なるほどね」
牧村は開いていた足をピタッと閉じると、その勢いで立ち上がった。
「今この瞬間、そんな木偶の坊が案内したミシェルは全て忘れて?」
言うなり牧村は、由樹の手首を掴んだ。
「おいで、セゾン君。この俺が直々に、本当のミシェルを案内してやるよ」