手を引かれるままに、ライバルメーカーであるファミリシェルターの中に入るのはものすごく違和感があった。
ドアを抜けると、吹き抜けの天井からぶら下がるシャンデリアにまず目を奪われる。
やはり空間が広い。梁もなく2階の天井まで視界を遮るものが何もない。
「……わぁ」
思わず呟いた由樹に微笑みながら、
「まだまだ。驚くのは早いよー」
牧村はそのまま、彼をリビングに案内した。
「……え。ここ、ホテルのホールですか?」
由樹のつぶやきに牧村は笑った。
そこには、壁もない。柱もない。
すとんと抜けるLDKが続き、南側の窓は一面ガラス張りだった。
「すごいでしょ。この大空間」
「家じゃないすよ。こんなの…」
開いた口が塞がらないということはこういうことだろうか。由樹はその広々とした空間に口を開けた。
「この展示場、比較的新しい展示場だから、技術もその分上がっていて、他の展示場じゃここまで飛ばしてるのもないんじゃないかなあ。そもそもミシェルだけじゃない?一般住宅で6mも飛ばせるの」
「6m?!」
6mを飛ばす。つまり6mの間に柱が一本もないということだ。
セゾンの家は柱が多いことで有名だ。それは耐震等級3を取得するために必須なのだが、建方となると、柱だらけで顧客に感心されたりするのに……。
「考え方が違うんだよね、セゾンとは」
横に立った牧村が、十分セゾンの良さを学んできたのであろう“セゾン君”を見下ろす。
「でも何もセゾンが間違っているのではない。木造軸組工法で考えたとき、それはもちろん正解なんだ。でも俺たちは軸組工法じゃない。ラーメン工法だから」
「ラーメン工法?」
「そう。工場で8割以上作ってから、現場には部屋の状態で持ってくる。それが俺たちが採用しているボックスラーメン工法。柱や梁というより部屋で作るんだよ。鉄だからもちろん溶接して」
「溶接……」
「そう。現場でトンカントンカン大工さんが組み立てるのとは違う。工場で溶接だ。だからその土地の気候や大工の腕に左右されない。日本どこで立てても、ミシェルの技術は変わらない」
「…………」
「じゃなきゃ飛ばせないでしょ。6m」
言いながら牧村はリビングにでんと置いてあるソファに座った。
「木のぬくもり。木の匂い。夏は涼しく冬は暖かい。湿気が溜まったら吸ってくれるし、乾燥したら吐き出してくれる。
木の良さなんて誰でも知ってんだよ、日本人ならね」
話しながら長い脚を組む。
「プラスして木はしなる。地震の吸収を和らげてくれる。斜めの筋交いも入れれば、それはより強固なものになる。
火事の時だってそうだよ。木は燃える。しかしそれは表面だけであって、芯の部分は炭化して意外と強度は落ちない。
それに対し鉄は150度以上の高温に耐えられらず、曲がる、溶ける」
牧村は人差し指を立てた。
「単純に木VS鉄なら、木に軍配が上がる。それは知ってる。俺たちだって。
それでも鉄骨を選んでいる理由があるんだよ。そこを理解してないと、もし競合した時に君たち木造メーカーは“木の良さ”のアピールにとどまり、俺たちに負ける」
「……………」
ぐうの音も出ない。
「ミシェルが採用しているボックス工法は、地震にものすごく強い。そしてもし損壊したとしてもボックスごとに作り直せるから、修復もしやすい。火事も同じだ。半焼ならその部分だけ取り払い、またボックスを足せばいい。
断熱性能、調湿性能はない分、家中の空気管理に高度な空調管理システムを入れてダクトで繋ぎ、冬は暖かく、夏は涼しい空間を提供している」
「なるほど」
由樹は先日、篠崎と出向いた住宅展示場で、巨大な窓ガラスの下にあった空気穴を思い出した。
「いい?セゾン君」
牧村は立ち上がり、由樹の顔を覗き込んだ。
「セゾンの家作りは良いの。木造軸組工法では他の追随を許さないくらい。
でもミシェルの家作りも良いんだよ。
それでも……セゾンの家を勧められるか。それ以上にセゾンの家が良いと言い切れるか。そこが俺と君との差だと思うよ」
由樹も睨むのではなく、牧村をまっすぐに見つめた。
「俺は言い切れるから、ミシェルのネームプレートを下げてここにいる。じゃ、君は?」
「………」
由樹は一度ソファの前に置いてあるガラス製のローテーブルに視線を落とした後、小さく頷くともう一度牧村を見上げた。
「俺だって、そうです……!セゾンの家づくりが、どこよりも好きです!」
牧村は目を細めて微笑むと、
「よし!じゃあ、勉強し直しだな!」
由樹の肩を叩いた。
「はい!」
由樹は牧村を見つめて今度は大きく頷いた。
◇◇◇◇◇
「あれ、新谷はー?」
打ち合わせを終えて戻ってきた紫雨は、鞄を持ちながらキョロキョロと見回した。
「そこらへんに転がってませんかー?」
渡辺も軽く見回す。
「転がってねぇよー?」
紫雨が言うと、
「管理棟じゃねぇの?最近あそこのベンチで潰れてることが多いから」
言いながら篠崎が窓を開け、すぐパソコンに目を戻した。
紫雨がその窓に顔を寄せる。
「んーいねぇけど。………あ。はは」
紫雨が笑いながら篠崎を振り返る。
「俺、とんでもない現場見ちゃったかも」
「何だよ」
篠崎が睨み上げると、紫雨はまた窓の外に視線を戻し楽しそうににやついている。
仕方なく立ち上がり、彼に並ぶと、隣のファミリーシェルターの展示場から、牧村が出てきた。
「なんだ。ミシェルの牧村か」
言いながらまた席に戻ろうとすると、その腕を紫雨に掴まれた。
「何だよ。俺、19時から打ち合わせなんだよ!」
少しイラついて睨み上げても紫雨は、外を顎でしゃくっている。
舌打ちをしながら再度窓の外を見る。
ファミリーシェルターの正面玄関から、新谷が出てきた。
「あいつ、なんで……」
声は聞こえないが先導して出てきた牧村と何やら楽しそうに話し込んでいる。
「浮気現場、目撃ですな」
紫雨が面白そうに口に手を当てている。
「……馬鹿らし。打ち合わせ終わったならさっさと天賀谷帰れよ」
篠崎は呆れて同期を見下ろした。
「新谷、ミシェルで悩んでる割に、あんなに仲良くしてるのってどうしてですか?」
「知るか」
確かに楽しそうだ。
「…………」
彼を見上げて何度も頷いているその表情は、普段自分に見せる表情と何ら変わりのないように見えた。
「はじめ険悪だったのに、実はいいやつだったってさ、恋の始まりのセオリーですよね」
「お前な。なんでもそっちの方に結びつけんなよ」
「えー、だって………」
2人を見ていた紫雨が、急に言葉を止めた。
「……何」
篠崎が聞いても紫雨は二人を黙って見ている。
「おい、何だよ!」
イラついて聞くと、紫雨はやっと篠崎に向き直った。
「……篠崎さん。あんた、ヤバいすよ」
「何が?」
「ミシェルの何て言いましたっけ」
「……牧村?」
「マキムラさんね。あの人多分……こっちだから」
「こっち?」
篠崎は紫雨を見下ろし眉間に皺を寄せた。
「おそらくバリバリのゲイだと思います。俺が言うんだから間違いない」
「はぁ。お前はまた適当なことを……」
「眼球の動きでわかるんですよ。あんたらノンケが女を見るときに、無意識に視線が胸や尻に行くのと同じ」
「…………」
無駄に説得力のある話に思わず口をつぐむ。
「そして多分、そのことに新谷は気づいていない」
紫雨は2人に視線を戻した。
「でも、あっちは気づいてるんじゃないかな」
「何を」
「新谷もこっちだってこと」
篠崎も2人に目を戻した。
楽しそうに話す新谷の隣で、ミシェルの牧村もさわやかに笑っている。
新谷が一礼をして手を上げる。
牧村もそれに応えて手を上げた。
新谷がこちらに踵を返した。
その瞬間……。
牧村の目が光ったように見えた。
「でも難しい問題ですよね」
紫雨はまだ楽しそうにクククと笑っている。
「何がだよ」
篠崎は打合せの準備のことなど忘れ、自分の展示場に帰っていく牧村の後ろ姿を見つめた。
「新谷にそれを言うか、ですよ」
紫雨はこちらを試すような顔で見上げてくる。
「今んとこ双方になんの感情もないかもしれないのに、それを言うことで新谷が変に警戒したり、意識しちゃうかもしれないじゃないですか?」
確かに新谷は分かりやすい。
それが恋心ではないにしろ、何かしらの態度には出るかもしれない。
「俺だったらさ。急にそっけなく避けてきたり、あからさまに警戒してきたら、そりゃあもうグイグイ虐めたくなるタイプなんですよね?」
言いながら紫雨は窓を閉めた。
「もしあの人も同じだったら。逆に新谷にちょっかい出したくなるかもしれないでしょ。えっと、何でしたっけ。ムキマラさん?」
「牧村だ……!お前、絶対わざとだろ」
篠崎の怒った顔を見て紫雨はケラケラと笑った。
「だって絶倫そうじゃないですか!ああいう線が細いのに、ムキムキに筋肉ついてるタイプは絶対、巨根ですって」
「やめろよ、気持ち悪い」
言いながら篠崎はやっと仕事を思い出すと、デスクに座った。
「ま、そんな気持ち悪い俺からアドバイスさせてもらえるとしたら。新谷には言わない方がいいすね」
スクリーンセーバーを解除しながら、書類に目を落とす篠崎に構わず、紫雨は話し続ける。
「なぜならば!新谷は意外とゲイにモテないから」
「……?」
篠崎は窓に寄りかかっている生粋のゲイを見上げた。
「あはは。聞き捨てならないって顔ですね。ウケる」
「……いいから。どういうことだよ」
「いいですか。俺たちゲイは男が好きなんですよ。だからああいう中性的な見た目はあんまりモテないんです。かえってノンケやバイの方にモテるんじゃないですか?今までの新谷の経験だってそうでしょう。ゲイとは一度もないはずですよ」
確かに。
篠崎は以前、行為中に苛めながら半ば強引に新谷から聞き出した今までの経験を思い出した。
大学時代から今まで、ゲイとの経験は……。
「……お前くらいだな」
目の前の男にそう言うと、改めて殺意が湧いてきた。
「ややや、やめてくださいよっ!俺は未遂じゃないですか!!3回ともあんたが止めたでしょお?!」
「……3回だと?俺は2回しか知らねえぞ」
「え?……あ……!」
「戻りましたー。あれ?どうしたんですか、紫雨さん?」
新谷が事務所に戻ったとき鉄槌を落とされた紫雨は、頭を押さえて座り込んでいた。
「お前んとこのマネージャー、暴力的だよっ!」
紫雨は涙目で新谷を見つめた。
「……なんか、やらかしたんですね、紫雨さん」
新谷が目を細めながら靴を脱ぐ。
「ひでぇ新谷。あんまりナメてっと犯すぞ…!」
懲りずにもう一発もらう紫雨を尻目に、新谷は篠崎に駆け寄った。
「それより篠崎さん!次の日曜日、俺に休みをください!」
「休み?」
見た目に反して意外と固い紫雨の頭のせいで痛む手を振りながら、篠崎は新谷を見下ろした。
「はい!もう一度、ちゃんと展示場回りがしたくて!」
早速何か刷り込まれて来たらしい。
「他のメーカーの良さをとことん勉強して、その上でセゾンの良さを再認識したいんです!」
(……そっちに着地したか……)
目にキラキラと星を浮かばせながらこちらを見上げる新谷に篠崎はため息をついた。
「まさか、ムキマラとデート?」
今度は篠崎の間合いから離れながら紫雨が笑う。
「ムキマラ?」
「馬鹿に構うな。新谷」
言うと新谷は少し考えるように顎を押さえて俯いた。
「……それ、いいかも」
「はぁ?」
篠崎は新谷を睨み落とした。
「あ、いや。デートに見えた方がいいかなって」
言いながらいそいそと携帯電話を取り出した。
「千晶を誘ってみよう!」
「はぁ?」
今度は紫雨が目を丸くした。
「ちょっと電話してきます!」
篠崎が仕方なく頷くと、新谷は脱いだばかりの靴を履き、展示場を飛び出していった。
「……篠崎さん?!」
紫雨が振り返る。
「あいつ、元カノとまだ繋がってんすか?」
「ああ」
篠崎はいい加減頭痛がしてきて目と額を強く擦った。
「それはそれは良好な関係が続いている」
「へ、へぇ」
紫雨は飲み込めない状況に曖昧に笑った。
「世間一般がなんと言おうが俺は……」
「“新谷を信じてる!”とかほざくのは勘弁してくださいね。あんな襲われ体質のあぶなかっしい奴を……」
「……俺は、千晶ちゃんを信じてる。新谷の何倍も……」
言うと、紫雨は口の端を引くつかせて笑った。
「ま、一人で行かせるよりは安全でしょうけども………」
「篠崎さん。お話し中すみませんが」
渡辺が離れた席から声をかけた。
「もう19時になりますよ」
「やべ……!」
篠崎は鞄を持ち上げ、「またな、紫雨!」と同期の肩を叩きながら事務所を後にした。
展示場の影では、他の男に感化され、さらに元カノとデートの約束をしている恋人の声が聞こえてきた。
(俺はいつからこんな寛容な男になったんだか………)
篠崎はため息をつくと、駐車場に停まるアウディに向けて走り出した。
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