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おもち
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魔法が下手すぎる僕は、ドラゴンだったらしい
第一話 見えてはいけない空
僕には、魔法の才能がない。
その事実を認めるまでに三年かかった。
人は、自分に与えられなかったものより、与えられたはずのものを諦めるほうが難しいらしい。初めから空の掌なら、そこに宝石が載っていないことを嘆いたりはしない。けれど一度でも、お前の手には誰より大きなものがある、と言われてしまえば、人は何度でも指を開く。そのたびに何もない掌を眺め、それでも次に開いたときには何かが現れるのではないかと期待する。
僕も、そうした。三年間。そして今も右手には一本の杖を握っている。
「――ファイアボール」
杖の先に、親指の爪ほどの炎が浮いた。王国最大と言われた僕の魔力は、赤い魔石を通り抜けた途端、ずいぶん慎ましいものになる。腹の底には大河がある、とグラン先生は言った。その大河の出口に、親指ほどの火が浮いていた。
実習室の窓から春の風が入った。白いカーテンが膨らみ、机の紙を一枚落とし、最後に僕の炎へ触れた。火は細く横へ伸び、消えた。
背後で誰かが笑った。
笑われることには慣れていた。失敗を繰り返す人間に対する周囲の反応には順序がある。最初は驚かれ、次に不思議がられ、その次に笑われる。最後には、誰も見なくなる。僕はまだ笑われている。完全に見放されたわけではない、と考えることもできたが、だから嬉しいということはなかった。
授業のあと、僕は学院の裏手にある森へ向かった。二年前に見つけた小さな空地で、一人で魔法を練習するためだった。森では、僕が踏めば葉が割れ、僕が触れれば枝が揺れる。学院の廊下では何十人もの動作が重なって、自分が世界に触れていることなど考えない。森ではそれがよく分かった。
岩の前で三つの小さな火を並べた。薄暗い森では、学院で笑われた炎も少し綺麗に見えた。光は、それ自体の大きさだけで決まるものではないらしい。
「……かわいいな」
『実にひどい』
「そうなんだよ」
頷いてから、僕は声の主が自分ではないことに気づいた。
『下だ』
足元には、腕ほどの長さの黒い生き物がいた。四本の脚と一対の翼、深い青を含んだ黒い鱗、猫に似た金色の目。
「トカゲ?」
『ドラゴンだ』
黒天竜ヴァルガディオスは、力を失って小さくなっているらしかった。会ってすぐ契約しろと言われたので断った。森にいる、喋る、自称ドラゴン、力を失っている、突然契約を迫る。怪しいものを五つ並べると、むしろ契約する理由を探すほうが難しかった。
帰ろうとした僕を、ヴァルは追ってきた。途中で力尽き、落ち葉の上に腹をつけた。放って帰るつもりだったのに、弱い声で呼び止められた。
『なぜ、人間の魔法を使っている』
ヴァルは僕の魔力を、人間のものではないと言った。
『お前は十五年間、間違った魔法を練習していたのだ』
「竜の魔法なら?」
『世界を焼ける』
「ファイアボールは?」
『山が消える』
嘘だと思った。
ヴァルは、竜は世界へ願わないのだと言った。炎を作ってください、と魔力を加工するのが人間なら、竜は世界へ直接命じる。燃えてほしい、ではない。燃える。それだけでいい。
僕は西の山へ右手を向けた。
初めて、魔力を抑えることをやめた。身体の内側に、自分の身体より遥かに広い場所が開いた。そこには形の見えない何かがいて、僕を見ていた。
山を見た。
消し飛べ、と考えた。
白い光のあと、僕は地面に倒れていた。耳鳴りの向こうでヴァルが西を見ていた。
山の上半分がなかった。今まで稜線に隠れていた空が、青と赤を混ぜて広がっていた。
空は広いほど綺麗だと思っていた。
その日、僕は初めて、見えてはいけない空があることを知った。
第二話 山の値段
山を半分消した翌朝、僕は学院長室で山の値段について説明を受けていた。
正確な値段はまだ分からないらしい。山は王国の管理地で、木材、薬草、鉱石、獣の狩猟権など、山そのものより山から得られるものに値段がついている。失ったものを一つずつ数え、その合計を僕に見せるつもりなのだろう。
人間は、なくなったものを数字にすると少し安心するらしい。金貨何枚、と書けば、山の半分も帳簿の一行に収まる。僕には払えないという点を除けば便利な方法だった。
「レイン・アルカス。聞いているかね」
「金貨何枚までなら分割できますか」
「まだ請求の話はしていない」
学院長オルドは白い眉の間に皺を寄せた。机の中央にはヴァルが座っている。昨夜、教師に捕獲用の鉄籠へ入れられそうになった黒天竜は、籠を侮辱だと言って煙を吐いた。炎ではなかった。煙だった。そのせいで教師の一人が笑い、ヴァルはさらに怒った。
机の上に僕の入学記録が開かれた。魔力量、測定不能。魔力制御、最低評価。術式構築、最低評価。属性変換、最低評価。三年間の僕が数行で説明されていた。
ヴァルによれば、人間は魔力を火や氷へ加工し、術式によって形を与える。竜は違う。世界へ直接干渉する。僕は巨大な水を細い管へ押し込もうとしていたようなもので、魔力が多いほど人間の術式に収まらず、結果として親指ほどの火しか作れなかったらしい。
「つまり僕は才能があった?」
『竜としてはな』
「人間としては?」
『壊滅的だ』
三年間の努力が一言で片づいた。
学院長は僕を特別魔法科へ移すと言った。普通ではない魔法を研究する少人数の学科で、学院本棟ではなく旧研究棟に教室があるらしい。
「退学では?」
「山を消せる人間を野に放つほうが恐ろしい」
褒められてはいなかった。
学院長室を出ると、廊下にミリアがいた。僕を見ると安心したような顔をしたあと、すぐに怒った顔へ戻った。
「逃げたわね」
「捕まったよ」
「私から」
僕は謝った。
ミリアはヴァルを見た。
「かわいい」
『侮辱するな』
「この子、学院で飼うの?」
「飼ってない」
飼うというのは、餌を与え、寝床を用意し、逃げないよう気を配ることだと思う。昨夜のヴァルは僕の夕食の干し肉を半分食べ、僕の枕を使い、朝には胸の上で寝ていた。事実だけ並べると飼っているようにも見えるが、本人が否定するので、今のところ同居ということにした。
窓の外には、半分になったクルド山が見えた。昼の光の下では、昨日より傷口がはっきりしている。山の断面というものを初めて見た。土の下には岩があり、その岩にも色の違う層がある。
自分が壊したものなのに、少し綺麗だと思った。
そういうことは、たぶん言わないほうがいい。
第三話 特別魔法科
旧研究棟は、建物そのものが学院から忘れられかけているように見えた。
本棟から北へ延びる石畳を外れ、薬草園の裏を回ったところにある。壁には蔦が這い、二階の窓の一つは板で塞がれている。玄関上部の石飾りは右半分が欠けていた。いつ欠けたのか知らないが、落ちた石は見当たらない。誰かが片づけたのなら、建物も直せばよかったのではないかと思う。
教室には七つの机があった。どれも同じ方向を向いていない。窓際では銀髪の少女が机に伏せて眠り、部屋の中央では大柄な男が逆立ちをしていた。奥の暖炉には春だというのに火があり、その上の鉄鍋を小柄な老婆が長い棒で混ぜている。
僕は扉を閉めようとした。
「待ちなさい」
老婆がこちらを見ずに言った。
イリナ・バルカ。魔法史の教本で見た名前だったので、百年前の人ではないかと聞いたら、女性に年齢の話をするなと言われた。否定はされなかった。
僕は中庭へ連れ出された。
「レイン。石を竜魔法で壊せ」
人の頭ほどの岩へ右手を向けた。
壊れろ。
何も起きなかった。
昨日の僕は、自分の中に何があるのか知らなかった。今は山を消した結果を知っている。石を壊そうと考えながら、壊れすぎないように、と同時に考えていた。
『お前は石に許可を求めている』
石は返事をしない。
僕は岩を見た。灰色で、片側に白い筋がある。雨に濡れ、日に乾き、ここに何年あったのか知らない。
壊れろ、と考えた。
岩の中央に細い亀裂が走った。亀裂は白い筋に沿って下へ伸び、岩は二つに割れた。
イリナ先生は断面を指で撫でた。
「お前は、分かれろ、と考えた」
自分では気づいていなかった。
言葉より先に、僕の中にあったものを世界が聞いた。
竜魔法は便利ではない。
世界は、僕の嘘を聞いてくれない。
第四話 七人目
残りの生徒たちが揃うまでに昼になった。
眼鏡のユリウスは、僕よりヴァルに興味があった。挨拶より先に紙を出し、鱗の枚数を数え始めた。赤い髪のリズは窓から教室へ入り、僕を「山」と呼んだ。最後のノアは、教室の隅に置かれた甲冑の中から出てきた。朝からそこにいたらしい。
僕は七人を見た。
眠るセラ。逆立ちするガイル。何でも記録するユリウス。窓から入るリズ。甲冑に住むノア。そして僕。
普通の人がいない、と考えた。
その直後、自分だけを普通の側へ置いていることに気づいた。山を半分消した人間が、他人の登校方法を理由に変人扱いしている。
普通というものは便利だった。誰でも自分を中央に置ける。
昼、セラと食堂へ行った。
彼女はスープへパンを浸して食べながら、突然、僕に山を消したとき何を見たかと聞いた。
「山」
「中で」
僕は食べるのを止めた。
身体の内側に開いた暗い場所。そこにいた、形のない何か。
「何かいた」
「やっぱり」
「知ってるの?」
「夢で見る」
セラは、パンの硬さについて話すのと同じ顔で言った。
「黒い月」
窓の外は昼だった。空に月はない。
「それが、あなたを見てる」
僕はヴァルを見た。
ヴァルは口に咥えていた肉を皿へ戻した。
ヴァルが食事を残したのを、僕は初めて見た。
第五話 黒い月
その夜、僕は夢を見た。
空に、黒い月があった。
月というものは夜空より明るいから見える。けれど目の前のそれは周囲より暗く、それでも輪郭だけははっきりしていた。世界に丸い穴を開け、その向こうにもっと暗い場所があるように見えた。
見られている。
僕が月へ近づいているのか、月が僕へ近づいているのか分からなかった。距離を測るためのものが何もない場所では、大きさと近さは同じ意味になるらしい。
目を覚ますと、ヴァルが僕の顔を前脚で叩いていた。
「痛い」
『何を見た』
「黒い月」
ヴァルは窓辺へ行った。
『黒月は竜の墓だ』
「知ってる?」
『知らん』
「今説明したよね」
『詳しくは知らん』
古い竜は死ぬと魔力を世界へ返す。あまりに大きな力を持つ竜は、一度に返せば周囲を壊すため、黒月と呼ばれる場所へ力を沈めた。
「僕の中に墓がある?」
『分からん』
「怖い話の最後を分からんで終わらせるなよ」
翌日、地下の実験室でセラを見つけた。
「黒い月を見た」
彼女は目を開いた。
「近づいてる」
「何が?」
「月」
ヴァルは僕へ竜魔法を使うなと言った。黒月が僕の力に反応している可能性がある。
僕は右手を見た。
力を使うなと言われて、少し安心した。
そのことに気づいて、僕は自分が思っていたより怖がっていたのだと知った。
第六話 魔法を使わない魔法使い
竜魔法を禁止された僕は、再び人間の魔法を練習することになった。
「ファイアボール」
親指ほどの火が浮いた。
イリナ先生は椅子に座り、僕の炎を見ていた。隣ではガイルが逆立ちをしている。セラは寝ている。特別魔法科では、誰か一人が異常なことをしていても、他の異常に紛れて目立たない。
一度できたあとで使うなと言われるのは、最初からできないこととは違った。人間は、持っていないものより、持っているのに触れられないものを気にするらしい。
学院図書館の地下書庫で黒月を調べた。
竜に関する本の半分は、竜を見たことのない人間が書いていた。『竜の食生活』には、竜は乙女しか食べないとある。
「ヴァル。乙女しか食べない?」
『腹が減れば鹿でも熊でも食う』
「人は?」
『千年前に食った』
僕は椅子を少し離した。
最後に見つけた表紙のない手記には、一文だけ黒月のことが書かれていた。
《黒月は墓ではない。卵である》
墓と卵は、ずいぶん違う。
けれど死んだものが集まり、そこから別のものが生まれるなら、完全に反対とも言えない。
僕はその夜、眠るのが少し遅くなった。
第七話 王都から来た男
王都魔導院の使者は、雨の日に来た。
白い外套の胸に金色の塔の紋章をつけた男は、シオン・ラグナと名乗った。
「君を王都へ迎えに来た」
「嫌です」
「最近、知らない人に誘われるとろくなことがないので」
シオンの話は合理的だった。山を消す力を十六歳の学生が持っている。王国が放置する理由はない。僕が王様でも監視すると思う。
「断ったら?」
「説得する」
「それでも?」
「説得を続ける」
「優しい言い方ですね」
「私は穏健派だ」
穏健派がいるということは、そうでない人もいる。
僕が王都行きを決めたのは、監視が怖かったからではない。
王都魔導院の禁書庫に、黒月に関する資料があると聞いたからだ。
僕は黒月を怖がっている。怖いものから離れたい。でも、分からないまま離れると、背中にずっとそれがいる。
だから僕は、黒月を正面に置くことにした。
第八話 旅立ち
王都までは馬車で十二日かかる。
僕は荷物を一つの鞄にまとめた。服、教本、杖、母の残した小さな銀時計。必要なものだけを選んだつもりだったが、鞄は閉まらなかった。
「ヴァル、乗って」
『なぜだ』
「押さえて」
『我を重石にするな』
ミリアは学院の門まで見送りに来た。
「私も行く」
彼女は王都魔導院の短期研修へ申請し、昨日のうちに許可を取っていた。行動が早い。僕が山の値段を心配していた頃、彼女は王都行きの書類を書いていたらしい。
セラも来た。
「どうして?」
「月」
説明は一言だった。
学院の門を出る前、僕は一度振り返った。
三年間笑われたことに感謝する気はない。ただ、嫌だったものにも後から役割がつくことがある。役割がついたからといって、好きになる必要はない。
ヴァルが僕の肩へ飛び乗ろうとして、届かず地面へ落ちた。
『見るな』
「十二日で何回転ぶかな」
『殺すぞ』
僕はヴァルを抱えた。
旅が始まった。
第九話 竜を運ぶ
馬車の旅で最初に分かったのは、ヴァルが乗り物に弱いということだった。
出発して一時間ほどで座席の下へ潜り、三時間後には「世界を滅ぼす」と小さな声で繰り返していた。
「馬車を?」
『揺れをだ』
「概念を滅ぼすの?」
『黙れ』
最初の宿場町へ着く頃、ヴァルは完全に動かなくなっていた。
宿の主人は犬なら外へつなげと言った。
「犬ではありません」
「猫か?」
「竜です」
主人は僕を見た。
「犬でいい」
ヴァルは反論する元気もなかった。
夜、僕は眠れなかった。黒月の夢を見るのが怖かった。
窓辺にセラがいた。
「月、見える?」
「普通の月なら」
「黒いのもある」
「起きてても?」
セラは頷き、僕の胸を指した。
「そこ」
僕は胸へ手を置いた。
「月が孵ったら、あなた、いなくなるかも」
僕は返事をしなかった。
部屋の中で、ヴァルが吐いた。
黒月より先に、馬車をどうにかしたほうがいいかもしれない。
第十話 親指ほどの火
六日目、街道で盗賊に襲われた。
シオンは強かった。風で男を飛ばし、剣を氷で包んだ。僕は馬車にいろと言われたので従った。
その馬車へ一人の盗賊が入ってきた。
男は剣を持っていた。
僕は杖を向けた。
「ファイアボール」
親指ほどの火が浮いた。
男が笑った。
僕も、これは笑われても仕方ないと思った。
炎を大きくする必要はない。
僕は杖を男の顔へ向け、小さな火を飛ばした。火は右目の前で弾け、男が顔を押さえた。
僕は鞄で殴った。教本が三冊入っている。重い。
男は倒れた。
戦いが終わったあと、シオンが僕を見た。
「何をした」
「ファイアボール」
「本当に?」
「あと鞄」
僕は初めて、人間の魔法で人に勝った。
山を消したときより、石を割ったときより、少しだけ嬉しかった。
力は大きければいいと思っていた。
親指ほどの火にも、届く場所があるらしい。
第十一話 王都の地下
王都アルディオンは、遠くから見ると壁だった。
白い城壁が地平線の一部を塞ぎ、その向こうから七本の塔の先だけが見える。人間は大きなものを作ると安心するらしい。
山はもっと大きい。
僕はその半分を消した。
そう考えると城壁も薄く見えたので、考えるのをやめた。
王都魔導院の禁書庫は地下五階にあった。鉄の扉が三枚、鍵が七つ。最後にシオンが掌を石板へ当てると、壁そのものが左右へ開いた。
「危険な本がある」
「読むと爆発する?」
「うん」
僕は本を触る前に題名を読むことにした。
黒月に関する資料は竜語の石板だった。ヴァルが文字を追い、途中で二度黙った。
『黒月は、竜王の器』
「卵じゃない?」
『卵という表現も間違いではない』
死んだ竜の魔力と記憶を一つの場所へ集め、いつか器となる竜が現れたとき、その中へ全てを戻す。
「僕?」
『可能性はある』
「嫌だな」
数千の竜の記憶。人間は自分の記憶だけでも時々持て余す。数千匹分あれば、眠る暇もなくなる。
セラが石板へ触れた。
文字が黒く染まり、彼女は倒れた。
僕が受け止めたとき、セラの赤い目は開いていた。
「月が、割れた」
地下五階で、地上の鐘が鳴り始めた。
第十二話 竜王の器
セラは三日眠った。
医務室の窓は南向きで、午後になると白い寝台の半分まで日が入る。僕は椅子に座り、その光が少しずつ床へ移るのを見ていた。
待つという行為は何もしていないように見える。
実際、何もしていない。
それでも疲れる。
「僕が石板を読まなければ」
『読む者はいつか現れた』
「それ、慰めてる?」
『事実を言っている』
ヴァルは慰めるのが下手だった。たぶん僕も下手だ。
セラが目を開けたのは夕方だった。
彼女は黒月の中で見たものを話した。
竜がいた。一匹ではない。空を埋めるほど。その全てが同じ方向を見ていた。
「何を?」
「あなた」
竜たちは僕をレインとは呼ばなかった。
王。
そう呼んだ。
僕は十六歳で、山の弁償を心配し、馬車に酔う竜を運び、ファイアボールは親指ほどしか出せない。
「人違いじゃない?」
セラは少し笑った。
僕は本気だった。
第十三話 王様になりたくない
王国には既に王がいる。
だから僕が竜王になれば、王が二人になる。
人間の王と竜の王なので管轄が違う、とシオンは言った。役所の部署のように説明されると少し安心するが、王という言葉の重さは変わらなかった。
僕は王になりたくない。
責任が嫌だから、というのもある。
もっと単純に、人の上に立つ自分を想像できなかった。
三年間、教室の後ろで笑われていた。僕の言葉で誰かが動くことなどなかった。昨日まで端にいた人間を、今日から中央へ置けば、それだけで中央の人間になるのだろうか。
王都魔導院は僕を保護すると決めた。
保護という言葉は便利だ。
扉の外に兵士を置き、外出に許可を求め、手紙を検閲しても、保護と言えば少し優しく聞こえる。
「逃げよう」
ミリアが言った。
その夜、僕たちは王都を出た。
王になるのが嫌で逃げる。
昔話なら、たぶん最後には王になる。
僕は昔話が嫌いになりそうだった。
第十四話 竜狩り
逃げて二日目、追手が来た。
王都魔導院の兵士ではなかった。
黒い外套を着た六人。顔を隠し、杖に銀色の輪をつけている。
『竜狩りだ』
竜がほとんど消えた今も、竜を殺す技術だけは残っているらしい。
人間は使わなくなった道具を捨てる。ただし武器は別らしい。
最初の魔法はヴァルへ向かった。
銀色の輪が空中で広がり、細い鎖になった。ヴァルの翼へ絡む。
僕の中で、何かが開いた。
『使うな!』
分かっていた。
黒月が反応する。
僕が消えるかもしれない。
それでも、目の前でヴァルが地面へ落ちるのを見て、僕は別のことを考えられなかった。
鎖よ、ほどけろ。
世界へ命じた。
銀の鎖は消えなかった。
代わりに、結び目だけがなくなった。
ヴァルが翼を広げた。
僕は少し驚いた。
山を消した僕なら、鎖そのものを消していた。
石を二つに分けた僕は、結び目を消した。
力が変わったのではない。
僕が、何を壊すべきか考えるようになった。
黒月が胸の奥で動いた。
痛みはなかった。
ただ、誰かが目を開けたような気がした。
第十五話 ヴァルガディオス
竜狩りを退けたあと、ヴァルは三日ほど喋らなかった。
怪我をしたからではない。
怒っていた。
「まだ怒ってる?」
『…………』
「肉、食べる?」
『食う』
怒っていても食事はするらしい。
焚火の向こうで、ヴァルは焼いた兎の肉を食べた。竜は生肉を好むと思っていたが、僕が焼くようになってから生では食べなくなった。
「贅沢になったね」
『誰のせいだ』
少しだけ機嫌が戻った。
僕は黒月が動いたことを話した。
ヴァルは長く黙った。
『我の名は、ヴァルガディオスではない』
「今さら?」
『名の一部だ』
竜の本当の名は、人間の言葉では発音できないらしい。音ではなく、魔力の形そのものだからだという。
『黒月の最初の守り手。それが我だ』
「墓を守ってた?」
『王を待っていた』
僕は焚火を見た。
「僕を?」
『違う』
ヴァルはすぐに言った。
『誰かを、だ』
数千年。
誰が来るかも分からず待っていた。
僕はヴァルが小さくなった理由を、初めて理解した。
力を失ったのではない。
使い続けたのだ。
待つために。
「ヴァル」
『なんだ』
「ありがとう」
『まだ何も終わっておらん』
「じゃあ予約」
『礼を予約するな』
焚火が小さくなった。
夜空には白い月があった。
僕には、まだ黒い月は見えなかった。
第十六話 帰る場所
学院へ戻る道は、行きより短く感じた。
実際の距離は同じだった。
帰り道というものは、一度見た景色を通る。次に何が現れるか知っているだけで、距離まで短くなるらしい。
ヴァルは馬車に乗らなかった。
『飛ぶ』
「飛べるの?」
『飛べる』
「行きは?」
『…………』
僕はそれ以上聞かなかった。
学院の門にはイリナ先生がいた。
「遅かったの」
「逃げてました」
「知っておる」
「王都から連絡が?」
「新聞じゃ」
翌朝の新聞には、僕の似顔絵が載っていた。
似ていなかった。
鼻が大きい。
「これなら見つからないね」
ミリアはそう言った。
少し傷ついた。
特別魔法科の教室は、出発した日とほとんど変わっていなかった。ガイルは逆立ちし、ユリウスは紙へ何かを書き、ノアは甲冑の中にいる。
僕の机にも埃が積もっていた。
指で一本の線を引く。
王都へ行き、黒月を知り、竜狩りに襲われた。
それでも僕の机はここにあった。
帰る場所というのは、待っている人がいる場所だと思っていた。
たぶん違う。
自分がいない間も、自分のための空間が残っている場所なのかもしれない。
僕は椅子を引いた。
少し軋んだ。
その音が、妙に懐かしかった。
第十七話 月が落ちる日
黒月が空に現れたのは、学院へ戻って七日目だった。
最初に気づいたのはセラだった。
昼休み、彼女は窓の外を見ていた。
「来た」
空には太陽があった。
その右側に、黒い円が浮かんでいた。
光を遮っているのではない。
そこだけ、空が存在していないように見えた。
学院中の人間が外へ出た。
街でも鐘が鳴っている。
誰も黒月という名前を知らないはずなのに、人は異常なものを見ると鐘を鳴らすらしい。火事でも敵襲でも竜でも鐘を鳴らす。鐘を聞く側は、結局外へ出て自分で確認しなければならない。
黒月はゆっくり大きくなった。
ヴァルが本来の姿へ戻った。
黒い翼が中庭を覆い、窓ガラスが震えた。
僕が森で会った小さな竜は、そこにはいなかった。
『レイン』
声が空気ではなく、胸の内側へ届いた。
『選べ』
「何を?」
『王になるか。黒月を閉じるか』
「閉じたら?」
『竜は二度と戻らぬ』
ヴァルも。
そう聞こうとして、やめた。
聞けば答えが返る。
答えを知らない間だけ、僕は選ばずにいられる。
けれど黒月は待たなかった。
世界は、僕が迷っていることに興味がないらしい。
第十八話 世界へ願わない
僕は黒月の中にいた。
地面はない。
空もない。
数え切れない竜がいた。
赤い竜。白い竜。海のような青い竜。山より大きなものも、ヴァルより小さなものもいる。
その全てが僕を見た。
王。
声ではなかった。
意味だけが押し寄せた。
僕は膝をつきそうになった。
王になれば力を与える、と竜たちは言った。
死者を戻せる。
山を作れる。
国を消せる。
僕は母の銀時計を思い出した。
鞄の奥に入れてある。
もし死者を戻せるなら。
その考えは、僕の中に自然に現れた。
自然に現れたからこそ、怖かった。
竜魔法は世界へ願わない。
命じる。
なら、僕の欲望を止めるものは僕しかいない。
「いらない」
竜たちが動いた。
「王にもならない」
世界へ命じる。
黒月よ、消えろ。
何も起きなかった。
当然だった。
僕は黒月を消したいわけではない。
ヴァルを消したくない。
死んだ竜たちを、なかったことにもしたくない。
僕はまた、世界へ嘘をついた。
第三話の石を思い出した。
壊す必要はなかった。
「分かれろ」
死者と、生者。
力と、記憶。
王と、僕。
黒月に一本の線が入った。
第十九話 黒い雨
黒月が割れた。
そこから落ちてきたものを、最初は雨だと思った。
黒い光だった。
光が黒いというのはおかしい。けれど他に言葉を知らない。夜の一部を細く切り、それを雨のように世界へ降らせたものに見えた。
黒い雨は森へ落ちた。
川へ落ちた。
学院の屋根へ落ちた。
人々は逃げた。
僕は動かなかった。
雨の一粒が手の甲へ触れた。
知らない景色が見えた。
赤い砂漠。
巨大な海。
空を飛ぶ感覚。
卵の殻を内側から割った朝。
僕の記憶ではない。
竜の記憶だった。
黒月は墓でも卵でもなかった。
たぶん、その両方だった。
死んだものは戻らない。
けれど、消えるとも限らない。
僕は母の顔を思い出した。
記憶の中の母は動かない。
いつも同じ年齢で、同じ声で僕を呼ぶ。
それでいいのかもしれない。
『レイン』
ヴァルが空から降りた。
身体は少しずつ小さくなり、僕の前へ着く頃には、森で会ったときと同じ大きさになっていた。
「残ったね」
『不満か』
「肉代が」
『王になれば金など――』
「ならなかったよ」
『そうだった』
黒い雨は朝まで降った。
世界中のどこかで、誰かが知らない竜の夢を見るのだろう。
それを少し羨ましいと思った。
僕はもう、十分に見た。
第二十話 ロウソク以下
黒月が割れてから三か月が経った。
クルド山は半分のままだ。
山は自然に戻らない。
僕が作り直すこともできた。
でも、やめた。
失敗を全部元に戻せるなら、人は失敗から何も持って帰れないような気がした。
学院の実習室で、僕は杖を握っていた。
三十人近い生徒がいる。
窓から春より少し暖かい風が入る。
「――ファイアボール」
杖の先に、親指の爪ほどの炎が浮いた。
誰かが笑った。
僕も笑った。
炎は小さい。
風が吹けば消える。
山も消せない。
世界へ命じることもない。
ただ、暗い場所なら少し明るくできる。
僕は三年間、この火を失敗だと思っていた。
たぶん、火は最初から何も失敗していなかった。
僕が別のものを期待していただけだ。
授業が終わると、ヴァルが窓から入ってきた。
『肉』
「昨日も食べたよ」
『毎日食うものだ』
「宝石は?」
『食わせる気があるのか』
「ない」
『なら聞くな』
僕は鞄を持った。
窓の外に半分の山が見える。
なくなった上半分の向こうには、以前より広い空がある。
あの日、僕は見えてはいけない空だと思った。
今も、そう思う。
見えなくてよかったものはある。
知らなくてよかったこともある。
それでも一度見てしまった空を、もう見なかったことにはできない。
「ヴァル」
『なんだ』
「帰ろう」
『肉は』
「帰ってから」
僕たちは教室を出た。
廊下の窓から光が入り、床に長い四角を作っていた。僕がそこを通ると影が一つ伸び、その横を小さな竜の影が歩いた。
僕には、魔法の才能がない。
少なくとも、人間の魔法については今もそうだ。
杖の先に作れる炎は、ロウソク以下。
それで困ることもある。
困らないこともある。
世界は、僕が思っていたより、全部を一つの才能で解決しなくても続くらしい。
ヴァルが先を歩いている。
僕はそのあとを歩いた。
今度は、山を消さないように。
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**美月ゆめか🌸の感想** うわああああもう読了したの!?!?😭💕 まずタイトルセンスが天才すぎて「魔法が下手すぎる僕は、ドラゴンだったらしい」…!伏線とか設定とか全部がエモすぎてもう叫びまくりました…!!✨ レインが「ファイアボール」で親指の爪ほどの炎しか出せないのに、実は世界を焼ける竜だったって展開、めっちゃグッときた…🔥🥺 > “親指ほどの火にも、届く場所があるらしい” この一文がもう刺さりすぎて記憶から消えないんだけど!?!?😭💘 それにヴァルとの関係性が尊すぎて…「予約ありがとう」「礼を予約するな」の掛け合いとかお腹いっぱいです……!(お米三杯いける) 黒月の伏線回収も含めて、全部が美しくて綺麗で…でもレインの「見えてはいけない空」とか、山の断面を「綺麗だと思った」とこで人間くさくて好きです📖💫 次の話も絶対読みます!!しらぬい先生、素敵な世界をありがとうございます…!!!⋆♡