砂浜に打ち上げられた流木に座りぼんやりと海を見ていた。波音の向こうで無邪気にはしゃぐ子どもの声が聞こえる。
その声が聞こえる方へ目をやると波打ちぎわで遊ぶ親子の姿が遠くに見えた。楽しそうな笑い声が響きわたっている。
「ここに居たんですね」
背後からシンが声をかけてきた。
「あぁ…」
親子から視線を外す事なく少し素っ気ない感じで湊は返事をした。
シンは隣に座ると流木に置かれた湊の手に手を重ね湊の見つめる視線の先にいる親子をシンも見つめた。
視界には微笑みながら見つめるシンの横顔が見えて湊は複雑な気持ちになった。
「可愛いですね…」
何気なく呟いたその言葉が湊にはツラかった…
気にしないように…気づかれないように…
「…だな」
ひと言返すのが精一杯だった。
「……」
湊の声に違和感を感じたのかシンは湊を見る。
反射的に顔を背けてしまった。
やばい……
訝しげな顔をするシンを誤魔化すように
「帰るぞ」
そう言って立ち上がる。
「湊さん……」
何か言いたげなシンを無視して歩きだす。
「置いて行くぞ…」
今、顔を見られたらまずい…感の良いシンならきっと気づいてしまう…。
顔を見られないように早歩きでシンから離れる。
「待ってください!湊さん!」
後ろからシンの呼ぶ声が聞こえるが湊は振り返りもせず歩いて行く。
店の閉店間際にシンが訪ねてきた。
「シン…どうした?」
「たまには閉店準備手伝おうかと思って…」
そう言いながら湊に近づいてくる。
「…悪いな。じゃ、洗濯機と乾燥機の中に忘れ物が無いか掃除しながら確認してくれるか?」
目を合わせないように散らかった漫画を片付けながら指示を出す。
「わかりました」
頷きシンは手早く蓋を開け中を確認しながら掃除を始めた。
片付けが終わると湊は今度はほうきを手に持ち掃除を始めた。
一つ一つ丁寧に作業をするシンの背を時折見ながら床を掃き始める。
「終わりました。他には?」
そう言って振り返るシンから目をそらす。
「……もうない。他は終わってるから…」
言いながらほうきの柄を強く握り
「シン…ちょっといいか…」
話があると、シンに座るように言った。
電気を消すと、窓から街灯の灯りが店内を照らす。
椅子を持ち、ベンチに座るシンの前に置くと湊も椅子に腰を掛ける。
「どうしたんですか…?」
いつもと違う湊の真剣な表情にシンは困惑していた。
「……」
「……」
「……」
目の前に座る湊をただじっと見つめる。
「湊さん…?話って……」
なかなか切り出さない湊にしびれを切らしシンから問う。
言い難そうな顔をした湊がやっと口を開く。
「………シン。お前…実家に帰れ…」
それは突然でシンには湊のその言葉の意味が理解できなかった。
「……えっ」
その後の言葉が出てこない。
「……別れよう」
「………」
唐突過ぎる湊の言葉に頭の中が真っ白になった。
今…なんて……?
全てを理解しようとするにはあまりにも衝撃的で残酷で非道な言葉だった。
「話はそれだけだ…」
そう言って立ち上がる湊を衝動的に掴んで乾燥機に押し付けた。
「なにすんだよっ!」
「それだけって…なに言ってるんですかあんたっ!」
口が…身体が…勝手に動く。
「実家に帰れ?別れよう?理由も聞かされず一方的に言われて、はいわかりましたって納得すると思います?」
「しねぇだろうな……」
「だったらっなんで?!」
湊は右上を見ると
「疲れたんだよ……」
「はっ……?」
「お前と居ると疲れんだよっ!お前はいつだって…今だってこうやってすぐ強引に…」
シンを睨みつけるが、すぐに目をそらす。
「それはあんたがっ」
「もう…いいだろ!いつまでもガキと遊んでる時間オトナにはねぇんだよ…もう終わりにしよう…」
天井を見上げながら湊は言った。
(また……)
「店閉めるからさっさと実家に帰れっ」
「湊さんっ」
「聞こえねぇのかっ?遊びの時間は終わったんだっ」
「遊び……?俺だってもう25です!子どもじゃありませんっ」
「へぇ25にもなって本気と遊びの区別もつかねぇなんてガキと同じじゃねぇか」
「俺との時間は遊びだったって事ですか?」
「お前がちょっとイケメンだから付き合ってやっただけだ。そろそろ飽きたからな」
「俺の事好きだって言ったのは…?」
「お前がしつこく俺の事好きだって言うから合わせてやったんだ」
「一生離さないって言ってくれたのは?」
「そう言えばお前が喜ぶからな」
「今までの事も全部嘘だったって事ですか?」
「そーだよっ!お前を…ガキをからかっただけなんだよっ」
「……ガキ……?」
呟くようにそう言うとシンは湊から手を離しうなだれながらドアに向かう。
「………」
そんなシンを湊は黙って見ている。
シンはドアの前で立ち止まった。
そして、思いついたかのようにドアに手をかけると
「俺が黙ってこのままあんたの前から居なくなると思います?」
そう言って手早くドアのカギをかけて、カーテンを閉めた。
「…おいっ」
シンは湊に駆け寄ると湊が首にかけているタオルを外し素早く湊の両手を掴みタオルで結びあげた。
「やめろって!シンっ!!」
「……」
暴れる湊を無視してシンは結んだ湊の両手を頭の上にあげ再び乾燥機に押しつけた。
「外せっ!!」
シンに抑えつけられた両手を必死に動かし抵抗する。
「……」
そんな湊の様子を湊の腕を抑えたまま黙って見ていた。
「シンっ!!」
睨みつけてくる湊に動じる事なく
「……嘘つき……」
冷静に言った。
「……」
「本当の事言ってください…」
「なに……言って…」
「疲れたから別れようなんてそんなくだらねぇ理由で納得するとでも思ってたんですか?」
「……」
「あんたが嘘ついているのなんかバレバレなんですよ…」
「嘘なんか…」
「俺がどれだけあんただけを見てきたかわかってるんですか?行動がワンパターン過ぎて笑える…本当にわかりやすい人ですね……」
「……」
「湊さん知ってますか?嘘つく時、人は右上を見て話すんです……湊さん話しながら右上見てましたよね…?」
「……」
「それからあんたは隠し事があると俺から目をそらす……気がついてないんですか?」
「たまたま……だろ……」
下を向きながらそう言った湊に確信を得たシンはさらに続ける。
「付き合って何年も経ってるのにまだ罪悪感があるんですか?」
「……」
「実家に俺の部屋はもうないんです。今帰っても実家(あの家)に俺の居場所はどこにもないんですよ…」
「……」
「一緒に居るのが疲れるのならアパートの隣の空いている部屋を借ります。でも……俺、別れませんから。絶対…」
絶対…シンがその言葉を使うと何を言っても無駄な事を湊はわかっていた。
別れを拒む事も。湊から離れない事も。
観念した湊は事の真相を話す覚悟を決めた。
「わかった…話すから。手、解け。痛い……」
湊の腕に巻きつけたタオルを解く。
自由になった腕を軽く振るう。
湊の腕をそっとすくい上げると、暴れた拍子にできたであろうタオルの跡が皮膚を赤く染め上げていた。
「ごめん湊さん…でもこうでもしないとあんたは俺の話なんか聞こうとしなかったから…痛い…?」
大切な人の身体に傷をつけてしまった事を深く反省した。
「大丈夫だから…俺も…悪かった……」
赤く染まった手首を擦りながら湊はベンチに腰掛けた。
その隣にシンも腰を下ろす。
「お前は笑うかもしんねぇけど…俺なりに真剣に考えたんだ…お前のこれからの事…」
「俺の…?俺達……じゃなくて?」
シンの言葉に湊は頷く。
「お前はもうすぐ卒業して医者になる。きっと今までとは比べ物にならないくらいたくさんの人と出会うだろう。色んな経験もするだろうし、今よりもっと世界が広がるはずだ」
「だとしても、別れる理由にはならないと思いますけど…」
「そうだな……」
「…………」
「この間海ではしゃぐ子供の姿を見てお前、可愛い。って言ってたよな?」
「…それは…」
「わかってる。お前は歳の離れた妹弟の面倒をみてきたからきっとそれと重なったんだって事くらい…でもな…」
「……」
「お前は俺とは違って同性が恋愛対象なわけじゃないだろ?望めば家庭を…家族を持つ事だってできる…」
「だから…?だから別れようって言ったんですか?あんた今まで俺の何を見てきたんだよ!何度も言いましたよね?俺は湊晃じゃなきゃダメだって!やっと…やっと手に入れたのに…あんたを手に入れる為に俺がどれだけ悩んできたのかあんが1番知ってるはずでしょ?なのにそんな理由であっさり捨てるんですか?」
「捨てるなんて…」
「それとも本当に俺の事嫌いになりました?」
「……」
「湊さん!」
「……」
「俺はどんな形でもいい。湊さんの隣に居たい。そばで支えたい。一緒に歩いて行きたい。隣で笑ってたい…湊さんじゃなきゃダメだ…あんたが隣に居ないなんて耐えられない…」
「……」
付き合うまでの10年。シンがどれだけ湊を想っていたのか湊は痛いくらいわかっていた…そして付き合ってからもその想いは変わらない事も…
どうにかしてシンの嫌いなところを探そうとしていた。
別れるには理由が必要だから。
それなのに…
「……見つからないんだ…」
「……?」
「どんなに考えても…お前を嫌いになる方法が見つからない…お前が笑う顔も眠ってる顔も困った顔も真剣な顔も喧嘩して怒った顔も…全部…全部が好きで…どうしようもないくらいシンが好きなんだって思い知らされた…」
顔ばっかりですね…そう言ってシンは笑った…。
「だったらなんで別れようなんて…」
「だからだよ…」
「わかりませんよ。好きなのに別れようなんて…」
「好きだから…なにより大切だから……だからお前には誰より幸せになって欲しいんだ…」
「なに言ってるんですか…?湊さんが隣に居てさえしてくれたら俺は幸せなのに」
「家族は作れない…」
「え……?」
「俺じゃ、お前の家族は作れない……どんなに身体を重ねても俺じゃ、お前の家族は作れねぇんだよ……」
最近湊の様子が可怪しかった理由がやっとわかって…シンはホッとした。
ホッとして…つい笑ってしまった。
「何がおかしいんだよ…」
少しムッとした顔をする。
「男が子供を産めない事くらい幼稚園児でも知ってますよ」
まだシンは笑っている。
「……」
黙る湊を真っ直ぐ見据えると急に怒った顔をして
「まだわかりませんか?くだらねぇって言っているんです!」
強めの口調で怒りをぶつけてきた。
「……はあ?!」
「幼稚園児でも知ってる事をウジウジと悩んでたんですか?そんな時間があるならもっと俺に構ってください!最近湊さん冷たいから倦怠期にでもなったのかと心配しましたよ」
「倦怠期って…何年付き合ってると思ってるんだよっ」
「そうですよ。6年です。今さらあんたは何言っているんですか?」
「俺は真剣に悩んで…」
「もういい加減諦めてください。俺は湊晃を手放すつもりはないです。一生。」
「……」
シンは湊の肩を掴むと
「家族なんていらない。湊さんが欲しい。湊晃だけで良い…だから…別れようなんて言わないで…湊さん。お願いだから……」
掴んだ指先に力が入る。声が震えている。
「俺から湊晃を奪わないで……」
「………」
弱るシンを見たのはあの時以来だ…
後悔の念に押し潰されそうになったのを今でも鮮明に思い出せる。
また同じ顔をさせてしまった。
シンの辛く悲しむ顔はもう見たくなかった筈なのに…
今にも泣き出しそうな顔で訴えるシンを湊はそっと抱きしめた。
「ごめんな…シン……好きになって……ごめん……」
好きになってごめん…なんて謝る必要ないのに…
どうしてこの人は…いつも自分の事を後回しにするんだろう…
「後悔していますか…?俺と付き合った事?」
湊は首を横に振る。
「出会わなければ良かったって…思った?」
「そんな事…思うわけない…」
「良かった…」
そう言って湊を強く抱きしめる。
「ごめん湊さん近くにいたのに…湊さんがこんなに悩んでいたのに…気づいてあげられなくて…ごめん」
「お前は悪くない…俺が勝手に悩んで…お前を傷つけた…」
「別れようって言ったのも…遊びだって言ったのも本心じゃない?」
「……あぁ」
「俺の事今でも好き?」
「…………好きだよっ!……誰にも渡したくないくらいお前の事っ…」
シンは湊に口づけた。
強く深く。
好きだ…。シンが…今でも。
あの時よりもっと…手放したくない程に…。
シンの首に腕を回しさらに深く口づけを交わした。
「湊さん…国家試験に合格したら俺のお願いきいてもらえますか?」
「慎太郎先生ありがとう」
小さな子どもがお礼を言って診察室を出て行く。
「先生。子どもに人気ありますね」
看護師が言った。
「歳の離れた妹弟がいるからかな…」
笑ってシンが答えた。
「午前の患者さんは以上になります。お疲れさまでした」
「お疲れさま」
聴診器を外して伸びをする。
「あの…来客の方がお見えですけど…」
もう一人の看護師がやってきてシンに言った。
「来客…?」
不思議そうにシンは首を傾げる。
「男性の方です。お知り合いですか?」
誰かはすぐに、わかった。
「すぐに行きます」
シンが立ち上がると
「午後の患者さんの名簿です。湊先生」
「わかった。ありがとう」
そう言って足早に去っていく。
誰もいなくなった待合室に
「よっシン」
湊が待っていた。
「晃さん!また偵察に来たんですか?」
「いや近くに来た…ついでに?」
「俺に逢いたくなったって素直に言えばいいのに」
「そんなんじゃねぇって…」
「心配しなくても俺は晃さんしか愛してませんよ」
「ば…ばかっ!こんな場所で変な事言うなっ!」
「俺は誰に聞かれても構いませんけど」
「ったく…」
「で?本当は何しに会いに来てくれたんですか?」
「昼めし一緒に食べようかと…」
「晃さんあそこのうどん好きですね」
「出汁が美味いんだよ!」
「ちょっと待っててください。財布取ってきます」
「いいよ。それくらい俺が出すから」
「今は晃さんより俺の方が稼いでいるんですから奢らせてください」
「そーでしたねっ。湊先生っ!笑」
早歩きで更衣室に戻るシンの背中を見つめる。
俺達は籍を入れた。
もちろん婚姻はできない。
だから、シンの提案で湊家にシンが養子で入るという選択をし家族になった。
それは国家資格を取得した後のシンからのお願いだった。
湊は反対したが、最後までシンは聞かなかった。
「今度、桜子の家に行きませんか?」
「産まれたのか?」
「朝、連絡ありました。男の子だそうです」
「いやー楽しみだなっ」
「桜子も晃さんが来るの楽しみにしてましたよ」
「可愛いんだろうな〜」
「晃さんの方が可愛いです」
「何と競ってんだよ、ばかっ。俺はもうアラフォーだぞ…」
「幾つになっても晃さんは変わらず可愛いです!」
「はいはい…笑」
こんな他愛のない日常がこの先もずっと…ずっと続くのだろう。
なんて…なんて幸せな時間なのだろう。
世界で1番大切な人が隣にいる。
ただそれだけでこんなにも幸せな気持ちになれる。
それを教えてくれたのは…シンお前だ。
辛く悲しい日々を忘れさせてくれたのも、こうやって、毎日笑って過ごせるのもお前が俺をずっと好きで居てくれたから…
ありがとう。なんて言葉だけじゃ足りない。
愛してる。
シン。
誰よりもお前だけを……
愛してる。
【あとがき】
『ずっとな』(ずっと隣で…) 特別編いかがでしたでしょうか?
過去のボツ作品読み返していたら、『ずっとな』の未来編で使えそうなのが出てきたのでリメイクしてみました。
本編読んでいない方はぜひ本編もどうぞ♪
最近はまた、みなしょー強化期間にはいってまして…3作品同時進行してました。笑
頭の中がぐちゃぐちゃです。笑
書き終わり次第順次投稿しますね。
それでは、また次回作でお会いできますように…
月乃水萌
コメント
9件
ハッピーエンドで終わってよかったです😍本当に最高すぎます♡♡ 何回も読みます💕
えーすごい!!本当に素敵なハッピーエンドですね🥹✨ このお話大好きでした!! 何回も読み返します🫶🏻