学校を襲った『第六階位』との戦いが終わったあと、後処理の人たちがすぐに来てくれた。話を聞いて駆けつけてくれたのは5人。だけど、小学校のほぼ全員が被害にあったと分かってからは一気に増えた。
警察と、救急。そして他にも記憶の操作など、事情を知っているほとんど全ての人間が集まったんじゃないかと思うほど学校には人が来た。色んなモンスターの後処理をやってきただろう手慣れた人たちが、それでも四苦八苦しながら児童たちを病院に連れて行くのを、俺はじぃっと見ていた。
ニーナちゃんに手を握られたまま、全てが片付いていくのを黙って見ていた。
邪魔にならないよう校庭の隅っこにある段差に2人で腰をかけて、まるで映画でも見るようにぼんやりと眼の前の光景を見ていた。
その間、俺はずっと無言だった。
俺はどう声をかけていいか、全く分からなかったのだ。
『イツキだけがいればいい』と言ってくれたニーナちゃんに。
それはおかしい、とか。俺だけがいても意味がない、とか。
そんなありきたりな言葉が届くとは思えなかったし、届くのであればニーナちゃんはあんなことは言わなかったと思うのだ。
だから、言葉に迷った。
そして俺はこうなるたびに、自分の前世を呪ってしまう。どうして俺は、あそこまでコミュニケーションを避けてきたのだろう、と。
俺が前世でやっていたのはコミュニケーションではなかったのかも知れない。眼の前にいる人が誰でも良い、味のない会話。学校でも、会社でも、俺がしていたのは世間話であって誰かと本当の意味で会話をしたことがあったのだろうか。
もし、そうではなくて。
俺が前世で誰かと語り合うことから逃げなかったとしたら。
ニーナちゃんに届けられる言葉を持っていたのだろうか。
なんて、そんな今更考えても仕方のないことを考えてしまう。
そうやって俺が意味のないことを考えている間も、ニーナちゃんはずっと俺の手を握っていた。
今まで、モンスターを祓う時にずっとそうしていたように。
これからもそうするのだと言うように。
そうして、まとまりのない思考を続けて……一体どれだけの時間が経っただろう。
校庭にいる人の人数が半分くらいになり、近隣の人たちが校門前に人だかりを作り始めた時……人混みを抜けて1人の女の人がこっちに歩いてくるのが見えた。
顔を見るまでもなく誰か分かった。イレーナさんだ。
どうやって俺たちを見つけたのかは分からないが、迷うことのない足取りで俺たちの前に立って……そして、勢いよく頭を下げた
「ありがとうございます、イツキさん」
それに俺が何かを言うよりも先に、イレーナさんは続けた。
「来たんですね、『マペット・ラペット・マリオネット』が」
「ま……何ですか?」
聞き取れなかったからもう一度聞いたら、イレーナさんは俺の胸ポケットを指さした。
俺がそこを見ると、ポケットから半分顔を覗かせている赤と、白と、緑が混ざりあった球。遺宝があった。
「そのモンスターの名前です。エドモンド……ニーナの父親を殺して、イギリスで『百鬼夜行カーニバル』を起こしたモンスターですよ」
「ニーナちゃんの記憶を封じるきっかけになった、モンスターですよね」
「えぇ。ニーナはもう……全てを、思い出したのでしょう」
イレーナさんの言葉に、俺はどう伝えるべきか迷った。
彼女のそれは思い出したというよりも……無・理・や・り・記憶を掘り起こされたという方が近い。
だけど俺が伝え方を迷っている間に、ニーナちゃんがぽつりと呟いた。
「……ぜんぶ」
その言葉で察したのだろう。
イレーナさんが、苦々しい顔を浮かべる。浮かべて、続けた。
「ニーナ。つらいと思いますが、今は……」
「ううん。つらくないわ」
ニーナちゃんが、はっきりとイレーナさんの言葉を否定した。
思ったよりも声が力強く、それに驚きを隠せない俺をよそに……ニーナちゃんは、軽やかな声で続けた。
「イツキがいるから、つらくないの」
「…………」
イレーナさんは、それに何も返さなかった。
それでも言葉を取り戻してすぐに、続けた。
「分かった。でも、ニーナ。今日は帰りましょう。これ以上、ここにいるわけにも行かないから」
「ううん。帰らないわ」
「……帰らない? ずっと学校に残るつもりなの?」
「違うわ。イツキと一緒にいるのよ」
その言葉にイレーナさんは少し思案するように眉をひそめる。
だが、ニーナちゃんはそのまま続けた。まるで、最初から答える内容が決まっているかのように。
「イツキは私を守ってくれた。助けてくれたのよ。だからもう、何も要らないの。全部要らない。家だって帰らないわ。イツキだけがいれば良いの」
その言葉をニーナちゃんが言った瞬間、イレーナさんが目を閉じた。
そして、答えることが決まったのだろう。再び目を開けると、そっとニーナちゃんに向かって手を伸ばして、短く詠唱した。
「『眠れ』」
その瞬間、がくん……とニーナちゃんの身体が前に倒れる。
だが、それをすぐにイレーナさんが抱きかかえた。ニーナちゃんの力が抜けて、握っていた手が俺のところからこぼれ落ちる。
「すみません、イツキさん。ニーナが迷惑をかけてしまって」
「ううん。僕は大丈夫。それよりも、ニーナちゃんは……」
「少し強引な手法ですが、今は眠らせた方が良いと思います。おそらく、急に思い出したことでパニックになってる恐れがありますから」
「でも、落ち着いていたけど……」
『パニック』が想像できなくて、俺がそういうとイレーナさんは静かに首を横に振った。
「衝撃を受けた心は、麻痺するんです。そして目の前の大きなものに飲まれてしまう。ニーナにとって、それがイツキさんだったのでしょう」
それは、そうなのだろうか。
「つらさは後になって、じわじわと響いてくるのです。だからこそ、私はニーナの記憶に蓋をしました。もう、使えないでしょうけどね」
「使えない……?」
諦めたように微笑むイレーナさんの言葉を、不思議に思って思わず問い返した。
それは魔法が使えないということなんだろうか。
それとも、何か他の理由があるんだろうか。
「記憶の封印は、子供には効果が薄いんです。覚えていることが大人に比べて少ないですから、忘却を記憶の海に隠すことが難しい。大人になれば、気がつけば忘れていることだらけですからね」
そう言って、イレーナさんはニーナちゃんを抱えたまま踵を返した。
「そして、一度魔法を破ったニーナは、これからももっと記憶の封印を破りやすくなる。そういうク・セ・がつくんです」
「……じゃあ、ニーナちゃんは」
「魔法を使わずに、自分の力で立ち上がるしか無いんです」
「…………」
それは、酷じゃないだろうか。
そう思ったけど、言葉にならなかった。
「イツキさん。失礼を承知で、お願いとなります」
「……お願い?」
「もし、ニーナが自分の力で立ち上がろうとした時……イツキさんの力を借りることはできますか?」
背を向けたままイレーナさんに聞かれて、俺は勢いよく頷いた。
「うん! 僕に出来ることなら、何でもするよ!」
「……ありがとう、ございます」
そして、イレーナさんは校庭から去る。
俺は1人校庭に残され……どうするべきかを少し迷い、でも、いつまでもそうしている訳にもいかないので教室にランドセルを取りに戻った。
俺は久しぶりに、胸にモヤモヤしたものを抱えたまま家についた。
そのモヤモヤは次の日にイレーナさんから電話がかかってくるまで、残っていた。