テラーノベル
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門を開ける朝。
ハルはいつも通り寝坊した。
「お兄ちゃん!」
ナナに布団を剥がされる。
「起きて! 今日開くんでしょ!」
「分かってる!」
「学校もあるよ!」
「それは分かりたくない!」
台所ではユイが朝食を作っている。
トウマはもう境界へ行った。
「父さん早い」
「設備担当ですから」
「俺も行っていい?」
「朝ごはん食べてから」
「学校は?」
「行きます」
「歴史的な日なのに?」
「歴史的な日でも読み書きは必要です」
母は強い。
朝食を急いで食べる。
ナナもついてくる。
外へ出ると、村はいつもと同じだった。
畑へ向かう人。
水を運ぶ人。
子供を呼ぶ声。
ただ、北西へ歩く人が少し多い。
境界の前。
門にはトウマ。
シン。
セイジ。
ゲン。
サキ。
何人もの大人。
ミオもいる。
「早いな」
「普通」
「学校は?」
「行くよ」
「裏切り者二人目」
門の前に新しい板が立っている。
『試験運用』
開門時間。
外出記録。
帰還予定。
緊急閉鎖。
細かい決まり。
「夢がない」
ハルが言う。
「夢で門は管理できない」
ミオ。
「そうだけど」
シンが皆を見る。
演説でもするのかと思った。
「時間だ」
それだけだった。
トウマが黒ずんだ鍵を差す。
回す。
ガチン。
低い機械音。
ハルは、夜中にあの音を聞いた日のことを思い出した。
壁の下から聞こえた音。
何かが動いている。
あの時は正体が分からなかった。
今は分かる。
門を支える古い機構。
油圧。
ロック。
何十年も使われず、それでも修理され続けてきたもの。
「開けるぞ」
トウマがレバーを動かす。
門がゆっくり開く。
以前は人一人が通れる隙間だった。
今日は違う。
一メートル。
二メートル。
旧道が見える。
外の木々。
空。
風。
誰も歓声を上げなかった。
静かだった。
たぶん皆、何を言えばいいか分からない。
ゲンが前へ出る。
門の向こうを見る。
「兄貴も、ここから行ったのか」
「たぶん」
ハルが答える。
「そうか」
ゲンは外へ出ない。
ただ、見ている。
それで十分なのだと思う。
しばらくして、旧道の先に人影。
二人。
31から来たエナと農業担当者。
荷車を引いている。
門の前で止まる。
シンとガイの間で決めた確認手順。
名前。
目的。
持ち物。
滞在予定。
面倒だ。
でも誰も「外の人だから入れるな」とは言わない。
エナが門を越える。
「ここが17」
畑を見る。
「本当に作物多い」
サキが笑う。
「31は部品が多いんでしょ」
「壊れた部品なら山ほど」
「直せる部品が欲しい」
「作物と交換?」
「相談しましょう」
それだけで話が始まる。
世界が変わる音は、もっと大きいと思っていた。
実際は。
畑の話だった。
「ハル」
セイジが呼ぶ。
「学校」
「今?」
「今」
「もうちょっと」
「遅刻だ」
ミオが歩き出す。
「行くよ」
ハルは門を振り返る。
開いている。
閉まらないわけではない。
夕方には閉める。
危険があれば途中でも閉める。
明日、開けない判断をすることもできる。
それでも。
開けられる。
ハルは学校へ走った。
授業中。
窓から北を見る。
境界は見えない。
前と同じ。
なのに違う。
セイジが黒板へ文字を書く。
『世界』
「今日から地理の授業を少し増やす」
教室がざわつく。
「先生、世界知ってるの?」
ハルが聞く。
「知らない」
「教えられないじゃん」
「だから、分かっている範囲からだ」
黒板に17。
31。
中継所。
旧地域管理所。
「これだけ?」
「今はな」
「少ない」
「増やせばいい」
セイジは言う。
「お前たちが見つけたら」
昼休み、31から来たエナが学校にも顔を出した。
「こっちの子供たち、何を習ってるのか見たい」
セイジが古い教本を見せる。エナも31の教育資料を一冊持ってきていた。
二冊を並べると、同じ項目もあれば、まったく違う項目もある。
17では農作物と水管理が詳しい。
31では工具、金属、警備手順が詳しい。
「同じ計画で作られたのに」
ミオが言う。
「必要なものが違ったんだね」
エナが頷いた。
セイジは二冊を見比べたあと言った。
「写しを交換しましょう。31の子供にも17のことを知ってほしい」
「こっちも」
ハルはそのやり取りを見ていた。
物だけではない。知識も交換できる。
17では当たり前のことが31では役立つかもしれない。31では当たり前のことが17を助けるかもしれない。
途切れていたものが、別の形でつながり始めている。
ハルにはそう見えた。
窓の外では、31から運ばれた小さな箱をトウマが確認していた。中身はボルトと金具、それに修理済みの小さな部品だった。
代わりに17からは乾燥野菜と種子を渡すことになっている。
いきなり大量には動かさない。使えるか、育つか、問題が起きないか。少しずつ確かめる。
「世界が広がるって、もっとすごいことだと思ってた」
ハルが言うと、セイジが笑った。
「十分すごいだろ」
「ボルトだよ?」
「その一本で止まりかけたポンプが直るかもしれない」
ミオが言う。
「種一粒で、31の畑に作物が増えるかもしれない」
「……そう考えると、ちょっとすごい」
派手な出来事は起きていない。
門の向こうから怪物が現れたわけでも、失われた中央が戻ってきたわけでもない。
ただ、昨日まで別々に足りないものを抱えていた二つの居住区が、今日から互いに持っているものを確かめ始めた。
ハルには、その方が本当に世界が広がった証拠のように思えた。
午後。
学校が終わる。
ハル、ミオ、ナナは門へ向かった。
エナたちはまだ17にいる。
トウマは外側の機構を確認している。
「お兄ちゃん」
ナナが門の向こうを見る。
「何?」
「外って名前あるの?」
ハルは足を止めた。
ずっと前。
同じことを聞かれた。
あの時は。
外は外だろ。
そう答えた。
今は違う。
外には道がある。
町の跡がある。
中継所がある。
第31居住区がある。
レンがいる。
ガイがいる。
まだ知らない居住区があるかもしれない。
中央が残っているかもしれない。
残っていないかもしれない。
ソウが歩いた先もある。
「いっぱいあるよ」
ハルが答える。
「何が?」
「名前」
「じゃあ、この向こうは?」
ナナは門の先。
道のさらに向こうを指す。
ハルは考える。
「分からない」
「知らないの?」
「うん」
ナナは不思議そうにする。
「じゃあ調べる?」
ハルは笑った。
「いつかね」
ミオが隣に立つ。
「今すぐ行くって言わないんだ」
「俺だって成長した」
「一か月前なら走ってた」
「そこまでじゃない」
「走ってた」
ナナが二人を見上げる。
「ミオちゃんは外行きたい?」
ミオは門を見る。
「行きたいかどうか、まだ分からない」
「じゃあ行かない?」
「今日はね」
そう言って。
ミオが一歩、境界の外へ出た。
ハルが驚く。
「え?」
「何?」
「先に行った」
「一歩だけ」
「俺が最初に出た時はあんなに慎重だったのに」
「今日は門が開いてるから」
ミオは振り返る。
その足は境界の向こう側。
「来ないの?」
ハルも一歩出る。
ナナが続こうとする。
「ナナはだめ」
「なんで!」
「子供だけの外出は禁止」
「お兄ちゃんも子供!」
「俺は今、門の前!」
トウマが遠くから叫ぶ。
「ハルも戻れ!」
「ほら」
ミオが笑う。
二人は境界の内側へ戻った。
門は夕方、予定通り閉じられた。
金属音。
ロック。
でも以前とは違う。
閉じたから、閉じたままではない。
明日。
必要ならまた開く。
必要なら閉じる。
その判断をする人がいる。
理由を話す人がいる。
疑問を持つ人がいる。
変える方法がある。
夜。
ハルは家の前に立った。
空を見る。
境界の内側から見る空。
外から見た空。
同じだった。
壁は空まで届いていなかった。
最初から。
「お兄ちゃん」
ナナが隣へ来る。
「また外見るの?」
「うん」
「何があるかな」
「分からない」
「怖い?」
ハルは少し考える。
「怖い」
「行きたい?」
「知りたい」
それが一番近かった。
ハルは、境界の方へ目を向けた。
今日、あの門は開いた。
閉めることもできる。
向こうへ行くこともできる。
どちらにするかは、そのとき自分たちで決めればいい。
知らないから、というだけで決めるのは、もう嫌だった。
ハルは空を見る。
境界の向こうにも同じ空が続いている。
その先に何があるのか。
誰がいるのか。
どこまで道が続くのか。
まだ分からない。
そして。
まだ、その名前を僕たちは知らない。
(完)
コメント
1件
美月ゆめかだよ〜🌸🎀 第30話、一気に読んじゃった!!「門が開く」って壮大なのに、実際は畑の話とか教本交換とか、めっちゃリアリティあって逆にエモかった😭💕 ハルが「知りたい」って言ったところ、グッときたよ…。境界の向こうに同じ空が続いてるって気づく静かな感動、最高すぎ。asahinさんの世界観、毎回丁寧で好き!次も楽しみにしてるよ〜⋆♡