コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
人は処刑台に立つ時、どんな気持ちなのだろう。僕はきっと、諦めにも納得にも近い曖昧な感情のまま首を差し出すと思う。そうして転がった頭部は、生きているのか死んでいるのかもよく分からない表情をしているのだろう。生き地獄で苦しむよりは余程マシかもしれない。
結局普通に目が覚めてしまって、何てことない顔で仕事を済ませて、一旦家に帰って冷たいシャワーを浴びてから、冷静に戦場に向かった。
このまま音信不通になることもできただろう。皆なら普通はそうするのだろう。でも僕にとっての普通は、わざわざ殴られに行くことだった。
辿り着いたはいいものの、覚悟が足りておらず、インターホンに伸ばす手が震える。いざ押そうとするや否や、勢いよくドアが開いた。マンションの階段を上ってくる音で分かったのか、ドアの前でずっと待ち構えていたのか、と上の空で考えている間にも、力尽くで腕を引っ張られ、玄関の廊下に押し倒されていた。早くも筋肉の違いを見せつけられたといったところか。
フローリングの床の硬さと冷たさが、一層修羅場感を演出している。
「本当に寝たんだな」
明の声は落ち着いていて、それが余計に恐怖心を煽った。夜なのに電気がつけられていない為、表情もよく分からない。
「うん」
短く返事をすると、間髪入れずに声が降ってきた。
「じゃあ俺とも寝れるよな」
まるでエロ漫画みたいな台詞だな、とまだ他人事のように思う。破綻した論理のまま滅茶苦茶にされそうだ。ここで受け入れるのは自分にとっても明にとっても間違っている。
「ごめん、それは無理」
起き上がろうとして、頭を押さえ付けられた。後頭部が痛い。それはそうだ。
「……暴力反対」
誰かさんの言葉を真似る。
「知ってる」
そう言いつつ、明は手を離さない。むしろ力がどんどん強まっていく。
「ぶん殴らないだけマシだと思え」
本気だ。頭が潰される。死にたくない、と怯える一方、いっそ脳ごと無くなればいいのに、とも思う。
でもそれで、本当にいいのだろうか。明への想いまで、無かったことにしていいのだろうか。
「……好きなんだよ」
自然と漏れ出ていた。不純な行為の上に、純粋な好意が立っていた。
「僕、明が好きなんだよ。本当に好きなんだよ」
なぜか涙まで出ていた。被害者ぶりたいわけではなく、ただ感極まっていた。初めて心からの告白ができていることに。
「好きだからだよ。好きだから狂うんだよ。傷付きたくないし、楽しいままでいたいし、矛盾したくないし、矛盾するくらいなら全部消したくなる。見ないふりとかできないんだよ。馬鹿正直なんだよ。ただの馬鹿なんだよ。こんな馬鹿とはどう足掻いても幸せになれないから、さっさと別れた方が身の為だと思……」
「そうだな」
身体が離れた。かと思うと、
「でも、俺も馬鹿なんだよな」
明が自分の頭をぶん殴った。訳が分からない。
「いやいや、え!?何してんの!?自分に対してなら暴力振るっていいって……それ卑怯だって!!」
慌てて起き上がる僕を、支えるように明が手を引く。今度は優しい力加減だ。優しすぎるくらいだ。
僕たちは同じ目線で向かい合って座る。角度が丁度重なり、ドアの四角い窓から差し込んだ月光に照らされる。
「俺もまだ、お前のことが好きだよ」
明も泣いていた。泣きながら笑っていた。
「俺も学生の頃、人の彼女寝取ったことあるよ。ゲイじゃないふりして、ゲイ弄りに加担したりもした。ただただ普通が羨ましかった。自分を偽りさえすれば普通になれると思ってた。でも──普通なんてものは幻想に過ぎなかった。恋愛は所詮ままごとだった。ままごとに狂い出したら、俺はもっと俺じゃなくなった」
不思議と月光があたたかく感じる。
「だから今度こそちゃんと自分の気持ちに向き合うことにしたんだ。人も自分も信じてみることにしたんだ。たとえ裏切られたって、好きなら好きで、たったそれだけでいいと思ったんだ」
涙ながらに意気揚々と語る明の姿が、あの時父親に向けて語っていた自分の姿と重なり、僕はただただ感動していた。涙でぼやけた景色もそのままに、ありのままの明をひたすらに目に焼き付けていた。
「……見過ぎだろ」
明に目を背けられて、我に返る。
「ご、ごめん」
「さては全然反省してないだろ」
「してます、めちゃくちゃしてます」
土下座しようとすると、「そういうこと言ってるんじゃなくてな」と首根っこを掴まれ、座り直させられる。
「お前さ、ちょっとは見ないふりしてもいいって。変で上等だって。てかそんなに自分のこと変だ変だと思ってたら、回り回って俺のこと傷付けてるからな」
「確かに……ごめ」
「もう謝らなくていいから」
明は月の下で、太陽のように笑った。
「俺は誰でもない、自分自身の為に、お前のこと好きでいるよ」
相変わらず無責任なことを宣言する。そこが明の一番好きなところかもしれない。僕は鼓動と体温が上昇するのを自覚しながら、「ありがとう」と笑い返した。
直後、明はよろけるようにしゃがみ込んだ。
「え、大丈夫?」
「やべ、ちょっと強くいきすぎたか……」
頭を抱えてうずくまる。大きい身体が一瞬にして小さく見える。簡単に壊れてしまいそうなほどに。
──その時、僕は初めて、明に心から触れたいと思った。
「馬鹿だなぁ……馬鹿は僕だけでいいのに」
明を優しく抱き締める。そして無防備な頭を、髪の流れに沿ってさらさらと撫でる。
明は何も言わない。何となくわざとな気もしたが、それも含めて乗ってやることにする。
「大丈夫、痛みはすぐ消えるから」
「……」
「痛いの痛いの、飛んでいけー」
「……やっぱ馬鹿にしてんだろ」
「何が。これはれっきとした治療法だけど」
「お前そういうの一番信じなさそうだろ……何なんだよほんと……」
明はますます項垂れる。楽しそうに。
僕はより丁寧に髪を撫で続けた。昔母親にこれをされた時は、確かに痛みが和らぐことはなかったけれど。
「今更だけど、僕も信じてみることにするよ。好きなものくらいはね」
ようやくあの時の自分を、よく頑張ったと認められた気がした。