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第5節 桐生百合香『その花を受け取ったら』―5―
逃げようと思えば、逃げられた。
わざと受け取らないことだって、出来たはずだ。
でもそうしたら、花束は地面に落ちてしまうかもしれない。
ひとり、ブーケを求める女性たちの群れから離れていたことが仇になってしまった。
色々考えていたら、身体が動かなかった。
そうして気が付けば、腕の中へ九本のチューリップが収まっていた。
「おめでとうございます!」
一瞬遅れて、周囲から歓声が上がる。
皆に手を叩かれながら、百合香はただ茫然とブーケを見下ろした。
ふわりと漂う、優しい花の香り。
――永遠に一緒に。
本来なら、幸せな意味を持つはずの花束。
けれど百合香にとってそれは、雄二と別れるための、最後の呪いだった。
(……そっか)
芽生はきっと、百合香にも幸せになってほしかったのだ。
悪意なんて、ひとつもない。
だからこそ、その優しさが苦しかった。
百合香はそっとブーケを抱き締める。
(これで、いいんだよね)
静かに、息を吐いた。
きっとこれが、神様からのお告げなんだろう。
(私はもう――雄ちゃんのそばに、いちゃいけないんだ……)
***
披露宴が終わったあと、迎えに来た佐山の車へ乗り込む直前、百合香は「あ、そうだ」と何かを思い出したみたいに小さく声を上げた。
バッグの中をごそごそと探ったあと、取り出したのは一台のデジタルカメラだった。
「佐山くん、これ……」
差し出されたそれを、佐山は戸惑ったように受け取る。
「デジカメ……ですか?」
「うん。相良さんと芽生ちゃんの写真、いっぱい撮ったの」
百合香はあえて目一杯嬉しそうに微笑んだ。
「雄相会のみんな、きっと見たがってるでしょう?」
その言葉に、佐山が目を見開いたのが分かった。
その反応だけで、佐山が百合香の意図を察したのだと分かる。
(泣いちゃ、ダメ……)
百合香は手指に力を込めると、穏やかに微笑んだ。
「ちゃんと、みんなに見せてあげてね?」
それから少し迷うように視線を伏せて、小さく付け足す。
「……雄ちゃんにも」
言った途端、胸の奥が、切ないぐらいにぎゅーっと締め付けられた。
本当は、百合香が一番相良たちの幸せそうな姿を見せたかったのは、雄二だった。
九本のチューリップを勧めたのも。
百合香へ「俺たちの分まで祝ってやってくれ」と頭を下げたのも。
全部、本気で二人を祝福していたからだと、百合香は知っていたから。
人前では片意地を張ってしまう雄二に、せめて百合香の前でだけは穏やかに笑って写真を眺めて欲しかった。
でも、その願いを叶えることは、いけないことだと百合香自身が決意した。
(ごめんね、雄ちゃん……)
佐山はデジカメを見下ろしたあと、ゆっくり顔を上げる。
「……本当に、俺が渡したんでいいんですか?」
その一言に、百合香はぴたりと動きを止めた。
一瞬だけ、沈黙が落ちる。
それから、百合香は困ったみたいに小さく笑った。
「……今さら佐山くんがそんなことを言って、私の決意を鈍らせるの?」
その声音だけで、佐山は押し黙ってしまう。
「すみません、百合香さん……。俺……」
百合香はブーケを抱え直しながら、ぽつりと口を開く。
「謝らないで? でも……代わりにもうひとつだけお願い、聞いてくれる?」
「……なんですか?」
「私の家に寄ったあと、帰らずにそのまま待っていて欲しいの」
バックミラー越しに、佐山がこちらを見る。
その目が、百合香の腕の中にある九本のチューリップへ向いた。
何かを言いかけて、だけど悟ったみたいに、佐山は小さく息を吐く。
「……分かりました」
どこか後悔を孕んだように聞こえる、静かな返事だった。
***
マンションへ戻った百合香は、大きな荷物を持ち出さなかった。
本当に必要なものだけ。
少しの着替えと、通帳と、身分証。
それだけを、小さな旅行鞄へ詰めていく。
そして最後に、棚の上へ飾ってあった小さな骨壺と、白猫の写真が入った写真立てを、そっと抱き上げた。
「……しろ、一緒に行こうね」
指先で白い陶器を撫でる。
雄二とともに、我が子のように可愛がってきた愛猫のお骨。この子だけは、置いていけなかった。
コメント
2件
そんなぁ、ゆりかさぁぁん!!
うわああ第八章第75話、めっちゃ切なかったよ〜😭💔 百合香さんが幸せのブーケを「別れの呪い」として受け取っちゃうとことか、佐山くんに「決意を鈍らせるの?」って言う台詞がもう…胸がぎゅーってなった。しろちゃんのお骨だけは連れて行くところ、雄二さんへの想いが溢れてて泣ける🥺 次どうなるか気になりすぎる!!