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(田圃。田圃。田圃)
紫雨は新幹線の変な匂いがする窓ガラスに顔を寄せ、外を眺めていた。
(田圃、田圃、山、田圃、田圃、山、田圃、田圃…)
「ねえ、新谷君」
行儀よく隣で足を揃えて座っている新谷を見る。
「東北って基本、田圃と山しかねえの?」
「はい」
「…………」
間髪いれずに答えた新人の頭を軽く叩くが、彼は瞬き一つせずに堪えた。
彼との間にあるひじ掛けに凭れるように顔を寄せ、まるで人形のように硬直した顔を見つめる。
「新谷君って、女装とか似合いそうだよね」
わざとどうでもいい話題を振ってみる。反応はない。
仕方なくやはり窓ガラスのに重心を移しながら、新谷側の膝を立てる。
「……女装、似合いますよ」
時間差で魂の籠らない返事が返ってきた。
「似合いますよって」
思わず吹き出す。
「もしかして経験済み?」
「はい」
相変わらず視線を合わせないまま新谷は答えた。
「高校の時、文化祭で無理矢理メイドの恰好させられました」
「マジで?」
頬杖をつきながら新谷をまじまじと見て想像する。
「女は嫌いだけど、それはちょっと興奮するな」
笑いながら言うと、新谷は口の端を少しだけ上げていった。
「他校の男子高生に拉致されて襲われましたけど」
「……マジで」
「はい」
「最後まで?」
「いえ。男だとバレて殴られました」
「………」
(……どこまでも不憫な奴……)
……しかし。
紫雨はまたどこまでも続く田園風景に視線を戻し、自分の高校時代を軽く回想した。
(俺よりはマシか……)
「ねえ、新谷君」
「はい」
「ゲイって生きにくいよね」
「そうですね」
だいぶ重い意味合いを込めたつもりだが、心ここにあらずの新谷には届かなかったらしい。
「新谷君が女だったらさ、美智さんなんかどうでもいいはずなんだよ。篠崎さんに好きって言って、なんなら、“あたしの方が篠崎さんのこと好きだもん!あたしの方が幸せにできるよ!”とかなんとか健気なこと言ってさ、かっさらっちゃえばいいだけでしょ」
「…………」
これまで空返事を繰り返していた新谷がやっと黙った。
「君が、篠崎さんに告白しないのは、篠崎さんのこと困らせたくないからでしょ?部下として可愛がってくれている篠崎さんをがっかりさせたくないからだよね」
新谷は、前席のシートを眺めていた2つの目をやっと紫雨の方に向けた。
「可愛がってくれてます、よね。篠崎さん」
「え、今更そこ?」
思わず立てた足で新谷の膝を蹴った。
「可愛がってるでしょ~。はたから見たら溺愛レベルだけどね。あの篠崎さんがだよ?つっても知らないだろうけど。あの人、本当に新人に冷たいんだから」
「わからなくもないです。初めは凄く怖かったんで……」
その時を思い出しているのか、新谷が少し目を伏せて微笑んだ。
(……馬鹿だなあ。そんな顔するくらい好きなのに……)
紫雨は心底呆れて目を細めた。
「美智さんて……」
新谷はその視線のまま、口を開いた。
「綺麗でしたね」
紫雨はため息をつきながらまた重心を窓に戻し、いつの間にか降ってきた雨が真横に線を描く窓を見た。
「知らねぇ。美人なんじゃねえの?俺は、ゲイだから良さはわかんねえけどな」
前の席に座っていた女性の2人組が、その言葉に反応して、シートとシートの間から紫雨を盗み見た。
小さくキャーキャーと騒いでいる。
(なんだよ。そんなに珍しいか?)
基本的に自分に対する視線の意味に鈍感な紫雨は、シートを蹴り上げるべく立てた足を振り上げた。
「どこがいいのか、俺にもさっぱりわかりませんでした」
紫雨の足を抑えながら、新谷が微笑んだ。
「ゲイなので」
前席の女性たちがますます驚いて、今度は遠慮なく少し立ち上がって新谷を振り返る。
紫雨は抑えられた足を下ろすと吹き出して笑った。
新谷も吹き出す。
「せっかくだから、キスでもしとく?」
「それこそ今更でしょう」
顔を真っ赤にさせながら口許を覆う女性たちを見て、2人はまた笑った。
男たちの笑い声は、静かな客席の中で響いていたはずだが、気圧変動のせいか、いくら声を上げても紫雨の耳にはよく聞こえなかった。
改札を抜けると、新谷は肩から掛けたウエストポーチから、ソレを取り出した。
「どうすんの、それ」
紫雨は何でもないことのように聞きながら、ポケットからキャデラックの鍵を取り出した。
「きっと約束通り、俺や紫雨さんの名前は書いてないと思うので、そっと篠崎さんのデスクに入れておこうかと」
「……それ、怖くない?」
「怖い……ですけど。でも部下におせっかい焼かれたのがわかれば、嫌がると思うので」
「そりゃあそうだけどさ」
紫雨は頭を掻いた。
「まあ、俺なら、元客だし?適当な理由を見つけて、預かったって言ってもいいけどな」
「…………」
新谷は一瞬考えたのち、首を振った。
「いえ、これ以上紫雨さんを巻き込むわけにもいかないので」
(………すげー今更なんだけど)
駅裏の駐車場に停めたキャデラックはやけに目立っていた。
紫雨がキーを押すと、それは黄色のウインカーを2回光らせた。
時庭展示場につくと、社員駐車場には全く車が停まっていなかった。
水曜日。
大抵の住宅メーカーは休みだ。
そうでなくても展示場自体が2棟しかないため、時庭ハウジングプラザは静まり返っていた。
「誰もいない、ですよね?」
新谷は身を乗り出して、人影のない遊歩道を見回した。
「パッと行って、サッと置いてきます!」
新谷はソレを握りしめると、キャデラックの重くて厚いドアを開けた。
「……いってらっさい」
一つの迷いもなく展示場に走っていく新谷をバックミラーで眺めながら、紫雨はため息をついた。
「………ドМヤローめ」
新谷はあっという間に事務所の外階段を上げると、ドアを開けて中に入っていった。
「?!」
バックミラーに写る小さな後ろ姿を見ていた紫雨は慌てて振り返った。
「……なんで事務所の鍵、開いてんの?」