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10.潔世一は分からない。
「第二グループ、入場して下さい。」
スピーカーから響く音声と同時に目の前のドアが左右に開いた。
「…糸師、冴。」
そう名前を呟くと冴の耳には届いたのかボールを転がして位置へと歩き出した。
先頭に立つ凛が冴からのボールを足で止める。
その後に続くようにして俺たちは冴のもとへと歩き出した。
緊張したぴりつく空気は重く、今までにないほどの威圧感があった。
その空気は凛と冴の睨み合いを見守る他の奴らも感じているはずだ。
「それでは今回の簡単な内容を説明します。」
奥から歩いてきたアンリさんがタブレットを手に説明をし始める。
「まず、糸師冴選手との一対一でのシュート対決を行う。1人2ターンを繰り返します。一回のシュートで10点。冴選手を抜くことができたら5点。ボールを奪われるとその時点で終了。その合計点が高いチームが勝利とします。」
アンリさんの説明が終わると凛は低い声で不機嫌そうに口を開いた。
「チーム同士で争えって言ってんのか。糸師冴はその抗争のjokerとでも言うのかよ。」
「そうなりますね。今回の目的は糸師冴選手との1on1。技術力向上と現在地の確定です。自分の能力を理解し現実と向き合う。今回の課題に糸師冴選手との特別な関連はありません。」
凛は小さく舌打ちをすると冴を睨んだ。
冴はというとすました顔で髪をかきあげる。
「凛、今日の1on1はチャンスだ。冴との直接対決だろ。何が不満なんだよ。 」
「…お前は黙ってろ。」
1on1は別室の内室コートで行われ、その他の選手は1ターンの自分の出番以外はまた部屋のスクリーンで様子を見ることができる。
「それじゃあまず最初、誰から行きますか?」
「…俺がいく。」
アンリさんの問いかけに一番早く立ち上がったのは凛だった。
凛の表情は暗く前髪のせいでよく見えない。
角度的にも凛の表情が見えたのか氷織が手を挙げて立ち上がった。
「僕がいくよ。凛くん、今の状態で行ってもベストは尽くせんと思うしな。」
「あ”?すっこんでろ下手くそ。」
「凛くん、様子見としてまずは見送ろう。君からしたらよく知る相手でも僕たちは初。凛くんが負けたら自信だってなくなるよ…ッ!!」
頭を抱えて時光が丸まった。
その横で蟻生が前髪を踊らせて決めポーズを決めているのは無視していこう。
「…俺が負けたら自信がなくなる。他の人間で実力を様子見するやつが世界一になれるほど甘くはねぇよ。ぬりぃ夢見てえなら帰れ。」
「凛ッ…!」
抑えていた気持ちが耐えきれずに思わず声を出してしまった。
黒名に手を引っ張られてやっとそのことに気づいた。
「氷織、行け。早く。」
黒名が代わりに声を出して氷織のもとへと歩くと背中を押した。
強引な形で氷織が部屋から出ていった。
「…何勝手なことしてんだ、チビ。」
凛は余計に感情的になり黒名の胸ぐらを掴んで壁に叩きつけた。
氷織の後を追ったアンリさんはもういない。
今度こそ止める人はおらず俺は凛の肩を突き飛ばした。
凛が反対側の壁に向かってよろけ、手をつく。
「…だよな、サッカーは団体競技じゃねぇ。個人競技だろ。お前らも薄々気づいてんじゃねえのかよ。主役にはなれねぇ。喰らいついても振り落とされる。たった一時の主役で満足するくらいで世界一を名乗れると思うな。」
黒名がシャツの襟部分を伸ばして服を簡単に整えると澄ました顔で凛を見た。
「気づいてんのはお前だろ。気づかないふりをするのは楽しいか。弱さと向き合うのが怖いか。下の奴らを見下して優越感に浸るお前こそ世界一、舐めてんのかよ。」
黒名の口調は淡々としていた。
普段と変わらない話し方と態度、でもその背景には威圧感と強い想いが見え隠れする。
誰も話せない空気の中、凛と黒名の声だけが交互に飛び交う。
絵心もこの部屋の状況をカメラから見ているはずなのに止めない。
「お兄ちゃんの背中追いかけて、1人でゴール決める事しかしたことないから怖いんだろ。みんなに支えられて繋ぐゴールがな。」
「1人で決められたら充分だ。第一パスで繋ごうとする時点で負け確なんだよ。」
「ストライカーに自分勝手はいらない。誰かを追いかけるサッカーじゃ勝てない。」
「第一活躍すらしてねぇお前に何が分かるんだよ。冴は、糸師冴は簡単には落とされない。」
「…だからお前が行くって言ってるのか。」
「…俺があいつの弟で居る限り、俺は強くなれない。1人でいることでしかサッカーを心から愛せない。」
凛は声を余計に荒げた。
止めようと試みていた俺と時光も手を離してしまう。
凛の目は涙は出ていないもののどこか闇を感じさせるほどに潤んでいる。
泣きそう…というよりも壊れそう。
ガラスのように繊細で誰よりも糸師冴を追いかけるストライカー。
気がつけば凛の頬に手を伸ばしていた。
「潔くん…?」
時光が俺の名前をゆっくりと呼んだ。
「俺には分からない。お前の見えてる景色とかお前が背負ってるものとか。」
なんで俺…泣いてんだ。
喉の奥が引っかかって言葉が上手く出てくれなかった。
涙が邪魔で何も見えない。
歪む凛の表情を見つめることもできない。
混乱する凛の頬を包み込んでそっと顔を近づけた。
「いさ…ッ」
凛の言葉が途切れる。
時光が「えええ…え!?」と驚く。
黒名はきっと呆れたようにそっぽを向いているような気がした。
「オシャだが絵心が見てるぞ。多分。」
そっと目を開けて凛と目を合わせると同時に試合開始のホイッスルが鳴り、モニターに氷織と冴が向かい合うように映っていた。