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「いらっしゃいませ」
林が言うと、細越は吹き抜けの玄関ホールに垂れ下がるシャンデリアを見上げた。
「おお、すごいね」
言われた新谷が苦笑いをする。
「やっぱり俺が奥さんなんだ」
「え、嫌ですか?」
「そんなことないわよ、あなた!」
「どうぞお上がりください」
6組並んだスリッパから、2人がランダムに履くものを選び、
「えー、すごーい」
「きれいだねー」
などと言いながらリビングに入っていくのを見ながら、林はスッと乱れた他のスリッパを直した。
「洋風の建物なのかな」
「そうね。映画に出てきそう~」
上機嫌の“夫婦”についていく。
アプローチにはいくつかの拾うべきワードがある。
まずは『高そう』
ここから客の予算と、経済状況、支払いプランを探ることができる。
あとは『広い』
ここから客が想定している坪数、住む人数を聞くことができる。
『涼しい』もしくは『温かい』
断熱性、気密性、光熱費、床暖房。
『湿気』
断熱性、24時間熱交換付き換気システム。
『採光』
窓を大きくとれる耐震性。
窓の断熱性、耐久性。
『引き渡し、工期』
土地の有無。新築か建て替えか。
(――さあ。どれでも……こい……!)
林が2人を見つめると、殺気を感じたのか、奥様の方がビクッと振り返った。
「――でも、あれじゃない?私たちの雰囲気に合わないんじゃない?」
「お洒落すぎてなぁ」
旦那様も苦笑いをする。
「やっぱりさっきの展示場みたいな感じがうちらには合ってるよね」
「ああ、無難なところで、な」
「失礼ですが…」
林が後ろから声をかける。
「さっきの展示場とは、どちらの展示場ですか?」
2人が振り返る。
「ええと、何ハウスさんだっけ?」
「芦屋工務店さんじゃなかったかな」
細越が、東日本を中心に展開しているハウスメーカーの名前を言う。
「芦屋工務店さん、ですか?」
「ええ、和モダンな感じが、素敵よね」
「和モダン、ですか―――」
和モダン?
その単語にそれ以上の言葉が続かない。
(なんだ、和モダンって。なんでもモダンってつければいいと思って……)
言ったきり黙り込んでしまった林に細越が気を遣う。
「なんか最近ってフローリングの家が流行ってるじゃないですか。僕らそういうのよりは、和室が好きで。育った家が古かったからかもしれないですけど、あの薄暗い感じが落ち着くんですよね」
出た。
キーワード。『採光』
しかし――――。
(薄暗い部屋が好き、だと―――?)
予想外のことを言ってくる細越のことを思わず睨む。
「……和室って落ち着くわよね。セゾンさんの和室が見たいわー」
固まってしまった林に、新谷が助け船を出す。
「あちらにございます」
林が手で示すと、夫婦は「行ってみよう」といって、今入ってきたばかりのリビングを抜けた。
仕方なくついていくと、ドアのところで腕を組みながらこちらを見ている紫雨と目が合った。
(―――やばい。このままじゃ…)
林はその脇を通り過ぎ、夫婦の後から和室に入っていった。
「すごい。本格的な和室だねー」
床の間を見ながら細越が目を丸くする。
「そうですね。こちらは書院造という形式の和室になっております」
すかさず林が言うと、新谷が振り返る。
「書院造って何ですか?」
林は一つ咳ばらいをすると、話し出した。
「書院とは、床の間、違棚(ちがいだな)付書院(つけしょいん)、帳台構(ちょうだいがまえ)の座敷飾りを備えた部屋のことです」
言いながら、一つ一つを手で示す。
「床の間は武具を置く場所、違い棚は文具を納める場所、付書院は読み書きをする机、帳台構は寝室へとつながる扉の名残です」
「へえ」
新谷が素の声で和室を見渡した。
「和室は、やはり落ち着きますよね。私も好きです」
林は息をつきながら言った。
言葉に乗せて知識をある程度出すと、不思議と胸のつかえや焦りが消えた気がした。
大丈夫だ。
自分には知識と、それを伝える語彙力が―――。
「あー、でもこういうのじゃないんだよなー」
細越の肩を紫雨が掴み、和室から引っ張り出した。
「もっと今風のって言うんですか?こういう本格的な和室は求めてなくて。やっぱり和モダンがいいんすよね」
夫に成り代わった紫雨が挑戦的な目でこちらを見上げる。
「―――なるほど。もっとシンプルで簡易的な和室がいいということですか?」
林が言うと、紫雨は鼻で笑った。
「……ええとそういうことでしたら、お客様の好きなように、いかようにでもできますよ。当社なら」
林が言うと、新谷が場をとりなすように言った。
「いかようにでもできるって。すごいわね、あなた」
しかし紫雨はにこりとも笑わない。
「注文住宅なら当たり前だろ。そこら辺の大工でもできる」
「――――」
「あー、でも和室の匂いって素敵よねー」
黙り込んだ林に、新谷が尚も助け船を出す。
「落ち着くっていうかー」
紫雨がやっと“妻“を振り返る。
「ああ。い草の匂い、好きなんだよ。俺」
これは………引っかけだ。
林は紫雨を睨んだ。
「――それでは」
林は口を開いた。
「床暖房を採用していないメーカーをお勧めします」
いつか、紫雨に言われた言葉を思い出し、そのまま口にしてしまった。
「――――」
新谷が凍り付く。
「―――ありがとうございます。勉強になりました」
口元に不気味な笑みを讃えたまま、紫雨はパチンと手を叩いた。
◆◆◆◆◆
「まず基本的なところ」
紫雨は低い声を出した。
「客が乱したスリッパ。揃えなくていい」
「―――え」
これには細越と金子も視線を上げた。
「なぜですか?」
「いいか。展示場の中は鏡だらけだと思え」
紫雨は他の3人に視線を移した。
「シューズクローク、収納扉、腰板に至るまで、磨いたものはすべて反射している。全部お前らの姿が映っているんだぞ」
「―――なるほど」
「自分たちが少し乱してしまったスリッパを営業マンが直してたらどうだ?申し訳なく思うだろ」
紫雨は林に視線を戻した。
「客は夢を見るために展示場に来てるんだよ。気を使わせてどうする」
「すみま……」
「次」
紫雨はため息をつきながら林の後ろに回った。
「こんな真後ろからついていく営業なんかいるか」
「え」
林は眉間に皺を寄せた。
「でも、客の前に立つなと、新人研修で…」
「だからって真後ろに立てと習ったのか?」
紫雨の声が真後ろから響いてくる。確かに威圧的だ。
「――いえ…」
言うと、紫雨が足音を立てずに回り込んできた
「斜め後ろでも、横でも、斜め前でもいい。客の進路を妨害しない位置で、常に客の視界に入る位置にいるんだよ」
「―――はい」
視界に入ってきた紫雨は、睨むでもない、微笑むでもない、何とも言えない顔でこちらを見つめている。
この金色の瞳の奥にあるものは―――。
失望と―――軽蔑だった。
「それでさ、お前、和モダンって知らねぇの?」
紫雨が無表情のまま言う。
「あまり聞いたことが―――」
「住宅雑誌、ハウスメーカーニュース、見ねぇのか?お前は」
紫雨が林の言葉を遮っていった。
「ここ5年くらい前から頻繁に取り上げられるようになったワードだ。
日本人が古来から慣れ親しんできた伝統的な和のデザインと、現代欧米のモダンデザインを融合させたスタイルの総称。この言葉にピンとこないなんて、住宅営業として致命的だぞ」
紫雨はそこで初めて林を睨んだ。
「簡易的?シンプル?――ふざけんな」
「―――」
「何が“いかようにでもできる”だ。なんで客が住宅のデザインを考えなきゃいけないんだ。好みに合わせて提案すんのが俺たちプロだろうが!」
「――――っ」
その通りだ。
「“勉強になりました”」
紫雨は林を睨んだまま続けた。
「俺は、今まで自分の客に言われたことがなかったから、ピンとこなかったけどな。この言葉は、客の意向も聞かず、自分勝手に話したいことだけ話した時に言われる、最低の言葉なんだそうだ」
「――紫雨さ……」
新谷が間に入ろうとするが、紫雨は止まらない。
「この言葉を言いたくなる客の気持ちが、今日はっきりわかったよ。こりゃあペナルティもなるべくしてなったって感じだな」
「紫雨さん!」
「教えてもらわなかったから?アプローチ練習をつけてもらえなかったから?ふざけんなよ。お前、今まで一度だって俺に行ってきたことあるか?教えてくださいって。アプローチ練習に付き合ってくださいって!そうでなくても4年間も俺のアプローチを聞いてればこんな接客しねえだろって言ってんだよ!」
「紫雨さ……」
「辞めちゃえば?この仕事に向いてないよ、お前」
「ちょっと!」
新谷が叫ぶのと、林が踵を返すのは同時だった。
和室を抜け、廊下を通り、事務所に入る。
スリッパを履き捨て、サンダルに足をつっかけると、林は外に飛び出した。
(―――わかってた)
いつの間にか、走り出していた。
遊歩道には管理棟から流れてくるクラシックが響き渡っている。
(―――わかっていた、けど…!)
林は走りながら目を瞑った。
(……あなたが、それを、言うのか……?)
ドンッ。
誰か大きい人とぶつかった。
走っていて勢いがあったのはこっちなのに、林は跳ね返されて、後ろにひっくり返った。
「――どうした」
その低い声に林は顔を上げた。
「お前って、人並みに走れるんだな」
そこには喪服に身を包んだ、篠崎岬が立っていた。