コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
夜の山は、息を呑むほど静かやった。
虫の音も、獣の足音も、まるで全部が封じられたように。
俺――威風(いふ)は、うっすら目を開けた。
小屋の隅で、柔らかい光が揺れている。
狐火。
それを灯しているのは、俺の横で座っている御狐様――無李子(ないこ)や。
「……起きたのじゃな」
「お前、ずっとおったんか……」
「妾が離れたら、そなたはまた狙われるじゃろう?」
ないこは淡々と言うけれど、尻尾はぴたりと俺に寄り添ったままや。
まるで俺を包み込むように。
昨夜、影に襲われたあと、俺は知らぬ間に寝落ちしてしもうて……
気づけば、ないこが朝まで見張ってくれていたらしい。
「……悪いな」
「謝る必要はない。そなたは妾のもの……守るは当然のことじゃ」
またその言葉や。
前よりも、ずっと重く聞こえる。
「なぁ、ないこ」
「なんじゃ?」
「昨日言うてたやろ。俺を“引き寄せる”って。何をや?」
ないこは伏し目がちに目を細め、ゆっくりと立ち上がった。
狐火がふわりと衣の影を伸ばす。
「来い。見せたい場所がある」
そう言って、ないこは山の奥へと導いていった。
*
朝霧が立ち込める獣道を抜け、さらに奥へ進むと――
そこには、古い祠があった。
岩に苔が生え、木々に抱かれるように佇む小さな祠。
誰も手入れしてないのに、不思議と廃れた感じはせえへん。
ないこはその前に立ち、俺に目を向けた。
「威風。そなたはなぜ“忌み子”と呼ばれたと思う?」
「……分からん。産まれたときから白い靄があったとか、なんとか」
「その靄こそが、そなたの“力”じゃ」
ないこは祠を撫でるように手をかざし、言葉を続けた。
「そなたの力は、霊を呼び、寄せ、見抜く。
それは本来、御狐の眷属(けんぞく)にしか宿らぬ力」
「……眷属?」
「そうじゃ。妾のような存在に仕える者のこと。
本来は狐の血が混じって生まれる。
だが、そなたは“人”の身でありながら、それを持ってしまった」
俺の心臓が強く打った。
「……じゃあ、俺は……狐やないのに、そんなん持ってもうたから?」
「村の者は恐れたのであろう。だが妾からすれば――」
ないこは俺の頬に指を触れた。
「それは、とても愛しい。
そなたは“妾に選ばれた存在”なのじゃから」
「……選んだ覚えなんて、俺にはないで」
「選んだのは妾じゃ」
はっきりと、揺らがず言い切るその声が、背中を震わせた。
俺を村が忌んだ理由は分かった。
でも俺を助けたのも、守ったのも、いつもないこや。
どっちが正しいとか、もう分からん。
「ほれ、祠を見よ」
ないこに促されて石段を上がり、祠を覗き込んだ瞬間。
胸の奥が痛むほど熱くなった。
中には、古い絵が残っていた。
そこには、ひとりの少年と――白く輝く狐が描かれていた。
少年の姿は、どこか俺に似ていた。
「これは……?」
「数百年前、妾が初めて契りを結んだ“眷属”の姿じゃ」
「……死んだんか?」
「うむ。妾を守ってな」
静かに語るないこの声は、どこか哀しげやった。
「妾はそれからずっと、眷属を持たぬままおった。
しかし――そなたが現れた」
ないこは俺をじっと見つめる。
「朽ちた祠に、かすかに残った契りの紋。それに反応して生まれたのが、そなたの力じゃ」
「……じゃあ、俺がこうなんは……」
「“運命”じゃよ。
そなたは妾のもとへ戻ってきた。
それだけのことじゃ」
胸がぎゅっと詰まった。
「なんで……そんな運命なんかに……」
「嫌か?」
「嫌やない……ただ、分からんだけや」
俺の答えに、ないこの目が細くなる。
微笑みかけてくるような、不安そうでもあるような。
「威風。妾はな、孤独であった。
山に縛られ、祠に縛られ、
ただただ時だけが過ぎていった」
ないこの瞳は淡く滲んだようにも見えた。
「そんな妾の前に、そなたが現れた。
泣きそうな顔で、傷だらけで、
それでも生きようとする小さな忌み子が」
白い狐耳がふるりと揺れた。
「妾はその瞬間、理解したのじゃ。
――“ああ、やっと戻ってきたのだ”と」
俺は息を呑んだ。
「もう二度と離れてほしくない。
妾は傲慢で、欲深く、執着深い。
そなたが妾から離れることが、何より怖い」
「……ないこ」
ないこは一歩近づき、俺の胸元を掴んだ。
指先が震えている。
「妾は、そなたを妾の眷属に戻したい。
そなたの力も、心も、命も……全部妾に預けてほしい」
その言葉は甘い毒みたいに身体に沁みた。
「でも、眷属って……」
聞き返そうとした瞬間。
風が唸った。
背後の木々がざわりと揺れ、黒い影がいくつも現れた。
「なんや……また影か!?」
「違う。これは……もっと強いものじゃ!」
ないこは一瞬で表情を変え、狐火を強く灯した。
「威風! 妾の後ろに!」
俺は咄嗟にないこの背中へ回り込む。
影は祠を包むようにうねり、叫ぶように形を変えた。
「これは……妾を封じるために、むかし人が作った呪霊じゃ。
祠が壊れれば、妾の力は消える!」
「それを守るために……今まで一人で?」
「妾の力だけでは、もはや足りぬ。
本来なら眷属と共に力を合わせるべきなのじゃ」
ないこは振り返り、俺を真っ直ぐ見つめた。
「威風。妾を助けてほしい。
そなたの力を……妾に貸してくれぬか」
胸が熱くなる。
怖い。
逃げたい。
でも――
ないこが俺を必要としている。
その事実が、何よりも重かった。
「貸すとかやない……」
俺は自分の胸に手を当て、白い靄を呼び覚ます。
「俺は、お前のもんなんやろ?
なら……一緒に戦うわ!」
俺の言葉に、ないこの瞳が揺れた。
「……威風。そなたは本当に、妾を……」
「話はあとや! 来るで!」
影が一斉に襲いかかる。
ないこが狐火を放ち、俺は白い靄を広げてそれを押し返す。
「威風、そなたの力を重ねよ!」
「分かった!」
ないこが俺の手を取り、指先同士を重ねる。
その瞬間、狐火と白い靄が混じり合い、眩しいほどの光になった。
「これが……!」
「二つの力が重なるとき、眷属の契りが成る!」
光が爆ぜ、影が焼き払われていく。
大地が揺れ、祠が軋む。
「もう少しじゃ、威風!」
「うおおおぉぉ――!」
最後の影が消えた瞬間、光が空へ昇り、霧となって散っていった。
静寂。
俺は膝をついた。
ないこも疲れたのか、俺の肩へ寄りかかってきた。
「……助かった、のか?」
「うむ。そなたのおかげじゃ」
ないこは俺の肩に額を寄せ、ふっと息を吐いた。
「威風。これで……もう逃さぬからな」
「……は?」
ないこは俺の胸元にそっと唇を寄せた。
その場所が、熱く、痺れる。
「今、契りの印をつけた。
そなたは正式に……妾の眷属じゃ」
「な、なんや勝手に……!」
「嫌か?」
ないこの目は、泣きそうな、でも笑っているような、複雑な色をしていた。
「……嫌やない」
「そうじゃろう。妾も、嫌ではない」
ないこは俺を抱きしめた。
狐耳が俺の頬に触れてくすぐったい。
「威風。これからもずっと、妾の側におれ」
「……しゃーないなぁ」
「ふふ……強がりめ」
ないこは満足そうに尻尾を揺らした。
祠を守り、影を払い、
契りを結んだ俺たちは、山の新しい主と眷属になった。
忌み子と御狐様。
人と妖。
奇妙で、少し歪で、でも確かに繋がった絆。
そしてこの先、どんな未来が待っていても――
俺は、ないこの手を離さへん。
「……これからよろしくな、ないこ」
「うむ。妾の愛しい眷属。
ずっと一緒じゃ」
こうして、
「忌み子」と呼ばれた俺の物語は、
御狐様と共に歩み始めた。
end_.