紗理奈が流産してから2週間、直哉は一人で悲しみに浸るしかなかった
なぜなら紗理奈はずっとふせって何も食べず、直哉が何を言っても、放っておいてくれとしか言わなかった
直哉はすっかり当惑しきって傷つき、もう彼女にかける言葉も、何をしてあげたらいいのかもわからなくなっていた
こんな風に完全に直哉をシャットアウトするような、紗理奈は初めてで、直哉はそんな態度を取られるとパニックになった
そして彼女は海辺の家へ帰してくれと泣いた、それだけは絶対ダメだと直哉は頑なに拒否した
こんな状態の彼女を一人になんてしたら、何をするかわからない絶対出来ない
ここでならアリスもお福さんも、彼女を見守ってくれる人がいるので日中は仕事に出れる
「今は・・・とてもお悲しみになられてると思いますが、奥様はとてもしっかりしたお人ですから、じきに回復なされますよ・・・私達はそう信じて待ちましょう・・・ 」
そう直哉に言うお福の目にも涙が光っていた
そうは言われても、直哉はどうしたら彼女の心を開けるのか、わからず途方にくれていた
夜抱きしめて眠っても、花を贈っても、まるで魂はどこかへ彷徨い、紗理奈の抜け殻だけが残っているかのようだった
赤ん坊を失ったショックがあまりにも大きすぎて、彼女はもう永久に立ち直れないのではないかと思うほどだった
直哉は困り果てて、ある日ネネ婆さんを母屋に連れて来た
..:。:.::.*゜:.
「おばあちゃんっ!!」
「はいよ」
ネネ婆さんの姿を見るなり紗理奈は
ベッドから飛び起きネネ婆さんに飛びついた
温かい祖母の膝にすがりついて紗理奈は大泣きした
正座したネネ婆さんは
号泣する紗理奈の頭を膝にのせ
うんうんといつまでも泣く
紗理奈の髪を優しく撫で続けた
直哉は二人っきりにしてあげようと
そっとドアを閉じた
.:*゚:.。
「いつまでそうしてるつもりなんだい?
可哀想にナオが真っ青になって心配してるよ?」
ずいぶん経ってからネネ婆さんは
優しく紗理奈に言った
ヒック・・・・
「誰とも話したくないの・・・・」
「困った子だね・・・
お前が話したくなくてもナオや
ここの牧場の人達はお前が元気になるのを
望んでいるんだよ?」
「元気になんかなれないわ
何度も何度も考えるの・・・・
あの時のアレが悪かったのかな?とか・・・
あの時こうしていればとか・・・
色々考えて考えて結局最後はここにたどり着くの」
突然紗理奈がここ二週間心に閉じ込めて来た
激しい思いが絶望的な力によって
押し上げられてきた
その悲痛な叫びは爆発のように
紗理奈の自制心を失わせ
嗚咽を漏らして悲鳴のように訴えた
ヒック・・・うっ・・うっ
「わ・・・私が・・・高齢だからっ・・
子供を産むには
年を取り過ぎているんだわっっ・・・」
ひ~・・・と
紗理奈は子供が悲痛な叫びをあげるように
ネネ婆さんの膝に突っ伏して
ますます泣きじゃくった
「何を言ってるんだい・・・・
自分を責めちゃいけないよ
そんなことを考えていたのかい・・・ 」
ネネ婆さんが小さくため息をついた
「いいかい?紗理奈・・・・
お前はまだ30歳だ
そりゃ戦後の日本の様に栄養失調で
人がバタバタ倒れている時代じゃ
そうだったかもしれないけど今の栄養過多の現代でお前は高齢には当てはまらないよ」
もう涙は枯れ果てたと思ったのに
悲しみで心が引き裂かれる
紗理奈は泣きながらネネ婆さんの話を聞いた
「あたしゃ今まで何百人と言う赤ん坊を
取り上げて来たけどお前よりももっと高齢で
元気な子を産んだ例もあれば20代前半で
まったく健康な女が子を流した事もあるんだよ
自然はまったく予期亡き事をするもんだ
誰のせいでもないんだよ」
さらにネネ婆さんが優しく言った
「そして一度流産したからといって
二度と妊娠出来ないというわけでもない」
うっ~・・うっうっうっ・・・
「おばあちゃん・・・・ 」
「生きてれば辛いことはそりゃぁ沢山あるさ
特に女は我が子が先立つ事ほど悲しいことは無い
誰もが身を切る思いをするもんだよ」
ネネ婆さんが穏やかに言う
「それでもね・・・・紗理奈・・・
希望を持って生きていこうじゃないか
お前には今部屋の前をウロウロして
お前を死ぬほど心配してる
あの男前がいるじゃないか
決して一人ではない
さぁ・・・涙をお拭き・・・
あたしの可愛い孫や
忘れもしないよ・・・・
お前が生まれた時大空に虹がかかったのをね 」
紗理奈は黙ってネネ婆さんのいう事を聞いていた
ネネ婆さんの言葉がスッと空っぽになった
紗理奈の心に染み入った
不思議な事に荒れに荒れ狂っていた悲しみは
ネネ婆さんのおかげで落ち着いてきた
薄い小さなネネ婆さんの手が
傷を癒すように優しく
紗理奈の背中を撫でる・・・
小さな頃からこうされると
何かエネルギーを注がれているような気がして
安心したものだ
「さぁ・・・その子を供養してあげようね
母と子の繋がりは強いものでね
水子は母親がこの世であまりにも嘆き
悲しんでいたらあの世に旅立てないんだよ」
ヒック・・・・
「そうなの? 」
ネネ婆さんが紗理奈の部屋に入ってきてから
初めて顔をあげて祖母を見上げた
しわくちゃの顔に瞳だけはキラキラと見つめている
「ああ・・・キチンと供養して
天国で楽しく暮らしてねと(※廻向えこう)の
想いを手向けてあげないとね
(※仏教用語で死者の冥福を祈ること)
その子は水谷のお墓に入れてあげるのはどうだい?
うちなら亡くなった爺さんもいるし
ご先祖様も沢山いるからね
あたしも見に行ってあげれるしね 」
ネネ婆さんの一言でとても紗理奈は心が軽くなった
あまりの悲しみで自分の事しか見えていなかった
今の私がマルちゃんに出来る事は
ちゃんと供養してあげる事・・・・
本当にそうだ
ほんの一瞬でもマルちゃんがいてくれて
私は幸せだった・・・
出来ればこの手で育ててあげたかったけど
それが叶わないのなら・・・・
せめてマルちゃんにはあの世で
幸せになってほしい・・・
またボロりと涙がこぼれ落ちた
ネネ婆さんが鼻に当ててくれた
ティッシュで鼻をかみ
震えながらため息を一つ漏らして
ネネ婆さんの肩にもたれた
ずっと髪を撫でられるネネ婆さんの手からは
癒しのハンドパワーが出ている気がした
ひと撫で・・・
ひと撫でされる度に
なんだか心の底から希望が湧いてくるような気がする
目を閉じると真っ暗闇だったのに
どこか光が射すのを感じた
「死者を思う気持ちも分かるけど
やはりこの世は生きている者で
成り立っているものさ・・・・
紗理奈・・・・
お前はまだ若い
諦めるのは早すぎるよ
ここの人はみんなお前が元気になるのを
願っているよ」
「これから・・・どうすればいいのかしら・・・」
紗理奈が呟いた
「いつも通りに・・・・
一緒にご飯を食べて
一緒に寝て、一緒に過ごすんだよ
何よりそれが大切さ
あの男前はあんたを愛してるよ
仏様のお恵みがあれば
お前達にもう一人授けて頂けることだろうね」
ネネ婆さんはとても優しい声で言った
「それでも人生は続くものさ」
:*゚..:。:.
.:*゚:.。
ネネ婆さんが帰った後
直哉は紗理奈に夕日を見ないかと誘った
直哉と紗理奈は手を握り合い
母屋のポーチのベンチに座り
じっと動かず
しばらく何もしゃべらず沈み行く夕日を眺めた
何時間もそうしていたような気がする
夕方の秋を思わせる涼風が二人の想いを乗せ
木々を揺らした
その木々のざわめきもどこか喪失と
別れを悼んでいるように聞こえた
本来なら・・・
もうすぐこの牧場に赤ん坊の声が響くはずだった・・・
「寒くないか?」
直哉がつぶやき
自分が来ていた作業ジャンバーを
半袖姿の紗理奈の肩にかけた
そして自分の肩にもたれるように引き寄せた
彼のジャンバーが肌寒いと感じていた紗理奈に
彼の肌のぬくもりを連れて来た
二人はそうやって
しばらくただ夕日に照らされ
一つのシルエットになっていた
やがて彼がポツリと言った
「ゴメン・・・・」
「どうして謝るの?」
抑揚のない声で紗理奈は聞いた
「ずっと考えていた・・・・
妊娠初期は気を付けなきゃいけないのに
俺は・・・我慢できずに・・・その・・・
何度か君を抱いた 」
「そんなことが原因じゃないわ・・・」
「でもっ―」
「ナオ」
紗理奈は直哉の顔を見て言った
「私達・・・・離婚しましょう」
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