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「僕は人間になかなか上手く化けられなくてさ。
いろいろ苦心していたときに、山で、とある男に出会ったんだよ。
その男に、もうこの顔はいらないからあげようかと言われたの。
それでその顔に化けてみたら性に合ったんだよね」
「そ、その人はどうなったんですか?
今、何処に……」
「さあねえ。
顔はもういらないって言われても、付け替えてあげるわけにもいかないしね」
そのまま何処かに行っちゃったよ、と高尾は言う。
「それ、最近の話ですか?」
「十年か二十年前?
いや、もうちょっと昔かな。
僕はこう見えても若いからね」
狐の若いの基準がわからないんだが……。
「じゃあ、冨樫さんじゃないですよね。
冨樫さんは今もあの顔だし。
なにより、そんな昔じゃ、まだ子どもだったでしょうからね」
「そうだね。
今の僕の姿は、あの頃のその人そのままだから。
人間なら、二十代か三十代だったのかな。
あ、そういえば、この顔で行かない方がいいって言われた場所があるんだけど」
「何処ですか?」
「山を東に下りてまっすぐ先の鉄砲町ってとこらしいよ」
「……此処ですかね?」
「そうなの?」
と言ったが、高尾は特に気にしている風にもなかった。
まあ、鉄砲町の角を曲がったら此処に出るだけで、此処が鉄砲町じゃないもんな、と思う。
そのとき、小柄なおじいさんが入ってきて、隅にあるあずきの袋を手に取った。
おはぎなんかも置いてあるのだが、その横に上新粉とかあずきとか白玉粉とかも置いてあるのだ。
「やあ、いらっしゃい」
と高尾がそのおじいさんに話しかける。
「また買ってくの?」
と訊いていた。
「やっぱり、これがないと落ち着かなくてねえ」
とおじいさんは笑っている。
「寒いから、ぜんざいとかですか?」
と壱花が訊くと、
「いやいや、洗うんだよ。
一日一回やらないと落ち着かないんだよねえ」
と言っておじいさんはあずきを買って、去っていった。
「……もしや今のは」
「あずき洗いのおじいさんだよ。
最近は人間に変化して、団地に住んでるらしいんだけど。
やっぱりあずき洗わないと落ち着かないみたいで、台所でザルに入れたあずきを洗ってるらしいよ。
まあ~、一回人間の暮らしに慣れたらねえ」
冷暖房完備の方がいいし、と高尾は言う。
「そ、そういうものなんですか」
と言いながら、
まあ、お年寄りだと寒さがこたえるだろうしな、と壱花は思う。
でも、高尾さんもそうだけど、あやかしの年齢ってわからないからなあ。
意外とああ見えて、おじいさん、私より若いのかもしれない。
……っていうか、あずき洗いって生まれたときからおじいさんなのだろうか、と思いながら、今、おじいさんが帰っていったガラス戸の向こうを見る。
「そういえば、昨日、誰かが店を覗いてて入らなかったって、狸の人が言ってたじゃないですか。
疲れ果てて此処に迷い込んだはずなのに、なにも買わずに。
……それって、もしかして、冨樫さんなのかなあって思ったんですけど」
此処で倫太郎と一緒にいるところを見たから、あんなことを言い出したのかと思ったのだが。
「でも、それなら、どういうことなんだって訊いてきますよね、きっと」
と壱花は首をかしげる。
「まあいいじゃん。
他の男の話は。
今日は倫太郎も来ないし、朝まで二人で店番しようよ」
「あ、社長」
そのタイミングで、ガラス戸の向こうに倫太郎の姿を見つけ、壱花は声を上げた。
「……仕事熱心なやつだなあ」
と高尾がおかしな文句をつける。
「早いな、壱花」
と入ってきながら言う倫太郎を見ながら思っていた。
距離を置こうと思ってたのに、と思いながらも、社長の顔を見たら、なんだかホッとしてしまった、と。
……まあ、どのみち顔は見ることになるんだけど。
社長が此処に来ていてもいなくても、朝には、社長のベッドに転移しているから。
そうか。
冨樫さんに、朝、社長のマンションから出てくるのを見られたのかもしれないな、と壱花は思った。
私はあの部屋に転移しているんだろうか。
ベッドに転移しているんだろうか。
ベッドなら社長にあのベッドを売ってもらって、うちのアパートに置いておけば社長に迷惑かからないかな。
いや、社長も此処にいるときは、あのベッドに飛ぶようだから同じことか。
っていうか、あんなでかいベッド、うちの玄関入らないしな~っ、といろいろ考えていたのだが。
壱花の推測は、結局、どれも違っていた。