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312
み ん と
「いずみーっ!」
教室の後方で弾けた声に、橘花 圭は反射的に視線を向けた。
そこにいたのは、同じクラスの出水 公平。
中学からの腐れ縁。
目に痛すぎない金髪と、
猫みたいに細い目が印象的な男。
「頼む!ノート見せてくれ……!」
「あー?お前それ何回目?」
呆れたように笑いながら、
出水は机の上のノートを放った。
「……ったく。泣いて感謝しろよ?」
軽薄そうに見えて、面倒見がいい。
誰とでも距離が近くて、
気づけば自然に輪の中心にいる。
そういうところに惹かれる人は、 多分少なくない。
——だって、私もその一人だから。
「いずみん、私もノート撮っていい?」
「んー? いいよ」
「あ? お前女子にだけ甘くね!?」
教室に笑いが起きる。
圭は机に突っ伏したまま、小さく息を吐いた。
自然に隣へ座って、
当たり前みたいに笑って、
さらりと優しくする。
出水 は、そういうことを無意識でやる。
「……お前また寝てたの?」
ふいに近くで声が落ちた。
顔を上げれば、いつの間にか前の席へ座った出水がこちらを覗き込んでいる。
長い指先が、跳ねた髪をつついた。
『触んな。しね』
「言い過ぎだろ!」
『ごめん、心の声漏れてた』
「物騒すぎんだけど」
呆れたように笑う声。
視線がぶつかる。
その瞬間だけ、教室の喧騒が少し遠くなった気がした。
圭は慌てて顔を逸らす。
——こういうところが、ずるい。
「いちごミルクまだある?」
『自販機、売り切れてた』
鞄の横から紙パックを取り出しながら、圭は首を傾げた。
『……飲みかけだけど、いる?』
「……いや、お前のはいいや」
一瞬だけ間があった。
圭は小さく目を伏せる。
『そーですか』
他の女の子からは、平気で一口貰うくせに。
比べるたびに思う。
出水の自分への扱いは、雑だ。
中学の頃からずっとそう。
遠慮なく踏み込んできて、
からかって、 笑って、
女扱いなんて、ほとんどしない。
——きっと、異性として見られていないんだろう。
そう思えば楽になれるはずなのに。
その距離感が心地よくて、
時々、息が詰まるくらい苦しかった。
『図書委員やっと終わったぁー』
ふぅーと鞄を背負い直し、
薄暗くなった空を見て目を細めた。
私の帰路は街灯が少なく、道も狭い。
なるべく早く帰ろう。
少し早歩きで校門を通ろうとすると、聞き馴染みのある声が私を呼び止めた。
「おい」
『っうわぁあ!?』
『…ってなんだ出水か…吃驚したじゃん』
「それはこっちの台詞な」
人の驚く様子を見てニヤニヤするな、悪趣味め。
『てか今日、部活オフじゃないの?』
『米屋のこと待ってるの?』
「…あいつはさっさと帰った。」
『え、なら』
「いいから帰んぞ。」
都合が悪くなったのか、出水は私のスクバをひょいと持ち上げて先にスタスタと歩いて行ってしまった。
『え?ちょっと!』
「…送るって言ってんの」
薄暗い中でも分かるほど、振り返った出水の耳は桃色に染まっていた。
校門を出ると、空気は昼間よりずっと冷えていた。
湿った風が頬を撫でる。
もうすぐ降るな、と圭はぼんやり思った。
その少し前を歩く出水は、圭のスクールバッグを肩に引っ掛けたまま。
『……返して』
「やだ」
『なんで』
「重いから」
『いや私のだし』
「知ってる」
会話が雑。
でも、不思議と沈黙は苦にならなかった。
一定の歩幅。
隣を歩く気配。
時折吹く風に混じる柔軟剤の匂い。
中学の頃から、ずっとそうだった。
どれだけ他人に囲まれていても、
出水公平の隣だけは妙に落ち着く。
だから困る。
「今日さ」
前を向いたまま、出水が口を開く。
「やたらあいつと一緒いたじゃん」
『……あいつ?』
「二組の。背高いやつ」
圭は瞬きをした。
ああ、昼休みに話していた男子のことか。
『あー、委員会一緒の人』
「ふーん」
『……なに、その反応』
「別に」
絶対別にじゃない声だった。
圭は思わず笑ってしまう。
『なに、嫉妬?』
その瞬間。
出水の足が、ぴたりと止まった。
数歩先で立ち止まった背中に、圭もつられて歩みを止める。
薄暗い帰り道。
街灯がぽつぽつと灯り始めている。
出水はゆっくり振り返った。
いつもの軽い笑みが、少しだけ薄い。
「……したらダメ?」
低く落ちた声に、心臓が跳ねた。
どくり、と嫌な音を立てる。
そういうことを。
そういう、期待してしまうことを。
どうしてこの人は、こんなにも簡単に言えてしまうんだろう。
圭は慌てて視線を逸らした。
『……出水って、ほんとずるい』
「は?」
『なんでもない』
歩き出そうとした、その時。
ぽつり、と頬に冷たいものが落ちた。
「あー、降ってきた」
次の瞬間には、雨粒が一気に地面を叩き始める。
『うわ、最悪っ』
「走るぞ」
手首を掴まれる。
熱い。
雨で冷えた皮膚の上で、そこだけ熱を持っているみたいだった。
商店街の軒下へ駆け込む頃には、二人とも肩が濡れていた。
「……傘」
『学校』
「俺も」
『えぇ……』
顔を見合わせて、どちらからともなく笑う。
雨脚はどんどん強くなっていく。
アスファルトを打つ音がうるさいくらい響いて、 狭い屋根の下へ二人を閉じ込めていた。
圭は濡れた前髪を指で払う。
その横顔を、出水がじっと見ていることに気づかないまま。
「……風邪ひくぞ」
『出水こそ』
「俺は丈夫だし」
『何それ、意味わかんない』
くす、と小さく笑う。
その笑顔を見た出水が、少しだけ目を細めた。
何か言いたげに唇が動く。
けれど結局、何も言わなかった。
その沈黙が、妙に苦しかった。
圭は耐えきれなくなったみたいに口を開く。
『……出水ってさ』
「ん?」
『好きな子とか、いんの』
雨音が、一瞬遠くなる。
出水は驚いたように目を瞬かせたあと、ふっと笑った。
「なに急に」
『いや、モテるし』
「まあ?」
『うざ』
「褒めたのお前じゃん」
いつもの軽口。
なのに。
「……いるよ」
不意に落ちた声だけが、ひどく真面目だった。
圭の呼吸が止まる。
『……へぇ』
「なにその反応」
『別に』
今度は圭がそう返す番だった。
胸の奥がじわりと痛む。
聞かなきゃよかった。
なのに出水は追い討ちみたいに笑う。
「知ってるやつ」
その一言に、また期待してしまう。
馬鹿みたいに。
圭は唇を噛んだ。
——だから、やめてほしいのに。
雨は弱まる気配を見せなかった。
商店街の屋根を激しく叩く音が、会話の隙間を埋めていく。
圭は視線を落としたまま、濡れたスカートの裾を指先で摘んだ。
“知ってるやつ”
その言葉が頭から離れない。
期待したくない。
でも、期待してしまう。
出水は昔からそうだ。
言葉の端に、熱を滲ませる。
そのくせ決定的なことは言わない。
「……帰る?」
不意に落ちた声に、圭は顔を上げた。
「雨、ちょいマシになったし」
『……うん』
本当はもう少しここにいたかった。
でも、この空気に耐えられるほど器用でもない。
出水は再び圭のスクールバッグを肩へ引っ掛けると、何も言わず歩き出した。
その横顔を盗み見る。
濡れた金髪。
伏せられた睫毛。
気怠げな目元。
やっぱり格好いいな、なんて。
諦めようとしてる相手に思う感情じゃない。
帰り道は妙に静かだった。
いつもならどうでもいい話をして、
笑って、 揶揄って、
気づけば家の近くまで来ているのに。
今日は違う。
“好きな子”
その言葉が、二人の間に薄い膜みたいに張っていた。
やがて信号待ちで足が止まる。
赤色が濡れた道路に滲んでいる。
「……圭」
不意に名前を呼ばれて、肩が揺れた。
下の名前。 しかも、こんな静かな声で呼ばれるのは珍しい。
『なに』
「最近なんか避けてる?」
息が止まりそうになる。
圭は咄嗟に笑った。
『気のせいじゃない?』
「ふーん」
納得してない声だった。
けれど出水は、それ以上追及しなかった。
青信号が点滅する。
歩き出した瞬間、出水がぽつりと零す。
「俺なんかした?」
その声音があまりに自然で、
あまりに困ったようで、
圭は胸が痛くなった。
違う。
出水は悪くない。
勝手に好きになって、
勝手に期待して、
勝手に苦しくなってるのは自分だ。
『……別に』
「それ絶対別にじゃないやつ」
『出水にだけは言われたくない』
「は?」
しまった、と思った時には遅かった。
出水が足を止める。
圭もつられて立ち止まった。
雨上がりの夜風が、濡れた髪を揺らしていく。
「……なにそれ」
低い声。
圭は目を逸らした。
『なんでもない』
「なんでもなくねーだろ」
『……』
「圭」
その呼び方がずるい。
優しく名前を呼ばれるたび、
期待してしまうから。
圭はぐっと唇を噛んだ。
もう無理だった。
『出水ってさ』
声が少し震える。
『そうやって誰にでも期待させるよね』
空気が止まった。
出水が目を瞬かせる。
『優しいし、距離近いし、 変に意味深なこと言うし』
「……は?」
『でも結局、本気じゃないじゃん』
出水の表情がゆっくり消えていく。
圭はもう止まれなかった。
『好きでもないのに、期待させないでよ』
言った瞬間、喉が熱くなる。
最低だ。
こんなの、ただの八つ当たりだ。
それでも一度溢れた感情は止まらない。
『こっちは諦めようとしてるのに』
静寂。
雨音だけが遠くで鳴っている。
出水は何も言わなかった。
その沈黙が怖くて、
圭は耐えきれず踵を返す。
『……もう帰る』
「圭、」
呼び止める声を振り切って、走った。
これ以上ここにいたら、
本当に全部バレてしまいそうだった。
背後で出水が何か言った気がした。
けれど振り返らなかった。
振り返ったら終わる。
きっと泣いてしまうから。
雨上がりの空気は冷たく、走るたび肺が痛む。
濡れたローファーが水たまりを跳ねた。
馬鹿みたい。
ほんとに。
期待するなって、自分で決めたのに。
出水が優しいのなんて今に始まったことじゃない。
距離が近いのも、
名前を呼ぶ声が甘いのも、
今更なのに。
それでも。
“好きな子いるよ”
なんて言われたあとに優しくされるのは、あまりにも酷かった。
歩道橋の階段を駆け上がる。
視界が滲む。
泣くな、と何度も自分に言い聞かせた。
その時。
「圭!!」
雨音を裂くように、声が響いた。
息が止まる。
振り返れば、階段を駆け上がってくる出水の姿が見えた。
傘なんて差していない。
濡れた金髪が額に張り付き、
肩で荒く息をしている。
そんな姿、初めて見た。
『……なんで』
声が掠れる。
出水は答えない。
ただ真っ直ぐこちらへ来る。
歩道橋の上は風が強かった。
街灯の白い光が、濡れたアスファルトをぼんやり照らしている。
出水は数歩手前で立ち止まった。
近い。 でも、いつもよりずっと遠く感じた。
「……足速すぎ」
こんな時なのに、 出水は少し笑う。
その余裕が苦しくて、圭は眉を寄せた。
『追いかけてこないでよ』
「無理」
『なんで』
「お前、泣いてたし」
どくり、と心臓が跳ねる。
圭は慌てて顔を逸らした。
『泣いてない』
「嘘下手」
低く落ちた声が、やけに優しい。
それだけでまた涙が出そうになる。
『……出水には関係ないじゃん』
言ってから、少し後悔した。
けれど出水は怒らなかった。
ただ静かにこちらを見る。
「関係なくねーから追いかけてんだけど」
雨が、また強くなる。
二人の間を濡らしていく。
圭は唇を噛んだ。
『……っ、だって』
声が震える。
『出水、好きな子いるって』
「いる」
即答。 その迷いのなさに胸が痛んだ。
やっぱり。
期待なんてするんじゃなかった。
『じゃあなんで、』
「……でもお前」
時間が止まる。
圭はゆっくり顔を上げた。
出水は真っ直ぐこちらを見ていた。
逃がさないみたいな目だった。
「お前さ、 なんでそこまで鈍いの」
『……は』
「俺が誰にあんなことしてんの」
雨音の向こうで、息が詰まる。
出水はぐしゃりと濡れた髪をかき上げた。
いつもの余裕なんて、どこにもない。
「他のやつに送るとか言わねーし、 名前なんて呼ばない。 お前が他の男といるだけでイラつくし。」
圭の呼吸が止まる。
「…なのにお前、 脈ないと思ってたわけ?」
困ったみたいに笑う顔が、
少しだけ苦しそうだった。
圭は何も言えない。
言葉が全部、雨に溶けていく。
出水が一歩近づいた。
「好きでもないやつ相手に、 ここまで余裕なくなんねーよ」
その声は静かだった。
でも、痛いくらい真っ直ぐで。
圭はとうとう視線を逸らせなくなる。
「……圭」
名前を呼ばれる。
柔らかくて、 甘くて、
どうしようもなく好きな声。
出水は少しだけ目を細めた。
「好き」
雨が降っている。
街灯が滲んで、
夜が白く霞んで、
世界には二人しかいないみたいだった。
「ずっと好きだった」
呼吸の仕方を忘れたみたいだった。
雨音だけが、遠くで響いている。
圭はただ出水を見つめる。
“好き”
その言葉が、何度も胸の奥で反響していた。
冗談みたいに軽く笑うくせに、 肝心なことは絶対言わない人だと思っていた。
だから。
こんなふうに真っ直ぐ言われるなんて、思ってもいなかった。
「……なんでそんな顔すんの」
出水が苦笑する。
圭はそこで初めて、自分が泣いていることに気づいた。
『……だって』
声がうまく出ない。
『脈ないと思ってた』
「なんで」
『だって出水、他の子には優しいし』
「お前にも優しいだろ」
『違うの!』
思わず強く返してしまう。
出水が少し目を丸くした。
圭はぐしゃぐしゃになったまま言葉を続ける。
『他の子にはちゃんと“かっこいい”のに、 私には雑だし、 すぐからかうし、 女扱いしないし』
言いながら、どんどん惨めになる。
でも止まれなかった。
『だから私、 仲良い友達なんだと思ってた……』
雨粒が手すりを叩く音だけが響く。
そのあと。
ふ、と出水が吹き出した。
『……なんで笑うの』
「いや……お前、マジで言ってんだと思って」
『ほんと最低』
「ごめんって」
全然悪びれていない声だった。
でも次に向けられた視線は、ひどく柔らかい。
「……俺、お前相手だと格好つけらんないんだよ」
圭は瞬きをした。
出水は少し困ったみたいに笑う。
「他のやつには適当にできんの。
でもお前だと無理」
風が吹き抜ける。 濡れた髪が揺れた。
「嫌われたくねぇし、 変に意識するし、 近くいるだけで調子狂うし」
そんなことを言う彼を、 私は知らない。
いつだって余裕があって、
何でも軽くこなして、
人を振り回す側の人だと思っていた。
なのに今目の前にいるのは、
少し情けなくて、 必死で、
どうしようもなく恋をしている男の子だった。
「……だから雑になる」
『意味わかんない』
「俺もわかんない」
出水は小さく笑ったあと、
ゆっくり圭へ近づく。
もう逃げられない距離だった。
「でも、 お前が他の男といるとムカつくし」
「避けられたら普通にへこむ」
真っ直ぐ目を見てくる。
そんなの、ずるい。
『……だって』
「だめ」
被せるように言われた。
雨の匂いが濃くなる。
出水の指先が、そっと圭の頬に触れた。
冷たいはずなのに、
そこだけ熱い。
「避けんの禁止」
心臓がうるさい。
出水は泣きそうな顔の圭を見て、ふっと目を細めた。
「……圭」
『なに』
「返事」
『……今?』
「今」
あまりにも即答で、
圭は思わず笑ってしまった。
涙でぐしゃぐしゃなのに、
笑ったらもっと酷い顔になった気がする。
でも出水もつられて笑った。
その顔が、好きだと思う。
ずっと。
『……私も、好き』
言葉にした瞬間、 胸の奥に張り詰めていたものが、全部ほどけた気がした。
出水が目を見開く。
次の瞬間、ぐい、と腕を引かれた。
『わっ』
強く抱き締められる。
雨で濡れた制服が冷たい。
なのに、胸の奥は焼けるみたいに熱かった。
「……やば」
耳元で掠れた声が落ちる。
『なにが』
「好きすぎるかも」
『今更?』
「今更」
くぐもった笑い声が肩越しに響く。
そのまま背中を撫でる手が、少し震えていることに圭は気づいた。
ああ、この人。
本当に余裕なかったんだ。
そう思った瞬間、
どうしようもなく愛しくなった。
コメント
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たぶん俺、お前と結婚するために生まれたんだと思う ワートリ初心者の私でもキュンキュンできるお話すぎてむり 圭ちゃんにだけ間接キスとか意識しちゃって断っちゃう出水かわいかよは?
本出して欲しい、、、、絶対買うよ、?????そしてサインも貰うよ????
あ"ァァァァァァァ" 出水ァあああああああああ ねぇやめてオタクなのバレる どうすんのまじで すきすぎる とまどいを隠せない らぶどころの話ではない 良いイイアアアアアア くる、出水公平の時代が、、、、