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もう第29話やばすぎた……!😭💕 紫苑が呪いの症状でガチで追い詰められてて、扉蹴破ってまで柚葉迎えに行くの、切羽詰まりすぎて胸が痛かったよ……燎牙が止めようとするの無視して一直線なの、もう二人の距離感がエモすぎる!! 柚葉が菓子の包み守ってるのもかわいすぎるし、女官たちが「噂本当だった!」って盛り上がってるの笑った😂 でも紫苑の震えとか奥歯噛みしめるところ、重症すぎてやばい……早くちゃんと話し合ってほしいよ〜!次回も楽しみにしてるね⋆♡
第2話 善処の代償と、蹴破られた扉
卓に広げられた文書は、東方の州から届いた治水の報告だった。
紫苑はそれを睨むように見下ろしている。読んでいる、とは言い難い。目が文字の上を滑るだけで、意味が頭に入ってこないのだ。三行目まで進んでは二行目へ戻り、また三行目まで進む。同じところを三度往復して、ようやく自分が一文字も理解していないことに気づいた。
舌打ちひとつ。書簡は卓の端へ叩きつけられ、巻き紙が乾いた音を立てて床を転がる。拾う者はいない。
政務はとうに終わっているというのに、寝所の続きの間は妙に広く感じた。
窓の外では、茜色に燃えていた空が少しずつ藍に沈んでいく。気づけば、また窓を見ていた。これで何度目だ。数えかけて、馬鹿らしくなってやめる。
朝の光景が、頭に居座っていた。翠蓮宮へ向かう支度を整えた柚葉に、日が落ちる前に戻れと命じたのだ。返ってきたのは、眉ひとつ動かさない「善処します」の一言。承諾でも拒絶でもない、あの女特有の言い逃れ。分かっていながら、あの時はそれ以上の言葉が出てこなかった。
別に、寂しいわけではない。
そう自分に言い聞かせても、腹の底に冷たい水が溜まっていく感覚は誤魔化せなかった。眠れなかった数年の夜と、同じ手触りをしている。
扉の外で、控えめな咳払いが響いた。入ってきた近侍が、床に落ちた巻き紙をちらと見て、何も言わずに頭を下げる。
「陛下、お食事の支度が整いましてございます」
「……後でいい」
視線もやらず、追い払うように手を振った。近侍は何か言いかけて口を噤み、深々と一礼して下がっていく。
扉が閉まる頃には、窓の茜は最後のひと筋まで藍に呑まれていた。
燭台の炎だけが、部屋の中で頼りなく揺れる。日が落ちきった、と認めた瞬間、苛立ちの底から別のものが浮かび上がってきた。焦り、と呼ぶにはあまりに生々しい。
指先が、勝手に卓の縁を叩いている。あの女のいない時間は、ただの空白ではない。この身に刻まれた呪いの発生を意味していた。
二度、扉が叩かれた。返事を待たずに入ってきたのは、足音だけで誰か分かる男だった。
燎牙が戸口で足を止める。赤黒い短髪、頬に走る古い刀傷、飾りを削ぎ落とした軍装。見廻りを終えたその足で来たのだろう。部屋へ一歩踏み入れたところで、鋭い目が細められた。この空気の悪さを、一瞬で測ったのだろう。
余計な口は開かず、燎牙は紫苑の前で片膝をついた。
「陛下。本日の宮廷内見廻りにつき、ご報告に上がりました」
「手短に話せ」
「――東門の警備を二名増員いたしました。南の茶室付近にて不審な人影との報告がございましたが、確認の結果、庭師の見間違いと判明いたしました。以上でございます」
感情を混ぜず、事実だけを並べた報告だった。紫苑は頷きもしない。視線は燎牙の肩越し、閉ざされた扉の方角に貼りついたままだ。
燎牙が、そこで一拍、間を置いた。
「……何か、お気がかりでも」
窓へ目を走らせてから、紫苑は吐き出すように答えた。
「……あいつが、まだ戻らん」
「翠蓮宮からは、まだ何のご連絡も届いておりません」
平坦な声だった。色のないその平坦さが、今夜はやけに癇に障る。
「……陽は、とっくに落ちている」
「今しばらく、お待ちになられては」
穏当で、至極まっとうな進言だった。だからこそ、喉の奥から低い唸りが漏れた。
「……うるさい」
「……は」
燎牙が頭を垂れた、その時だった。
キィン、と。
鼓膜の奥で、細い針が硝子を引っ掻いた。
紫苑は反射的にこめかみへ指を当てる。押さえたところで、音は止まらない。頭蓋の内側を氷の粒が転がり、その向こうで、誰かがひそひそと囁く気配がする。燭台の光が届かない部屋の隅で、影がふっと濃くなった。
「……ぐっ」
食いしばった歯の間から、息が漏れる。
燎牙が顔を上げた。
「……陛下。以前よりも、症状が重くなっていませんか」
報告の時とは、声の調子が違っていた。
「……ああ。どういうわけか……、な」
認めた声は、自分でも驚くほど力がなかった。
燎牙の唇が、何かを言いかけて止まる。継ぐべき言葉を探して視線が宙を彷徨い、見つけられないまま、静かに閉じた。この男のよくある癖だ。結局、燎牙は何も言わなかった。ただ膝をついたまま、そこに控えている。
ガタリ、と椅子が鳴った。
紫苑が立ち上がった音だった。もう座っていられない。座っていれば、あの音に呑まれる。
「……迎えに行く」
低く告げて、扉へ向かう。燎牙が弾かれたように立ち上がった。
「陛下。先触れ無しに妃の宮へお運びになるなど、前例がございません。どうか」
「知るか」
「せめて、今からでも」
「待たん」
歩みは止まらない。大股で戸口を抜ける背に、燎牙の声が追いすがった。
「翠蓮様への礼を欠くことになります。せめて――」
最後まで聞こえなかった。聞こえてはいたが、耳鳴りが言葉の輪郭を削り取ったため、意味として頭に届かない。
背後で、燎牙が深く息を吐く気配がした。止められないと悟った者の息だった。傍らで固まっていた近侍の一人へだろう、鋭い声が響く。
「……先触れの用意だ。陛下がお向かいになると、翠蓮宮へ」
「は、はっ!」
どうでもいい。紫苑は更に歩調を早めた。
その姿はすでに、回廊の闇に溶けかけていた。
〇
夜の回廊を、紫苑は一直線に突き進んだ。
灯籠の明かりが、次々と後ろへ流れていく。前方から来た女官の一団が、その姿を認めた途端に悲鳴を上げた。
「ひっ……へ、陛下!?」
一人の手から、茶器を載せた盆が滑り落ちる。砕け散る陶器の音が、石畳に耳障りに響いた。別の女官は壁に背を押しつけて袖で顔を覆い、曲がり角の宦官は声も出せず、その場に額をこすりつけて平伏している。海が割れるように、道が開けていく。
紫苑は誰にも目をくれなかった。悲鳴も、陶器の音も、耳鳴りの底に溶けて、ただの雑音になる。今の彼にとって意味を持つのは、前と、その先にあるたった一点だけだった。
渡り廊下へ差しかかる。磨き込まれた黒漆の欄干が、灯籠の火を鈍く映していた。その艶の中を、乱れた銀髪と血走った紅い眼が、一瞬だけ横切る。それが己の姿だと理解するより先に、視界の外へ流れ去った。構っていられない。
歩を進めるごとに、頭の奥の音は膨らんでいく。針の先ほどだったものが、今では無数の羽虫が頭蓋を這い回るような、途切れのない羽音に変わっていた。奥歯を噛む。噛んでも、消えない。
もう、耐えられない。その言葉が喉元までせり上がり、辛うじて噛み殺した。
早く。一刻も早く、あの女の傍らで、この音を黙らせたい。
闇の向こう、水路の水面に、翠蓮宮の灯りが滲んで見えてきた。
○
翠蓮宮の通用口に近い控えの間は、日暮れとともに片付けの気配で満ちていた。
私は道具箱の蓋を閉じ、留め具を指で確かめる。本日の作業はこれで終わりだ。翠蓮様の化粧直しは滞りなく済んだ。あとは明日使う道具の配置換えだけのはずが、棚の整理に思いのほか手間取り、気づけば窓の外がすっかり暗い。
出仕が長引いたのは、道具の数が想定より多かったせいだ。私の責任ではない。
朝、日が落ちる前に戻れと言われて、私は「善処します」と答えた。善処は、した。結果が伴わなかったというだけの話だ。
芙蓉が、竹皮の包みを両手で差し出してきた。ほんのりと温かい。包みの上には、飴玉がひとつ、ちょこんと乗せられている。この人の懐は、いったいどうなっているのだろう。
「適度に休憩もなさいね。……気をつけて帰ってね、柚葉さん」
礼を述べて受け取ると、部屋の反対側から楓花が大きく手を振った。
「また明日、色々お話聞かせてくださいね!」
色々、が何を指すのか、確認する気にはなれなかった。窓際の机で帳面を閉じた汐里が、小さく会釈をする。
「お疲れ様でした」
会釈を返し、通用口の戸に手を掛けた、その時だ。
「あ、柚葉さん待ってください! 明日の道具の置き場所なんですけど……」
小走りに駆け寄ってきたのは雲雀だった。手には、道具の一覧を書きつけた紙を握りしめている。
戸から手を離して、振り返る。用件が合理的であれば、断る理由はない。
「どうしました?」
「白粉の箱、東の棚だと届きにくいから、こっちの……」
雲雀の指が、紙の端をとんとんと叩く。翠蓮様の鏡台との距離を考えれば、確かに東の棚は遠すぎる。なかなか的確な指摘だ。私は道具箱を抱え直し、提案された棚のほうへ目を向けた。
ドォン!!
背後で、外から蹴り開けられた戸が壁に激突した。
先ほどまで手を掛けていた戸だ。離していて、本当に良かった。指は商売道具なのだ。
全員が弾かれたように振り向く。蝶番が悲鳴を上げ、舞い上がった埃が燭台の光の中を漂った。
戸口に立っていたのは、肩で息をする紫苑だった。銀髪は乱れ、紅い瞳がぎらついている。汗ばんだ額に前髪が張りつき、顔色はいつもより明らかに悪い。
「……見つけた」
地を這うような声だった。
「……陛下?」
問い返した私を、彼は見ていた。というより、私しか見ていなかった。芙蓉たちには一瞥もくれず、大股で三歩。距離が消えたと思った次の瞬間、足が床を離れていた。道具箱ごと、腕の中へ攫われる。私は反射的に、菓子の包みを潰さないよう胸元へ引き寄せた。竹皮の中身は、まだ温かい。守るべきは、こちらだ。
「お疲れ様です。ちょうど今から帰るところでした」
なるべく平静を保って告げてみる。
「お前……『善処』の意味を、後で辞書で調べ直してこい」
「見ての通り、善処はいたしました」
「陽は、とっくに落ちているぞ」
「……そのようですね」
反論の余地は、なかった。
紫苑は聞く耳を持たず、踵を返す。その背中越しに、女官たちの声が追いかけてきた。
「や、やっぱり……! 本当だったんですね、噂……!」
「陛下があんなに、我慢できないくらい……!」
「……すごい熱量の入り方でしたね、今の」
楓花、雲雀、汐里の順だ。声の弾み方だけで分かる。
噂、とはどの噂だろう。抱き枕にされている件なら事実だから、否定のしようがない。我慢できないくらい、というのも、睡眠に関してなら正しい評価だ。何かが噛み合っていない気はするが、何をどう訂正すればいいのか、今の私には見当もつかなかった。
背後で、重い戸が閉まる音がした。私を抱える腕は微塵も緩まないまま、夜の闇へと踏み出していく。
○
閉ざされた戸の前で、四人はしばらく動けずにいた。蝶番の悲鳴が、まだ空気の中に残っている。
最初に息を吐きだしたのは雲雀だった。握りしめたままの紙が、くしゃくしゃに潰れている。
「……ね、ねえ、今の見た!? 見たよね、今の!」
「見た! 見ましたとも! あの目、あの足取り……!」
楓花が頬を両手で挟み、ぶんぶんと首を振る。汐里は帳面を胸に抱いたまま、まだ戸口から視線を外せずにいた。その傍らで、芙蓉だけがいつもの穏やかな微笑みを崩さない。訂正の言葉は、ひとつも出てこなかった。ただ、片付けかけだった茶器をそっと盆に戻し、閉じた戸へ向けて小さく手を振る。
遠い回廊のほうから、息を切らせた足音が近づいてくる。先触れの使者の、あまりにも遅すぎる到着だった。
○
夜の回廊を、私は横抱きにされたまま運ばれていた。
腹の上に、道具箱と菓子の包みが乗っている。荷物としては、なかなか優秀な運ばれ方だ。潰れる心配がない。
問題は、運んでいる本人のほうだった。
揺れ方が、いつもと違う。私を抱え慣れた歩調は、乱暴ながらも安定していたはずだ。今夜は速いのに、一歩ごとの間隔がまばらで、時おり爪先が石畳を探るように遅れる。何かに背を押されて、足元を確かめる余裕もなく急かされている。そんな歩き方だった。
支える腕が、わずかに震えていた。力が足りないはずがない。人ひとり抱えたまま剣を振るえる男だ。震えは、力を入れすぎている証拠だった。
顎も強張っていた。奥歯を噛みしめ、耳の下で筋肉が盛り上がる。平静を装っているつもりなのだろうが、装えていない。
単なる苛立ちや独占欲だけで、人はこんな身体の使い方をしない。これは、もっと別のものだ。
「陛下。少し、お加減が優れないのでは」
返事は、すぐには来なかった。数歩ぶんの沈黙のあとで、低い声が落ちてくる。
「……いつもより、うるさい」
それだけで、何の話か見当はついた。
「呪い、ですか」
「……頭の奥で、ずっと。……お前がいない間、ずっとだ」
吐き捨てるような口調だった。なのに、語尾だけが、聞き取れないほど弱い。
「……そうですか」
私が返せたのは、それだけだった。慰めの言葉は持ち合わせていないし、持っていたところで、この男には的外れだろう。
紫苑はそれ以上、何も言わなかった。代わりに、私を抱く腕へぐっと力がこもり、歩調がさらに速くなる。
(……重症だ)
半日、少し戻るのが遅れただけでこれだ。私が地下と翠蓮宮を行き来し、夜には寝所へ運ばれる。この暮らしでもギリギリなのに、こんなことを続けていけば、そのうち二人揃って潰れるのは目に見えている。私の目の下の隈も、そろそろ隠しきれない濃さだ。
共倒れになる前に、一度きちんと話し合う必要がある。今夜こそ、だ。
そう腹を決めて顔を上げると、頭上はいつの間にか深い藍に染まっていた。星が一つ、二つ、顔を出し始めている。
……訂正。結構戻るのが遅れた。
静まり返った回廊に、足音が響いていた。二人ぶんの体重を乗せた、迷いのない足音だった。