どれほどの努力を積み重ねても、どれほどの才能に恵まれていても——
それらが無慈悲に踏みにじられることがある。
理不尽に、無情に、何の前触れもなく。
すべてを懸けて築き上げてきたものが、一瞬にして崩れ去ることがある。
だが、それでも。
打ちひしがれた場所から立ち上がるのかどうかを決めるのは、結局、自分自身なのだ。
「本当の戦いは、ここからだ」
最終審査の前日。
澪は、小さく震える手でスマホを握りしめていた。
【速報:コンペ参加者・椿原澪、盗作疑惑浮上】
画面には、澪が時間をかけて丁寧に描いたデザイン画と、それと瓜二つの作品の写真が並んでいた。
「嘘……こんなの……!」
あり得ない。
誰かが仕組んだ罠だった。
澪はそんなこと、絶対にしていない。
だが、SNSではすでに炎上が始まっていた。
《無名のくせに、他人のデザインをパクるとか最低》
《これが新人コンペのレベル?業界の恥》
《御堂副社長のお気に入りだったんでしょ?やっぱりコネ?》
「違う……私は……」
震える声で呟いてみても、誰にも届かない。
どれだけ否定しようとも、一度広まった噂は止まらない。
拡散され、書き換えられ、悪意を増して、澪の知らないところで炎は燃え広がっていく。
《やっぱり若い女ってこういうことするんだよな》
《コンペ前日に出るとか、ガチのやつじゃん》
《つい最近も似た事件あったよね。こいつも同類》
匿名の言葉が、刃のように心を抉る。
澪の呼吸が浅くなる。
画面を閉じようとする指が、うまく動かない。
それでも、誰かに助けを求めようとスマホを開いた。
けれど——怜司の名前を見つけた瞬間、その手が止まる。
(もし、本当に怜司さんが私をコネで推していたのなら……)
脳裏に、美優の言葉がよぎる。
《あなたが選ばれたのは、怜司が“助け舟”を出したからじゃない?》
あのとき、どんな顔で言われたのか、もう思い出せない。
ただ、その言葉だけが、何度も頭の中で反響する。
本当の実力で評価されていたのか、それともただの“お気に入り”だったのか。
……どちらにせよ、今となってはどうでもいい。
澪は震える手で、荷物をまとめ始めた。
「……逃げよう」
このままでは、もう何もかも終わる。
翌日、コンペ会場には澪の姿はなかった。
運営側は「盗作疑惑」を受けて、澪をコンペから除外すると発表した。
——それだけではなかった。
公式声明には、こう記されていた。
《不正行為が確認されたため、椿原澪氏の参加資格を剥奪いたします》
たった一文。
たったそれだけの言葉が、澪の人生を決定づけた。
《結局、証拠はなかったけど、黒に近いグレーってことだよね》
《逃げた時点で認めたようなもんじゃん》
業界内での信用は、一瞬にして崩れ去った。
さらに、バイト先にもクレームが入った。
「申し訳ないけど、うちも対応しきれないから……」
店長は申し訳なさそうに言ったが、澪にはそれを責める気力すら残っていなかった。
アパートの部屋に戻ると、静寂が澪を包み込んだ。
がらんとした室内。
スマホを手放し、ベッドに崩れ落ちる。
「何のために頑張ってきたんだろう……」
天井を見つめながら、澪は思った。
努力も、才能も、認められなければ無意味。
誤解されたまま、何も言えずに消えていくしかないなら——。
このまま、すべてを終わらせてしまったほうがいいのかもしれない。
その時、不意にスマホが鳴った。
「……?」
ディスプレイに映る名前に、息が詰まる。
——御堂怜司
驚きと戸惑いで、指が止まった。
だが、彼は何度も、何度も、何度もかけてきた。
意を決して、通話ボタンを押す。
「……もしもし」
小さな声で応じると、電話の向こうから低く落ち着いた声が聞こえた。
『今どこだ?』
「……家です。でも、もうどうでもいいんです。私、終わったので……」
『バカか』
怜司の声が鋭くなった。
『まだ終わりじゃない。今すぐ迎えに行く。』
「……え?」
10分後——。
玄関のチャイムが鳴る。
扉を開けると、そこには怜司が立っていた。
スーツ姿のまま、息を切らしている。
「どうして……」
「お前を見捨てるわけないだろう」
その言葉に、澪の視界が滲んだ。
「でも……もう無理なんです。何をしても、もう——」
「まだやれることはある。戦え、椿原澪」
怜司は真剣な眼差しで言った。
「本当の戦いは、ここからだ」
澪の中で、何かが変わり始めていた。
絶望に囚われていた心が、少しずつほどけていく。
(もう一度……戦えるの?)
今まで、誰かに支えられることを拒んできた。
「自分の力でやる」と言い張ってきた。
でも——。
「……私、もう一度立ち上がりたい」
震える声でそう言うと、怜司の表情が少し和らいだ。
「なら、俺が支えてやる」
その言葉は、澪の心に深く染み込んだ。
そして、怜司はそっと、澪の肩に手を置いた。
その温もりに、澪は初めて、ほんの少しだけ希望を感じた。
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