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両家で建てた吉高と明穂の家は売却する事になった。当初、財産分与は折半となっていたが仙石家はその権利を放棄した。


「家庭裁判所の世話にもならずスピード解決」

「お疲れさん、今度は能登観光な」

「次は廻らない寿司を奢れよ」


佐藤家、仙石家から慰謝料請求額に対し異議申し立てが無く公証役場での公正証書の取り交わしで全てが終わった。吉高には400万円の慰謝料支払いと無断で引き出した預貯金180万円の返還が求められた。


「くそ、懲戒解雇じゃねぇのかよ!」


吉高は懲戒処分として減給と出勤停止、紗央里は自主退職、佐藤教授には始末書の提出が求められた。


「妊娠はしていませんでした」

「そうですか」


1ヶ月後、佐藤教授が夫人を連れ立ち田辺家と仙石家に謝罪と報告に訪れた。





吉高の万年筆は後悔の涙で滲んだ。目の前に広げられた緑枠の離婚届には仙石明穂の名前が並んでいた。明穂の離婚届の代筆、委任状は田辺の両親が印鑑を捺した。


「羨ましかったんだ」

「なにがだよ」


明穂は幼い頃から行動的な大智の後ろを着いて歩いた。その姿を家の中から眺めるしかなかった自分が歯痒くそれはやがて大智への嫉妬に変わった。


「おまえが海外に行ってホッとした」

「なら明穂を大事にすりゃ良かっただろ」


吉高は指先を震わせながら印鑑を捺した。


「毎月おまえから手紙が届くたびに不安になった」

「不安?」

「明穂が離れて行きそうで怖かった」

「それがなんで浮気になるんだよ」

「どうかしてた」

「それで離婚してちゃ意味ないぜ」

「後悔してる」

「不倫してた奴は大体そう言うよ」

「そうか」


その隣には退職届の白い封書があった。


「なんで辞めるんだよ、お咎《とが》め無しみたいなもんだろ」

「気が弱い僕には無理だ」

「なにが」

「同僚の視線が痛い。それに廊下ですれ違う度にナースや医局の女性から嫌な顔をされる」

「当たり前だろ、そんなん最初から分かれよ」

「そうか」


寂しそうに苦笑いをする吉高の目は落ち窪み、見る影も無くやつれ果てていた。


「で、どうするんだよ」

「白峰《しらみね》の診療所に問い合わせた」

「いきなり白山麓《はくさんろく》かよ、山ん中だぞ?おまえ極端なんだよ」

「そうかな」

「おまえ村で不倫すんなよ」

「しないよ」

「不倫した奴は大体そう言うよ」

「そうか」


階下から「素麺が茹で上がったわよ」と母親が叫んでいる。麺が伸びないうちに食卓に着かないとまたどやされる。吉高は離婚届をクリアファイルに挟んだ。




陽炎《かげろう》が揺れる点字ブロックに白杖が律動的な音を刻み明穂は歩みを進めた。その左手は大智の肘に添えられ2人は並んで歩いた。機械的な鳥の囀《さえず》りで横断歩道が赤信号になり大智は前屈みになって明穂の唇に口付けた。


「誰も見ていない?」

「見ていないよ」


その傍を小学生のランドセルが筆箱の音を上下させて通り過ぎた。「ね、ちゅーしてたね」「してた、おじちゃんとおばちゃんちゅーしてた」明穂の頬は真っ赤になって大智の腕を引っ張った。


「いるじゃない!」

「良いじゃん、清く正しい性教育だよ」

「なに言ってるの!もう!」


夏の盛り、吉高と明穂の離婚が成立した。吉高は白山麓《はくさんろく》の白峰村《しらみねむら》に移住し大智は小立野《こだつの》の実家に戻った。


「よっしゃ、頑張って歩くぞ!」

「何処に行くの」

「県立美術館のケーキ屋!」

「カフェね」


「途中でバテたら公共交通機関な」

「タクシーね」


油蝉《あぶらぜみ》の鳴き声に首筋を汗が伝った。「よーーっしゃ着いたぞ!」大理石の薄暗い美術館は空調が程よく効いて生き返った。


「涼しい」

「文明の発展は素晴らしい」

「なに言ってるの」


ル ミュゼ ドゥ アッシュ KANAZAWA は石川県立美術館を包み込む本多の森に店を構えるパティスリーカフェだ。能登出身のパティシエールが営む有名店、カフェはオープン直後で全面ガラス張りの窓際に座る事が出来た。


「静かだな」

「でも、少し人の気配がする」

「世間は夏休みなんだよ」

「そうなのね、さっきの子たちは終業式だったのかな」

「そうじゃねぇか、朝顔の鉢植え持ってたぞ」

「朝顔の鉢植え」


明穂は窓の外の緑を無言で眺めた。明穂が小学3年生の終業式、小学6年生だった大智が明穂の朝顔の鉢植えを持ち、吉高が書道セットの鞄を持って家まで送ってくれた。


「明穂、抹茶好きだよな」

「あ、うん」

「えーーーと、よく聞けよ。西尾抹茶とやらの杏子のコンフィチュール、コンなんたらってなんだ。キャラメルクリーム、げ、甘そうだな」

「美味しそう」

「じゃあそれで良いか」

「うん」


運ばれて来た抹茶のケーキとほうじ茶《加賀棒茶》の香がテーブルに立ち昇った。明穂はくんくんと匂いを嗅ぐと頬を綻ばせた。その可愛らしい仕草と面差しを、大智は片肘をテーブルに突いて穏やかな眼差しで見守った。

明穂が銀のカトラリーを手にした所でそれは大智により制止された。


「なに、食べちゃ駄目なの」

「腹一杯になる前に胸一杯にさせてやるよ」

「またよく分からない事を言うわね」

「そのフォークを握った手を出してみなさい」


明穂は左利きだった。


「あ、これ」

「黙れって」


大智は明穂の手を取ったがそれは緊張で汗ばんでいる事が分かった。明穂の心臓も大智が言ったように脈打って跳ね回った。左手の薬指に冷たい物が嵌《は》まるのを感じた。明穂の唇が嬉しさに歪んだ。


「なに泣いてるんだよ」

「だって」

「約束しただろ、1.5|ct《カラット》俺とお揃いなんだぜ」

「大智の指輪と?」


大智は親指と人差し指で明穂の額を軽く弾いた。


「い、痛っ!」

「ばっか、ちげぇよ!弁護士バッジとお揃いだよ!」

「向日葵」

「探すの大変だったんだからな、ありがたく思え」

「ありがとう」

「だーかーら泣くなって!みんなが見るだろ!」


明穂が指先で触れると確かにそれは放射線を描き中央にダイヤモンドが輝いていた。大智のプロポーズは輪郭しか見えない明穂の世界でも眩く美しく光った。


「指輪のサイズはいつ測ったの?」

「吉高に聞いた」

「ひっ、酷っ!」

「吉高も同じ事言ってたな」

「デリカシーはないの?容赦無いのね」

「明穂を泣かしたんだ、当然の報いだ。さぁ、食おうぜ」


その日食べたオペラ テヴェールはほろ苦かった。明穂は優しかった日の吉高の笑顔を思い出し目頭が熱くなった。




荘厳なパイプオルガンが仙石家と田辺家の人々を包み込み、マリアと百合の花に彩られたステンドグラスの光の中に大智と明穂が向き合った。



「汝、仙石大智は、この女、田辺明穂を妻とし、良き時も悪き時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分つまで、愛を誓い、妻を思い、妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」


「誓います」


「汝、田辺明穂は、この男、仙石大智を夫とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分つまで、愛を誓い、夫を思い、夫のみに添うことを、神聖なる婚姻のもとに、誓いますか?」


「誓います」



大智と明穂は牡丹雪《ぼたんゆき》が舞い落ちる12月24日、祭壇で熱い口付けを交わした。それは雪を溶かす程に長い口付けで、大智の母親がタキシードの裾を引っ張り「良い加減にしなさい!大智!」と声を掛ける程だった。


(ーーー吉高さん)


教会の鐘が鳴り響くその片隅には髪を短く刈り上げた吉高の姿があった。その隣には誰も居ない。大智は明穂の手から百合の花束を奪い取るとそれを吉高に押し付けた。


「な、なに」

「おまえも見つけろよ」

「大智」

「今度は不倫なんかするんじゃねぇぞ、神さんの前で誓え」

「大智」

「この花渡す女見つけて父ちゃん母ちゃんを安心させてやれ」

「わ、分かった」

「約束だぞ」


吉高は百合の花束に顔を埋めて泣いた。


リンゴーーン リンゴーン


白い雪に閉ざされた白いシーツに明穂の絹糸に似た薄茶の髪が波打った。首筋を這う大智の舌先は明穂の凍った身体を甘く溶かした。


「大智、嬉しそう」

「そりゃそうだよ、10年以上待ったんだ」


柔らかな輪郭が熱を持ち吐息が胸元へと滑り降りた。大智は白い胸を掴むと優しく吸い付き|淫靡《いんび》な動きで突起を舐め上げ続けた。


「あぁ」


明穂は思わず|嬌声《きょうせい》を上げ、恥ずかしさに顔を隠した。


「明穂、明穂愛してる」

「あ、あ」


溢れ出す愛に芯から蕩《とろ》けたその場所は歓喜に震えて大智を受け入れた。


ぎしっ ぎしっ


「良いのか着けなくて」

「大智の赤ちゃんが欲しい」

「そりゃ大歓迎だ」


浅く深く小刻みに温かな波が打ち寄せ上下に揺さぶられた明穂はこれまで感じた事の無い極みへと導かれ足の指先を大きく開いた。


「あっ」

「あき、ほ」


窄《すぼ》まった内壁に翻弄された大智は額に汗を滲ませながら明穂の膝裏を抱え上げた。


「う、動くぞ、良いか」

「ーーーー」


恥ずかしげに頷いたそれを合図に大智は腰を激しく前後させた。軋むベッド、外の雪は激しさを増しホテルの窓ガラスを駆け上った。


「あき、明穂!」


尾骶骨を駆け上る快感、大智は明穂の中に愛情を注ぎ込んだ。結婚式の夜、長い歳月を経て2人はようやく結ばれた。





ーーー2年後


2世帯住宅に建て替えた仙石家に明穂の両親は入り浸った。大智と明穂は双子の息子と娘に恵まれた。心配された弱視だが乳児検診で異常は見つからなかった。


んぶぅ


「大奈《だいな》ちゃーん、ばぁばの所においで」

「大奈、女みたいな名前だと思いません?」

「そうよねぇ」

「ウルトラマンにダイナっているんだよ!」

「あぁ、あなたウルトラマンとか怪獣とか好きだったものね」


きゃっきゃっ


「明奈《あきな》ちゃーん、じぃじが好きだよなぁ」

「田辺さん、なにを言っているんですか!明奈は私が一番好きなんです!」

「ほれ、わしが抱っこすると笑うとる」

「私でも笑います!」


2人とも明穂に良く似た絹糸の薄茶の髪をしていた。





「こんにちはー!お義父さん、お義母さん、固豆腐《白峰名産》買って来ましたー!」

「た、ただいま帰りました」


仙石家に新しい家族が出来た。吉高は白峰診療所に高齢者の付き添いで通っていたデイケアセンターの女性職員と結婚した。


「お帰りなさい」

「ただいま」


吉高は相変わらず物静かだが妻の恵子《けいこ》は快活でどちらかと言えば《《かかあ天下》》、これでは不倫のふの字も出ないだろうと見守る事にした。


「明穂ちゃん、元気そうだね」

「吉高さんも良い顔をしてる、幸せなのね」

「うん、幸せだよ」

「良かった」


「吉高!おま、近寄んじゃねぇよ!明穂が妊娠しちまうだろ!」

「酷いなぁ」

「なに余裕ぶっこいて笑ってるんだよ!」



明穂は今、光の中に居る。




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