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「君はずるい人」





今回ゲスト様のコンテストに参加させてもいます。


青桃部門です。


 


青桃・マフィア(スパイ?)パロ


ちょっと長いです。






本編へ。どうぞ。



 


夜の雨は嫌いだ。人の足音を消してくれるかわりに、自分の心まで静かに沈ませてしまうから。

 けれどスパイとして働く俺――マーディストとしては、こういう夜のほうが都合がいい。

 情報を盗むにも、潜入するにも、裏切るにも。雨は、あらゆる痕跡を流してくれる。


 ――はずだった。


「……あんた、そこ何してんねん」


 背後から聞こえた関西訛りの声は、雷みたいに乾いた。

 振り向いた瞬間、俺はほんの数秒だけ呼吸を忘れた。


 黒いレインコート。濡れた髪を手で払う癖。

 何より、鋭くて優しい目。


 そいつ――キラ。

 本名は いふ。

 スパイ狩りとして名前を轟かせている、最悪の“天敵”だった。


 笑えない冗談だ。

 いま俺は、女装して潜入する任務の真っ最中。

 ひとことでもしゃべれば性別もバレるし、スパイだと悟られる。


 なのに。


「……あ、あの……道に迷ってて」


 慣れすぎた女声で返すと、いふの眉がわずかに動く。

(頼む、信じろ……今日だけは……!)


「雨ん中こんな裏路地で迷うか? しかもスカートで。絶対寒いやろ」


 なんで……なんでそんな、普通に優しいこと言うんだ。


「送ったるわ。危ないし」


(いやいやいや、危ないのはあんたです! 一番危険人物です!)


 だが、拒めば怪しまれる。

 俺は作り笑いをしながら、彼の後ろについて歩いた。


 キラ――いふは、スパイを何十人と捕らえてきた化け物だ。

 嘘を見抜く目を持ち、呼吸ひとつで相手の緊張に気付く。

 その男の隣を歩くなんて、正気じゃない。


 けれど。


(なんだよそれ……)


 歩きながら、何度も心臓が跳ねた。

 彼の肩にたまる雨粒が滑り落ちるたび、横顔が街灯に照らされるたび、息が止まる。


 敵なのに。

 怖いはずなのに。


 胸の奥が温かくなるのは――どうしてだ。


 いふは、俺のヒールが濡れた地面ですべるたびに手を伸ばして支えてくれた。


「気ぃつけや。こけたら危ないで」


(やめろ……そんな優しくすんな……)


 女装で顔を隠していなければ、真っ赤になってるのがバレてただろう。


 しかも。


「ところで嬢ちゃん、名前は?」


 はい出た。最悪の質問。

 即答しなければ疑われる。でも本名は言えない。


「あ、あの……な、ないこ……です」


(バカ! 本名言ってどうすんだ俺!!)


 だが、いふはくすっと笑った。


「ないこ……? 珍しい名前やな。かわいいやん」


 心臓が死ぬほど跳ねた。


(だめだ……このひと敵だって……忘れんなよ……)


 雨音でごまかしながら、俺は胸を押さえた。


 彼が連れて行ってくれたのは、裏路地から少し離れた喫茶店だった。

 ほぼ閉店間際だ。


「温かいもん飲んで落ち着き」


 店員に声をかけ、いふは俺の向かいに座った。


「……ありがとう、ございます」


 俺の声は震えていた。

 任務中の緊張なのか、いふの近さへの動揺なのか、自分でもわからない。


「嬢ちゃん、さっきから手ぇ震えてるで。寒いん?」


「ち、ちが……」


「怖かったんか?」


 その一言で、胸が詰まった。


(なんなんだよ……なんでそんな目で心配してくんだよ)


 敵なのに。

 俺がスパイだって知ったら、一瞬で手錠をかけるくせに。


 なのに「守りたい」と思わせるような顔をする。


 ずるい。

 この人は、ずるい。


 ココアが運ばれてきた。

 手を伸ばした瞬間、いふが俺の手に触れた。


「熱いから気ぃつけ――」


「っ」


 触れられた指先から、心臓が爆発した。


(なんで……俺……男なのに……)


 思わず手を引っ込める。

 いふは少し驚いたように目を瞬いた。


「……あんまり触ったらあかんか。ごめんな」


「ち、違う! 嫌とかじゃ……」


 必死で否定した瞬間、自分でも驚くほど大声になった。


「俺、あの……っ、び、びっくりしただけで……」


「ん? 今“俺”って言うた?」


「……」


 喉が、つまった。


(あ)


 終わった。

 女装は崩れ、キャラ設定も崩れた。

 スパイとしても人間としても、全部詰んだ。


 いふはゆっくりと椅子から腰を上げた。


「嬢ちゃん――いや、嬢ちゃんちゃうな。“お前”は……」


 俺の心臓が止まり、手が震え、思考が真っ白になる。


「……泣きそう顔、するねんな」


「え……?」


 いふは微笑んだ。

 捕まえるつもりの笑顔じゃない。

 ただ、俺を守るみたいな笑顔だった。


「男でもええやん。別に。

 スカート履きたいんやったら履いたらええし。

 それがどうとか言う気、俺にはないで」


 暖かい言葉だった。

 あまりに優しくて、俺の胸は壊れそうになった。


「……で? 本名なんや?」


 その優しさに甘えたら、絶対に後戻りできなくなる。

 でももう、心が勝手に揺れてしまっていた。


「……ないこ、だよ」


「へぇ。さっきのは偽名かと思っとったけど……ほんまなんやな」


 その瞬間、胸のどこかがぎゅっと締め付けられた。


 嘘を見抜く目。

 スパイを狩る才能。


 それなのに。


(なんで、この嘘……見抜かないでくれるんだよ)


 俺のスカート。

 俺の震え。

 俺の偽りだらけの姿。


 全部気付いてるはずなのに、彼は触れない。


 ――優しい嘘を、返してくれている。


「ないこ、お前……ほんまに危ないとこおったんやろ」


「っ……」


「俺、職業柄……危ない奴かどうかくらい、わかるねん」


(気づいてる……スパイだって……)


 喉の奥が熱くなり、呼吸が苦しくなる。


「でもな」


 いふは、そっと俺の手に触れた。


「“助けたい”と思ってもうたんや。……それがあかん理由、ある?」


 優しい目で言うから、涙がこぼれそうになった。


「……ずるい」


「ん?」


「あんた……ずるいよ……そんなの……俺……」


 心を盗まれる。

 敵だってわかってるのに。


「俺、行かなきゃ……」


 席を立とうとした瞬間、いふが腕をつかんだ。


「待て。帰らせへん」


「離して!」


 初めて抵抗した。

 でもいふは強くは握らない。俺の痛みを避けるように、優しく掴む。


「ないこ……お前……震えとるやん」


「震えてねぇよ!」


「嘘つくの下手やなぁ……」


(知ってるよ……あんたの前じゃ……全部バレる……)


 涙が落ちる。

 いふはその涙を見て、驚いたように目を見開いた。


「なんで泣くん……?」


「わかんねぇよ……でも……っ」


 胸が痛かった。

 敵にこんな感情を持ってはいけない。


「俺……任務なんだよ……」


 口にしてしまった瞬間、空気が変わった。

 いふの瞳が、一瞬だけ鋭く光る。


「……任務、ね」


「……」


「スパイか?」


 その言葉は、容赦なく俺の心臓を貫いた。


 震える俺を見て、いふは静かに息をついた。


「言わんでもええ。顔でわかる」


「……」


「お前……捕まえなあかん相手やんな、ほんまは」


 その声は優しい。

 優しいのに、どうしようもなく悲しかった。


「ないこ……俺、仕事やから、本気で捕まえにいくべきなんやろけどな」


 だけど、と彼は続ける。


「お前、泣かしたくないねん」


 涙が止まらなかった。


「ないこ、帰んなや。今日は……見逃したる」


「なんで……?」


「知らん。知らんけど……お前を傷つけたくないんや」


 優しすぎる。

 敵に向ける言葉じゃない。


「ほんまやったら……手錠かけて連れて帰らなあかんのに……」


 いふは自分の手を見下ろして、苦笑した。


「お前の手……掴めへん。力入らん」


 胸が潰れそうになった。


(なんで……そんな顔するんだよ……)


 俺は走り出した。

 涙で前が見えなかった。


「ないこ!!」


 背後でいふが叫んだ。

 でも振り返れなかった。


 振り返ったら――もう二度と離れられなくなる。


 雨の街を走りながら、何度も心の中で叫んだ。


(なんで……俺はスパイなんかやってんだ……)


 任務ばかりの人生。

 裏切ることが当たり前で、信じることなんて誰にも許されていない。


 だけど。


 今日、初めて思った。


(あんたと出会ったせいで……俺は……)


 いふの言葉。

 手の温度。

 触れたときの震え。


 全部、全部忘れられない。


 涙が止まらない。

 息が苦しい。


(俺は……スパイなのに……)


(あんたのこと……好きだ……)


 認めた瞬間、胸の奥が痛くて、温かくて、どうしようもなくなった。


 その頃、喫茶店では。


 いふは雨の向こうをじっと見つめていた。


「……ないこ。

 お前、ずるいわ」


 悲しそうに、でもどこか優しく笑いながら。


「俺に“捕まえたくない相手”なんて、作ってどうすんねん……」


 彼は手の中で小さな追跡装置を握りしめた。

 その装置が示す赤い点――ないこが走って逃げていく。


 追える。

 捕まえられる。

 簡単に。


 だけど――。


「……今日は追わん」


 彼は装置をそっと机に置いた。


「お前泣かした俺が……一番のアホなんやろな」


 雨が静かに降る。

 互いの心を濡らすみたいに。




ーーーー



 雨の夜に逃げ出してから三日が経った。


 俺――**ないこ(マーディスト)**は、任務を失敗した咎で、スパイ組織の地下室に閉じ込められていた。

 情報漏洩の危険があるとして、上層部から尋問もされている。


 理由は簡単だった。


 ――任務中に、敵である“スパイ狩り”の男に情を移した。

 それだけで、スパイの世界では死刑に値する。


 俺は何度も否定しようとしたが、あの夜の涙、あの声、あの温度を思い出すと口が塞がってしまう。


(……いふ)


 あの男。

 “キラ”と呼ばれ、百人以上のスパイを仕留めてきた最強の天敵。


 本来なら、俺が怖れて、嫌悪して、憎まなきゃいけない相手なのに。


 泣きそうな俺を抱きしめるように見つめて、「見逃したる」なんて言うから。


 あんな優しさに触れてしまったから。


(ずるい人だよ……あんたは)


 鉄格子の向こうの暗闇を見つめていたとき、突然外で爆音が鳴った。


 そして。


ガシャァァァァン!!


「……え?」


 鉄扉が歪み、ひとりの男が現れた。


「……お前、無事やったんか」


「っ――いふ……!」


 影が濡れた床に伸びて、俺の前に立つ。


 黒の戦闘ジャケット。腰のホルスター。

 雨を吸った髪先から滴る水。


 あの夜と同じ、鋭くて優しい目。


「何して……なんでここに……?」


「来るに決まってるやろ。

 ――お前、捕まるようなアホな真似しとったら、誰が助けんねん」


 心臓が跳ねた。


「助け……に?」


「当たり前や」


 その言葉が、俺の胸を刺して熱くした。


「でも……俺はスパイなんだぞ。敵だろ……?」


「敵や。そら敵や。

 せやけど……」


 いふは俺の手首に手を伸ばした。


 手錠を外すでもなく、拘束を締め直すでもなく。

 ただ、そっと触れた。


「俺、お前を傷つける仕事なんかしたない」


 涙がこぼれそうになった。


「……いふ……」


「連れ出したる。逃げよ」


「無理だ……俺の組織だぞ、ここ。お前だって囲まれる……」


「囲まれとるで」


「は?」


 次の瞬間だった。


ザッ……!


 暗闇から、スパイ組織の構成員たちが一斉に現れ、銃を向けてきた。


『マーディスト確保完了。キラ、包囲成功』


 耳に響く冷たい電子音。

 組織の仲介端末だ。


 そして、いふは静かに言った。


「……すまん、ないこ」


 俺の肩が凍りついた。


(……え?)


「捕まえたんは、お前や」


 その声は震えていた。

 泣き出しそうなほど、痛いほど、苦しそうだった。


 だけど――嘘じゃなかった。


 いふは俺を助けに来たんじゃない。


 “捕まえに来た”んだ。


「……裏切ったのかよ」


「裏切ってへん」


「嘘つくなよ!!」


 泣きそうになる俺を、いふは真っ直ぐに見つめる。


「ないこ。お前が泣いて逃げた日から……俺、仕事も飯も手につかへんかった」


 声が震えていた。


「お前を見逃してしもて……ずっと自分責めとった。

 本気で捕まえへんかったせいで、こうして酷い目に遭わせた」


「そんなの……そんなの、俺のせいで……」


「ちゃうねん。全部、俺の責任や」


 いふは俺の両肩を掴んだ。


「俺はスパイ狩りや。仕事で生きてきた。

 でもな、お前に情移ってしもた俺が悪いんや」


「……情……?」


「好きやっちゅうことや」


「――っ」


 喉の奥が熱くなる。

 心臓が痛い。

 苦しくて、泣きそうで、嬉しくて、悲しい。


 全部がごちゃごちゃになって、呼吸ができなかった。


「だから……捕まえに来た」


「なんで……? 好きなら……助けに来いよ……」


「好きやからや」


「意味わかんねぇよ!」


 俺は叫んだ。

 涙が頬を流れた。


「好きなら一緒に逃げろよ! 俺を連れて、どっか遠くに――」


「無理や」


 いふはひどく苦しそうに笑った。


「俺らは、逃げる人生なんか歩かれへん」


「そんなの……!」


「お前はスパイで、俺はスパイ狩りや。

 敵同士がどこ逃げても、結局追われる側と追う側になる。

 どっちかが死ぬまで、終わらん」


 わかっていた。

 わかっていたけど、聞きたくなかった。


「やからせめて――俺の手で終わらせたる」


 その言葉に、俺は崩れ落ちた。


「そんなの……そんなの……優しさじゃねぇよ……」


「優しさや。

 お前みたいに泣き虫で、嘘つくの下手で、人傷つけへんやつ……

 この世界で長く生きられるわけないやろ」


 涙が止まらなかった。


「お前が俺を好きやったら……全部台無しになるんやで」


 その瞬間、いふの声が一番痛そうに震えた。


「全部壊したる。

 お前がこれ以上、誰にも利用されへんように。

 俺が終わらせる」


 そう言って、いふは俺の手を離した。


「連れていけ」


 周囲の構成員たちが俺に近づき、拘束具を取り出す。

 腕をつかまれる。

 逃げられない。


「……やめろよ……」


「ないこ」


 いふは微笑んだ。

 世界でいちばん優しい笑顔で。


「泣くな。俺がついてる」


「それがいちばんつらいんだよ……!」


 俺は叫びながら、拘束されたまま床に押し倒された。


 いふの目が苦しげに揺れる。


「俺のせいやな……全部……」


「違う……違うよ……」


「違わへん。

 お前を好きになってしもた俺が悪い。

 この世界で、好きになるなんて……一番やったらあかんことや」


 俺の視界が涙でにじむ。


「ないこ」


 いふは俺の前にしゃがみ込んだ。


「捕まえる。でもな……」


 そっと、指が俺の頬に触れた。


「最後に、ひとつだけ……願い聞いてくれへんか?」


「……何」


 いふは目を伏せ、深く深く息を吐いた。


「泣くな。

 なぁ……俺が捕まえても、お前は泣くな」


「……無理だ」


「無理言うなよ。

 俺がお前泣かすの……ほんま辛いねん」


 ずるい。

 この人は本当にずるい。


 俺の心を壊すほど優しいこと言う。


「なんで……なんでそんな顔すんだよ……」


「好きやからやろ」


 その言葉が、俺の胸を貫いた。


 拘束され、車に載せられ、施設へ運ばれる途中――。


 突然、外が爆音で揺れた。


ドォォォォン!!


「何――!?」


『外部からの攻撃です!』


『侵入者多数!』


「は……?」


 視界の外で叫び声と銃声が上がる。


 そして。


ガチャッ!


 扉が破られ、煙が入り込む中――

 俺の手錠を外す影があった。


「……ないこ。立て。急げ」


「い、いふ!? なんで……?」


「逃げるんや」


「は……?」


 混乱する俺を、いふは強引に立たせた。


「ほんまに捕まえる気やったら、あのまま車で連行しとる。

 でもな……」


 いふの声が震えた。


「お前泣かすん、もう無理やった」


 涙が溢れた。


「ずるい……!」


「知っとるわ。俺、自分でも最低や思てる」


 いふは俺の手を握った。


「でも……せやから。

 ――一緒に逃げよ」


 息が止まった。


「俺とお前が生きられる場所、探そ。

 どこにもないかもしれへんけど……探すんや」


「っ……!」


「ないこ。

 好きや。ほんまに、お前が好きや。

 世界全部敵に回しても、お前だけは……手離したないんや」


 涙が止まらなかった。


「お前も……言え。

 俺に言われっぱなし、嫌いやろ?」


「……好きだよ」


「もっと」


「好きだよ……いふ……!」


 いふは一瞬だけ泣き笑いをした。


「よし。――行くぞ」


 手を繋いで駆け出した。

 雨の匂いと、銃声と、爆音。


 でも。


 そのすべてよりも強く、俺の手を握る彼の温度だけが、確かだった。


 どこに逃げても、未来は地獄かもしれない。


 でも。


 ふたりでなら、地獄でもいい。


 俺たちは――

 雨の夜の向こうへ、手を繋いだまま駆けていった。





――END




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