レイチェルが
混乱に沈む頭を整理しようとしていた
その時だった。
「⋯⋯起きられましたか。良かった⋯」
突然の声に
レイチェルは
びくりと肩を跳ね上げた。
ベッド脇で突っ伏していた男の子が
顔を上げ
山吹色の大きな瞳を真っ直ぐに
此方へ向けていた。
「勝手に着替えをさせまして
申し訳ございません」
穏やかな声⋯
だが、その話しぶりは
見た目の年齢には
まるでそぐわない。
その幼い顔から
発せられたとは思えない程
威厳に満ちた
落ち着いた口調だった。
「え……?」
思わず声を漏らし
何かを問おうとしたその時
突然、 室内に
「コンコン」と ノックの音が響いた。
「⋯⋯失礼しますね」
控えめな声と共に
扉が静かに開いた。
其処に立っていたのは
喫茶店の店主
藍色の着物を纏い
黒褐色の長い髪を
品 良く束ねた男性だった。
彼の鳶色の瞳は
レイチェルが店で見た時と同じ
穏やかに細められていた。
彼の手には
湯気がふんわりと立ち昇る
盆があった。
盆の上には
胃に優しそうな
淡い香りのする料理が並べられている。
温かい粥の柔らかな香りに
ずっと重苦しかったレイチェルの胃が
小さく鳴いた。
「お目覚めですか?
ご気分は、いかがでしょうか」
店主は優しく声を掛けながら
盆をサイドテーブルに置き
そっと椅子を
ベッドに近付けて腰掛けた。
彼の笑顔は柔らかく
まるで冬の日に差し込む
暖かな陽射しのようだった。
「⋯⋯あの、ここは?」
掠れた声が喉の奥から漏れた。
「私は⋯⋯なんで⋯?」
混乱と不安が
言葉を上手く繋げさせてくれない。
だが
その問いかけに
店主は優しく微笑み
静かに自分の唇に指を添えた。
「⋯⋯」
静寂を促す仕草に
レイチェルの声は自然と止まった。
不思議な感覚だった。
彼が何を語らずとも
ーその瞳が全てを知っているー
そんな錯覚に陥る。
まるで心の奥底を
覗かれているかのような
奇妙な感覚だった。
「まずは、自己紹介からいたしましょう」
静かに
だが確かに届くその声は
何処か心に響いた。
「僕は、櫻塚 時也⋯ と、申します。」
そう名乗ると店主
時也は
穏やかな所作で深々と頭を下げた。
レイチェルは
その礼儀正しさに戸惑いつつも
思わず同じように
深くお辞儀を返した。
「⋯⋯あ、レイチェル⋯⋯
レイチェル・カメレリス⋯です」
自分の名を名乗ったのは
どれくらいぶりだろう。
声にする事で
自分が確かに〝此処に居る〟と
実感できた気がした。
それにしても
彼の名は妙に耳に残った。
ー櫻塚 時也ー
何処か異国の響きを持ちながら
どの言語にも属さないような
奇妙な響きだった。
何処の国のものかも分からない
初めて聞く発音
なのに⋯不思議と覚えやすい。
名を名乗っただけなのに
先程まで感じていた恐怖や不安が
ほんの僅かだが
和らいだ気がした。
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