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あれから、数日間かけて、和織と話をした。
和織の口から出る言葉に変化はない。
自分の死を望む言葉も、覆ることはなかった。
けれど、和織は具体的なことは言わない。
いつ、
どうやって、
遺書をどう見せるのか。
その具体性がないことが、唯一安堵できるところだった。
タイムリミットがないなら、じっくり考えられる。
かといって悠長にできることでもない。
「和織、遺書の為に、両親の事をもう少し聞かせてほしい。」
「…うん、いいよ。」
“遺書の為”。
そう言えば、和織は話してくれる。
汚いやり方だな、とは思いつつも、少しでも和織の感情を汲みたかった。
「お母さんは児童作家…だったよな。」
「うん。人気があったのは、やまねずみのキャラクターの話とかかな。」
「…『見習い天使の郵便屋さん』じゃないのか。」
てっきりこれが代表作かと思っていた。
ネットで検索をかけてみれば、たしかに『もり うたこ』の検索結果はやまねずみの本が多く出てくる。
「うーん、あんまり児童向けで天使って人気ないかもね。シリーズにはなってないし…。」
「なるほど…。じゃあ見習い天使は和織のお気に入りなんだな。」
「…そうだね。小さい頃、よく読んでたみたい。」
懐かしむように答えた和織は、表情が柔らかかった。
自慢の母親だったんだろう。
…じゃあ、父親の事は?
「…お父さんは、どうだ?」
「…ほとんど家にいない人だったよ。
学校行事だって、来るのはいつもお母さんだけ。
それなのに、跡継ぎにしたいとか言ってきて、 自分勝手に僕の進学先も決めようとしてた。」
ああ。 進路に口を出されて喧嘩をしていた、友人を思い出す。
俺は運よく、あまり口を出さない親だった。
いや、それで定職についていないのだから、結果、悪かったのかもしれない。
…ただ、今の自分が不幸だとは思わないから後悔はしていない。
…やっぱり、恵まれた方だったのか。
「お父さんとはあまり話してないのか?」
「…進路の事となると口喧嘩になるから、必要最低限の会話しかしない。」
「…お母さんの…事故の時は?」
一瞬だけ、泣きそうな顔をした。
和織の気持ちが、少し読める気がする。
父親を責めたい気持ちと、自分には責める資格がないジレンマ。
行き場のない気持ちは、和織の身体の中でぐるぐると滞留しているだろう。
「…お母さんが…、亡くなって、…だいぶ経ってから病院に来た。
後から、仕事で遠くにいて、すぐに帰ってこれなかったって秘書の人から聞いたよ。
当時は知らなくて腹が立ったけど、今は、少し…事情は分かるから…。」
父親の事情は、理解していたんだ。
そうなると、父親への反抗心は薄れていそうだが、和織には、まだなにか、父親への気持ちがある気がする。
「ご両親は、仲が良かったのか?」
「…悪くはなかったと思うよ。 お父さんにとって、お母さんは…大切な作家の1人だったとも思うし。」
大切な作家の1人…。
ビジネスパートナーでもあり、生涯のパートナーだったのだろう。
父親の話によると、和織は子供の頃、小説家になりたいと言っていたらしい。
きっとお母さんに憧れていたんだろう。
けれど、そんな話はいつの間にか聞かなくなったそうだ。
文章が得意な方ではない。
和織自身がそう思って諦めたのかもしれない。
それでも、幼心に母の姿に憧れ、あるいは父の仕事を手伝おうと考えていたように思える。
…もしそうなら、愛情にあふれていた家族だと感じる。
いや、きっと今も。
俺は連日、睡眠時間を削って机に向かい続けた。
更に数日が経った。
完成した便箋を封筒に入れて、俺は和織に「『遺書が完成した』と連絡を入れた。
すぐに既読のついたメッセージは、1分と経たずに『今から行く』という返信が来た。
数十分後、インターホンが鳴って、開けたドアの前には、いつもと違う和織がいた。
服装も髪型も、いつもと変わりないが、どこか緊張した面持ちで、
その影に死神が潜んでいるような気がしてならなかった。
影を睨みつけてから、いつも通り家に招き入れて机の前に座らせた。
「おじさんに頼んでよかった。
僕じゃ、まとまらなかったから。」
「…読む前に言うなよ。」
「それだけ信頼してるんだよ。」
いつもの軽口。
けど、俺はいつものように『はいはい』と流さなかった。
ただ、和織をまっすぐ見据える。
いつもと違う違和感を感じた和織は首を傾げた。
「……おじさん?」
「お前が本当に必要なのは、…遺書なんかじゃない。」
そう言って、俺は和織の手を掴んで、手紙を無理矢理握らせた。
和織の視線は動揺するように揺らいだ。
遺書をもらうつもりで来たのだから、当然だろう。
戸惑いがちに、視線を落として握らされた手紙を見る。
真っ白な封筒には、宛名も差出人もない。
ゆっくりと封筒の中の便箋を取り出し、目を開いた。
「っ、これ…、この手紙は……。」
何かを言いたげに顔を上げた後、また視線を手元に戻して読み進めた。
『和織へ
10歳の誕生日の時、和織に本を贈ったの、覚えてる?
私が書いた本です。
最初は「本なんて嫌い。」と、気にいってくれなかったけど、
段々と好きになってくれて、ボロボロになるまで読んでくれたよね。
もう気づいてると思うけど、あの主人公は和織です。
天国にいた主人公がみんなに手紙を届けるために、
下界に降りて、違う世界でいろんな人に出会うことで心が成長していく物語。
和織にも、こんな人生を歩んでもらいたいと思って書きました。
これが、あなたを少しでも良い未来に導けたならいいな。
本当は売れ行きはあんまりよくなかったけど、
和織が気に入ってくれたから、私の中で『見習い天使の郵便屋さん』は最優秀賞です。
昔は、お母さんと同じ作家になりたいって言ってくれていたよね。
お母さんは嬉しかったよ。
お父さんは「収入が安定しない!」なんて心配で反対していたけど、
本当はすごく嬉しかったみたい。
和織が寝た後、作家にはどうやったらなれるのか調べてたんだから。
(お父さんには内緒ね!)
最近は聞かなくなったけど、今はどうかな?
でもね、何に憧れてもいいんだよ。
いろんなお仕事があるんだから、
ゆっくり、自分のやりたいことを見つけてね。
改めて、高校生になった和織に聞きます。
和織は今、何になりたいですか?』
手紙はここで終わり。
だけど、もう一枚、後ろに紙があった。
1枚の原稿用紙。
『まだ世界を知らなかった小さな天使は、
みんなの手紙を届けに行くことで、世界が広がった。
そして、まだまだ広がり続ける。
だって、この世界は、まだまだ知らないことだらけで、
空も海も果てしなく続いているのだから。
天使は、空になった郵便バッグを大事そうに抱えて、
大人びた顔で空を見上げた。』
和織は、何も言わなかった。
ただ、原稿用紙の次にあったものを、静かに見つめていた。
最後の1枚は、写真だった。
小学生の僕と、お母さんが笑っている写真。
そうだ、僕は…、父の仕事を継がないで、本当は小説家になりたかった。
でも、文章が下手で、想像力も乏しくて、なれる気がしなかった。
結局、高校も惰性で選んで、受験した。
罰が当たったと思った。
父親の言うことも聞かず、小説家になりたい夢を捨てきれないで、
自分勝手に生きてきた罰。
ずっと、お母さんに申し訳なく思っていた。
何度も何度も、自分が死ぬべきだと思った。
お母さんは、物語を作る人だった。
子供に夢を与えて、人の心を動かす言葉を、たくさん生み出してきた人。
だから、自分には生きている意味や資格なんてないと思った。
手紙の字はお母さんじゃない。
似ても似つかない、へったくそな字だ。
最近よく見ている、読みにくいおじさんの癖字。
なのに、どうしてだろう。
この文章がお母さんのものだと思えるのは。
縋るように、償いのつもりで真似をした、『見習い天使の郵便屋さん』。
あれは、理想像なんかじゃなくって、僕が、僕の人生を歩くことを願っていたんだ。
どこから見つけたのか、原稿用紙に書かれているのは懐かしい母の字で、
幼い頃見た『見習い天使の郵便屋さん』の、本物の原稿だった。
「………本当に…?
お母さんは、僕なんかのこと、…恨んでないのかなぁ……?」
「俺はお前の母親には会ったことないから、正直な所、わからない。
ただ、両親がお前のことを大事に思っていたことだけはわかる。
お前の父親だって、お前の事、1度でも責めたことがあったか?」
「………ない…。」
「なら…、…そういうことだろ。
お前を許してないのは、お前だけなんだよ、和織。」
ごめんなさい。
あの日、大事なお守りを忘れて。
ごめんなさい。
仕事の前に試験会場まで届けに来てもらって。
ごめんなさい。
学校もちゃんと行かないで。
ごめんなさい。
お母さんの気持ちをわかってなくて。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
顔を歪ませた和織が、俺の腹を目掛けて突っ込んできた。
倒れないように必死に両足で踏ん張って受け止めれば、子供の様にわんわんと泣き出した。
…これで、いいんですよね。
和織のお母さん。
俺はぼろぼろの天井を見上げて、少しもらい泣きしそうになった。
そのまま泣きつかれて寝てしまった和織を布団に寝かせて、俺は玄関を出た。
『夜分遅くにすみません。河目です。
すみません、和織さん寝ちゃいまして…。
あ、はい、大丈夫です。
それで、あの…。
差し出がましいんですが、帰ったら、和織さんとお話ししてもらえませんか。
…いえ、大丈夫だと思います。
もう…、すれ違いなんて起きませんよ。』
母親を失った少年は、後悔に明け暮れていた。
そこへ、小説家の男と出会う。
少年は男を誘い、母の書いた物語の真似をした。
そうすることで、自分の存在意義を作ろうとしていたのかもしれない。
男はそんな少年の話を聞いて、少年に手紙を渡した。
すると、曇り空だった少年の心が、少しずつ晴れていく。
下ばかり見ていた少年は上を見て、世界の広さを知った。
空も海も果てしなく続いている。
少年は、男の手紙を大事そうに抱えて、
大人びた顔で歩き始めた。
コメント
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ふわあ…もうこの話、めっちゃ泣けた😭💕 「お前を許してないのは、お前だけ」って台詞が刺さりすぎてやばい…! 河目さんが作ったお母さんからの“偽物の手紙”だけど、和織には確かに届くものだったんだね。 最後の「空も海も果てしなく続いている」って表現、好きすぎて何回も読んだよ…! 次、和織がどう変わっていくのか見たいな、本当に楽しみ🌸