テラーノベル
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『はじめに質問させて下さい』
『性別をお答えください』
【 女 】
【 男 】
→ 選択:【 女 】
『あなたの氏名を教えてください』
→ 入力:【 湊凪うらら 】
『ちなみに甘いものはお好きですか?』
【 はい 】
【 いいえ 】
→ 選択:【 はい 】
『なるほど。気が合いそうですね。』
『最後にもう1つ。──悪に立ち向かう、覚悟はありますか?』
………………。
………………。
………え?
──ありません。
ぴぴぴぴ。
ぴぴぴぴ。
ぴぴぴぴ。
起きろ起きろと言わんばかりのアラームみたいな音が、暗い視界の中で響いていた。
……うるさい。
ぴぴぴぴ。
ぴぴぴぴ。
うるさいってば……。
ぴぴぴぴ。
ぴぴぴぴ。
おばあちゃん……まだ朝だよー。
私はまぶたをこすりながら、枕元に置かれた目覚まし時計を手当り次第探した。
『……聞こえますか? 私はLです』
あれ?あれれ……?
ごそごそと探っていると、指先に固い感触が触れた。
それは目覚まし時計じゃなく、黒くて見慣れない携帯だった。
画面が光っていた。中央に、白く、こう書かれていた。
『L』
……え?L?
あの……L?
その瞬間、スマホから声がした。
『……聞こえますか? 私はLです』
私はびくりと肩を跳ねさせる。まちがいなく、今、喋った!
『聞こえたら返事をしてください。あなたは──湊凪さんですね?』
──固まった。
頭の中が、キーンと音を立てて真っ白になる。
ずっと前から知ってる。世界一の名探偵。裏のトップ。ネットで名前を聞いたこともある。何でも事件を解決する天才探偵……!でも、でも、現実に喋りかけられるなんて。
……こわい。これから何か、絶対にとんでもないことが起きる。
怖い、嫌だ。巻き込まれたくない。
無視しよう。聞こえなかったフリして、2度寝して──そうだ、これはただの夢。へんな夢だ!
『……聞こえていますか?』
また、声がした。はっきりと。静かで、でもまっすぐな、逃げ場のない声。
「……い、いいえっ!聞こえませんっ!!」
思わず、私は叫んだ。声が裏返る。
なのに。
『……なるほど。返事はいただけたようですね』
「いやいやいやいやいやいやいや!ちがっ……聞こえないって言ったじゃん!!」
『無事で何よりです』
Lの声は落ち着いていた。どこまでも冷静で、逆に怖い。……え?無事?なにそれ?
私はようやく、ベッドの上にちゃんと座り直した。
ぐるりと部屋を見渡す。
──青い壁。
──重たそうなアンティークのソファ。
──堅いベッド。
「……ここ、どこ?」
見たことのない部屋だった。家じゃない。自分の部屋でもない。
なんでこんなところに……。すると、手元からLの声が響いた。
『いきなりですが、状況を説明します。3日前、あなたは誘拐されました』
「──……は?」
『《クリエラの月》の新たな拠点だと思われる場所を捜査中とのことです。犯人はネゴシエイターに私を指名し、本日通信機を送り付けて来ました。今その通信機で話しています』
……クリエラの月?なにそれ、チョコレートの名前か?誘拐……?わたしが……?そんなのされたっけ?
というか「ねごしえいたー」って何だ?人の名前?機械の名前?食べ物じゃないよね?でもちょっと……ポテチの新商品っぽい。「ネゴシエイター・バーベキュー味」的な。
『おそらく、新拠点の情報はあなたを誘拐するための罠として、意図的に流されたのでしょう。前回の──』
(……長いな)
何やらすっごく重要そうな話をしてる気はする。でももう、聞く気がない。私はソファのフカフカを確かめるのに夢中だ。
(このソファ、いいな。かわいい)
『──つまり、あなたは私との“交信のみ”でそこから脱出するしかないのです。状況は把握できましたか?』
……はい?
交信のみ?
え?
交信のみ?
え?──迎えに来てくれないの?
うそでしょ。私、だけ?L、だけ?
家族も友だちもなし?ゲームみたいな選択肢も出てこないの?!
……無理だ!
無理無理無理。ちょ、ちょっと待って。
「えっ……え、いやいや、え、帰る、帰ります!すみません、お先です。帰りまーす」
『……帰れません』
──あっさり。
心の扉、バタンと閉まる音が聞こえた。
『状況は把握してますか?』
「してません!」
すぐさま、はっきり答えた。キレの良さだけは自信ある。
『では、もう一度説明します。よく聞いておいてください』
──え、待って、やめて、やだ。聞きたくない。
『3日前、あなたは誘拐されました』
あーーー……また始まった。
長い話が……。
先生よりも長いやつ……。しかも、チャイム鳴っても止まらないタイプの。
あーーーーーーー。
『《クリエラの月》の新たな拠点とされる場所を調査中に──』
はいはいはい。
『犯人グループはネゴシエイターを通じて私に直接交渉を──』
だから、ねごしえいたーってなんだよ。
そして再び──
『……状況は把握できましたか?』
うわっ。さっきよりも、声が……低い。
「っ……」
こわい、やばい。怒ってる。絶対怒ってる。やばい。たぶん今の質問、正直に答えたら怒られるやつだ。
──出来てません。
というより、聞いてません。
それが本音。でも、それは今言っちゃいけない空気だった。
「……あーーー、出来ました」
適当に言った。
明らかに嘘。適当感、バレてる自信しかない。でも、言うしかなかった。
『……そうですか』
あっ、やっぱりバレてるやつだ、これ。
やっちゃった?怒らせた?今の“そうですか”ちょっと冷えてたよね。冷蔵庫並の冷たさだった。
『では、早速、始めましょう』
「……え、は、はい……!」
『まず、あなたのいる場所ですが、どんなところなのでしょうか?』
「えっ……えーと……えっと、よくわからない、です」
だって、ほんとによくわからないんだもん。青い壁とアンティークなソファ、ぐらいしか分からない。
『……そうですか』
(あ、また冷蔵庫……?)
『いえ、無理に説明されて先入観を与えられるより、不明なものは不明だと言ってもらう方がいいです』
ちょっと褒められたっぽい空気に、私はふふんと小さく胸を張った。そこへ──
『では、PDAのカメラを使って、周囲の情報を送ってください』
ぴぴぴ。カチッ。
手元の通信機で部屋を撮した。
『なるほど……どこかの部屋のようですね。では、室内を──』
(長い……話が長いよこの人)
私はLの声を完全にBGM化しながら、まずベッドに向かった。
カバーはくしゃくしゃ、布団はぺたんこ、枕には微妙なシミ。
(うわ、これ、絶対……寝れないやつ)
シーツの端をめくってみる。うっすらと茶色いシミ。
しかも、ちょっと砂っぽい。
「んー……ダニいそう……」
思わず口に出して言ってしまった。
『ベッドの状態に何か気づいたことがあれば、報告を──』
「汚いです!」
即答。
『……なるほど』
返事が短くなると、逆にちょっと怖い。……まあ、いいや。
私は次に、部屋の隅にあるキャビネットへ向かった。木製の引き戸がついたやつ。
何が入ってるかも知らず、ゆっくり開けた。
『そのキャビネットは、一般家庭では使用例が少なく──』
(はいはい、知らん知らん)
私は無言で引き出しを開け、中を覗き込む。中には紙が数枚と、小さなメモ帳が押し込まれていた。
でも、なんかカビっぽい臭いがして、思わず閉じた。
(やめとこ。健康第一)
次。ソファ。さっき座ってたやつ。
『そのソファは、高級ブランドの──』
(……高級?)
そこだけ、ぴくっと反応する私。
「えっ、高級?じゃあ、持って帰れるんですか?」
通信機のカメラに向かって、ソファの背もたれをポンポン叩きながら聞いてみる。
『……持って帰れません。』
「えー……」
当たり前の返事が返ってきたけど、がっかり感の方が勝った。
「え、でもだって、誘拐されたんですよ?慰謝料とか……こう、ね?家具ぐらい……?」
『それについては別途交渉を──』
「ええっ!?Lさん交渉できるんですか!?してくれるんですか?やってくれるんですか!?」
私の目は完全に本気だった。
ソファの柄を確認しながら、口が止まらない。
「これ、めっちゃ高そうですし!いっそあの椅子とか、テレビとかベッドも持ち帰って医療費に回して!あ、机はちょっと重いから後回しで!」
『落ち着いてください。私は探偵であり、弁護士ではありません』
「じゃあ、探偵としてこのソファの所有権、調べてください!」
『現時点では、この施設の所有物です』
「でも、誘拐された人間がここにいるってことは、“人質税”みたいなものが発生して──」
『湊凪さん』
ぴたり、と声が止まった。
通信機のレンズが、わずかに光を強める。
『あなたの命に関わる事態である、という認識はありますか?』
「……えっと……あります!!ありますけど……でも家具も大事……!!」
『……その通りですね。生きて帰ったあと、交渉しましょう』
「──絶対ですよ!?絶対ですからね!?うやむやにしないでくださいね!?」
私は通信機を両手で包み込み、ぐいっと顔を近づけた。
「約束しましたからね!?億万円!!億万円山分けしましょうね!!」
『……その単位は通貨として存在しませんが、わかりました』
「じゃあ兆でもいいです!!」
『落ち着いてください。そのソファにそんな価値は無いですし、まずは“命の確保”が先です』
「わかってます!でも、命があっても貧乏じゃ意味ないです!!」
『極論すぎます』
ワチャワチャと騒ぎ続けていたが、あるタイミングでLの声が少しだけ低く、落ち着いたものになった。
『……わかりました』
ぴた、と通信機のレンズが微かに光を灯す。
『どうやらあなたがいるのは、長い間使われていないホテル跡のようです』
「……ホテル?」
急に出てきた“現実感”のある単語に、私はちょっとだけ黙った。
(そっか……ホテルか。装飾はオシャレだけど、全然いい感じじゃないんだよな……)
ボロいし、汚いし、ベッドはくさいし。
『さあ、次に行きますよ。あまり呑気な事は言ってられませんから』
Lの声が、少しだけ早口になる。
『慎重に調べながら移動してください』
「……わ、わかりました」
私は通信機を握りしめ、部屋のドアノブに手をかけた──そのとき。
『今、よろしいですか』
「はい?」
『もし必要ならば、湊凪さんの方から話しかけてきてください』
「……えっ!?話しかけていいんですか!?本当に!?無視しない!?」
思わず通信機を両手で抱えて、口元がにやける。
「L!L!ねえ、L!今わたし部屋出るとこ! 緊張してきた!L!心の準備できた?L!」
『……私はいつでも準備できています』
「わぁ!頼もしいー!じゃあね、L!今から行くよ!?見ててね!?」
『……』
「L!L!あれ?聞こえてますかー?あれ?聞こえてないようですね(Lの真似)もしもーし。もしもーし、もしもし?」
『静かにお願いします』
「……あ、はい」
ぴたりと黙って、私は慎重にドアノブを握り、ガチャッと押す。ゆっくりと扉を開けると、そこには──またしても、見知らぬ部屋。
『あとひとつ、いいですか?』
「ひゃっ、びっくりした……な、なんですか……」
『この部屋も調査してください。重要な手がかりが残されている可能性があります』
「はぁい……」
私は部屋に足を踏み入れる。見回すと、またあった。アンティークなソファー。引き出し付きの机。そして、その机の上──
「……ん?」
白い箱。……いや、金属。つるっとしてて、角張ってて──鍵穴つき。
「……金庫?」
『何かあるかもしれません。くれぐれも注意して調査してください』
「はいはーい」
返事だけはいい。でも、聞いてない。
私はさっそく、机の引き出しをがらがらっと開け──空。
次、ゴミ箱をひっくり返す。
「んっしょ。……あ、これ……」
出てきたのは、使いかけのカッター。刃がちょっと出たままになってる。
「危ないなー。これは“自衛用”ってことでキープ!」
すかさずポケットに突っ込む。
『扱いには注意してください。怪我をしても応急処置は自力になります』
「大丈夫、大丈夫〜」
カッターくらい使えるわ。
続けてベッドの横の引き出しを開けると──
「……おおっ」
中から出てきたのは、青い柄のハサミ。
ハサミを開いてみる。動作良好。さくさく動く。
これもなんか使えそうな気配。
私はさっそく両手に武器(?)を装備して、金庫の前に戻った。
「さあて、開けてみましょうか……!」
『あの、それらは本来、鍵を壊すための道具では──』
「やるだけやるの!」
『……くれぐれも自己責任でお願いします』
私はカッターを構えて、金庫の隙間に突っ込み、ぐいぐい押した。次にハサミでこじ開けようとしたけど──ガチガチでビクともしない。
「……ぬぬぬ……開かないっ……」
当然だった。どう見ても本格的な作りだ。
「……ダメだ、ロックかかってる……」
Lの声が、ほんの少しだけ深くなった。
『客室の金庫は、平常時には空いているものなのですが……気になりますね』
「……え?普通は開いてるの?」
『はい。つまりこれは、何らかの意図で“封印”されている可能性があります』
Lの言葉に、私は金庫を改めて見つめる。
(封印……?なんで?誰が?)
──何が入っているのかは、開けてみるまでわからない。でも、この“閉じている”という事実だけで、何かが始まりそうな予感がした。
『この部屋は安全そうですね。他の部屋も調査しましょう』
「はーい……でも次こそ、持って帰れるもの見つかるといいな……」
『……』
私は名残惜しそうに金庫を一度ちらっと振り返ってから、部屋のドアへと向かい、ドアノブに手をかけた、そのとき。
『よろしいですか?』
Lの声が、少しだけ慎重な響きに変わった。
「よろしくないです……もう行きますね」
カチャッ──
ドアを開けようとした瞬間。
『危ない!』
Lの声がはっきりと鋭くなった。
私は反射的に動きを止めた。
『やられました……トラップです。まずいことになりましたね』
「………………は?」
ドアの上。スリット状の金具の奥に、赤く光る小さなランプ。
爆弾が仕込まれていた。
赤と緑と黄色の配線が張られている。
「え、ちょ……これ、爆弾……?」
『はい。処理を誤れば──ドカン。一巻の終わりです』
「終わり!?あの“死ぬ系”の終わりですか!?」
『はい。でも、落ち着いてください。この型のトラップは、これまでに何度も処理したことがあります。私の指示に従って冷静に処理すれば、必ず解除できるはずです。始めましょう』
「…………じゃあ、Lがお願いします」
『?』
「Lがやってください」
『いえ、あなたが今その場に──』
「Lがやってくださいッ」
『……処理を行うのはあなたです』
「なんでですか!?Lの方が絶対慣れてますよね!?知識も経験も冷静さも持ってるのに、なんでですか!?」
『私には手が届きません』
「じゃあ来てください!!」
『その前に爆発します』
「いやぁぁぁ!!」
『落ち着いて。手を伸ばしてください。そこに配線があります。まず、それを確認して──』
「いや、ちょっと待って!あの、本当に、あの、爆発するって……!?」
『はい。失敗すれば、ドカンです』
「じゃあL、ぜっっったいにミスしないでくださいね!?」
『はい。ですが、作業を行うのはあなたです』
「うわぁぁぁぁ!!」
『では、順を追ってトラップ解除について説明します。どんなトラップも、“制限時間”内に一定の手順を踏めば──』
(……ふぅ)
私は深呼吸して、ソファに座り込む。
落ち着け。大丈夫、なんとかなる。Lだし。
だって、Lが一緒にいるんだよ?世界一の探偵だよ?絶対大丈夫でしょ。爆発とかしないし。
つーか、Lが止めてくれるでしょ。なんかこう、最終的に。
死にゃあしねぇさ。……たぶん。
Lの声は、まだ続いている。
『──くれぐれも慎重にいきましょう』
「はいっ!!任せてくださいっ!!」
立ち上がって、全然話を聞いてなかった勢いで即返事する。
『……念のため確認します。理解していますか?』
「バッチリです!!」
『……』
Lの沈黙が、レンズ越しにも呆れ顔に見えてくるのはなぜだろう。
『では、まず“起爆装置”を見つけて──』
赤、緑、黄色の、配線……。
小学生でも迷う派手さ。
これはもう、切ってくださいって言ってるようなもんじゃない?
私は真剣な顔でLのカメラに向き直った。
「三本同時に切ったら、どうなりますか?」
『絶対にやめてください』
速攻で帰ってきた。
「……やっぱ、ダメ?」
『“やっぱ”で判断するのはやめてください。命がかかっています』
「でも、切りたくなる色してるんですよ、これ……順番に一色ずつ並んでて、こう……フラグって感じがするというか」
『フラグという概念を現実に持ち込まないでください。フィクションではありません。』
「えぇ〜……」
私の手元では、カッターがすでに赤いコードの上に乗っかっていた。
『……本気で切ろうとしてましたね?』
「切ってないです!!乗せただけです!! ……でも、やっぱ同時が一番確実じゃないかなって」
『一番確実なのは、私の指示を聞くことです』
私はふてくされながらも、起爆装置に手を伸ばす。Lの声がぴたりと止まり、少しして──
『……湊凪さん。現在、その装置の解除成功率は──24パーセントです』
んあ?24?
「……つまり、やばいってこと?」
『はい。失敗すれば爆発寸前。成功すれば無事解除です。数字の通りですね』
「へぇ〜……24、かぁ……」
私はしばらくじっと装置を睨みつけた。
24パーセント……。
24……24……うん。2桁だからいける。
「……」
ガチャンッ
『っ!?湊凪さん?待ってください』
Lの制止も聞かず、私は力任せに装置の縁に指をかけ、ぐっと引っ張った。
『それは物理的に外す──っ!』
──パキィィンッ!
「うぉぉぉおおおおおお!!!……取れた!!!」
あまりにも勢いよく、金属のカバーが“パッカン”と外れた。
『……』
通信機の向こうで、Lが明らかに黙った。
「だって、やってみなきゃ分かんないじゃん!ね?勢いも大事っていうか!」
『……はい、そうですね。そう仰ると思いました』
外側に見える配線。赤、緑、黄色の三本。
「で、ここを……こうして……えいやっ!!」
──ブチィ!
私はためらいなく、目立つコードを掴んで──引きちぎった。
「よし!切った!!見てた!?L!」
『……すごいですね。ここまで来ると、むしろ称賛に値します』
「ほらね、やればできる子なの!」
『ただし、今の行為は“奇跡”に近いため、二度と繰り返さないように』
「了解しました!」
『このトラップ、仕掛けは単純ですが──』
(また始まった……)
私は壁にもたれかかって、完全に聞いていなかった。なんかもう、命の危機を一個乗り越えると、逆に気が抜ける。
『ところで、湊凪さん』
「へいへ〜い、なんでしょう」
『……私は、少し気になることが出てきました。あなたは、何か“感じませんか”?』
「え、感じる……?えーっと、えーっとね……」
私はキョロキョロとあたりを見回す。
「……この部屋、ちょっとホコリくさい?」
『そんなにくさいんですか?』
「くさいです。ホコリとかカビとか、なんかもう色んなにおい混ざってて……くさいです」
私は鼻をつまんで、パタパタと手で空気を仰いだ。
「帰りたいです」
率直な本音が出た。むしろ、もう何度目かわからない。
『……私が気になっているのはそんなことではありません』
Lの声が少しだけ低くなる。
『誘拐犯が作ったにしては、このトラップは出来が良すぎる……そう思いませんか?』
「……え?」
返事をしながら、私はさっき拾ったカッターの刃をにゅーっと引き出して遊んでいた。
「えーっと……今なんて?」
『……聞いてませんでしたね?』
「すみませんでした!」
即土下座級の謝罪を口にしてから、こそっとカッターをしまう。
『はぁ……』
通信機から、明らかにLのため息が聞こえた。ちょっとだけ傷ついた。
「で、えっと、もう一回言って?優しく、簡単に……あと短めで」
『──つまり、犯人の規模やスキルの想定と、実際の設備やトラップの質が合わない、ということです』
「ふむふむ、犯人のクセに金持ちだし頭もいい。じゃあ、もしかして……黒幕がいるとか?」
『……今のは、鋭い指摘です』
「おおぉ!!!」
ドヤ顔で、カッターを再び引き出す。Lのため息が二度目に聞こえた。
『さて、これでドアは開くはずです。気をつけて進んでください』
「へーい」
私は手を振るように答えて、部屋を出た。ドアを開けると、うっすら埃の立つ廊下。壁にはところどころひびが入っている。床のカーペットはくすんで、踏むたびにミシ、と鳴いた。
「ふーん……」
廊下を進むと、「103号室」のプレートが目に入る。
特に深く考えずにドアノブに手をかけた。
──そのとき。
「わわっ!また!?またなんかある!?」
ドアノブの根本から、小さなパネルがカシャリと開き、中から不穏な光を放つ装置が姿を現した
『……これは……また、手の込んだトラップですね』
Lの声が、やや緊張を帯びる。
装置には、ピンク色と緑色の液体が入った丸いフラスコが差し込まれていている。
『このタイプの爆弾は──』
「よっしゃ!やるぞー!」
Lが説明を始める前に、私はしゃがみこんで、カバーをパカッと開けた。
「これをこうして……」
ピンを外し、コードをくるっとひと巻き。
『湊凪さん、待って──』
「よっ──はい、外れたぁ!」
起爆装置が、カコッと小気味よい音を立てて外れる。私は勝ち誇った笑顔で通信機に向かってガッツポーズ。
「どうだ!L!」
『……あなた、本当に恐ろしい人ですね』
「ふふん、Lの教えをちゃんと活かしてるだけですよ?」
『私、教えていませんが……』
「えっへん!」
褒められてさらにドヤ顔を深めた私は、勢いそのままにドアを開けた。
きい、と音を立てて開いたその部屋の中──
「うわ……またか」
目に飛び込んできたのは、机の上に無造作に置かれたダンボール箱。
その中には、待ってましたと言わんばかりの“それ”が、またもや鎮座していた。
赤、緑、青、黄色。
「……戦隊ヒーローかよ」
配線の数にうんざりしつつ、私は思わずつぶやく。
Lの声が、通信機からすぐに入ってくる。
『私の見た限りでは、このコードはほとんどダミーですね』
「じゃあ、切っても大丈夫ってことですね?」
『いえ、だから“ほとんど”──』
ちょきん。
赤。ちょきん。
青。ちょきん。
緑。ちょきん。
黄色──ちょきん。
──沈黙。
「……終わり、っと」
『…………』
しばらく、Lの声は戻ってこなかった。
私はハサミを構えたまま、通信機をちらりと見て──にっこり。
「やっぱ、全部切ればよかったんですね!」
『……その判断が、通用し続ける保証はありません』
「えー。でも今のとこ成功率100%です!」
『それはあなたが生きていること自体が、既に奇跡だからでしょうね』
爆弾を解体したあとのダンボールの底から、何かが転がり出た。
銀色の、小さなプラグだった。
「ん、これ……」
私はそれを摘み上げ、通信機にかざした。
『……役に立ちそうなものですね。大事に持っていてください』
「はーい。じゃあ、ポケットにイン!」
──と、言ったそばから、その存在を完全に忘れた。
* * *
そして次の部屋、102号室へ。
「おじゃましまーす……」
入ってすぐ、Lが声を上げた。
『気になることが──。トラップを仕掛けてこちらの様子を──』
しかし──聞いてない聞いてない。長いの聞くと頭が寝ちゃう……。
『よろしいですか?……ずいぶんと散らかった部屋ですね。探せば何か──』
「冷蔵庫発見」
目の前の、小さな箱型の冷蔵庫。ホテルにありがちな、あのちょっと音がうるさいタイプのやつ。
「ふふふ……もしかして、中にアイスとか入ってたりして」
願望100%の期待を胸に、私は取っ手を握って──ガチャ。
もちろん。冷蔵庫の中にアイスはない。
「……アイス、どこ……」
力なく呟いたそのとき、底の奥に何かが光っていた。
「……ん?」
取り出してみると、さっき爆弾から拾ったものと似た、銀色の小さなプラグ。
「おおっ、また見つけた!……ってこれ何に使うんだっけ」
忘れてた。完全に。
「ま、あとでLに聞こう」
* * *
次に目に入ったのは、ベッドに積まれたクッションの山。
「ふはは、こういうのは──こうだっ!」
片っ端から放り投げる!
わちゃわちゃ、ぼふっ、ひゅん、どさっ!
「お、あったあった……青い、カードキー?」
ソファの隙間から、ぺろっと顔を出したカードを拾い上げる。
『思った通りです。そのカードキーは使えそうですね』
* * *
玄関ホールに足を踏み入れると、空気が変わった。
「……うわ、なにこれ」
正面のシャッターは、まるで階段を守る鉄の牙みたいに、どっしりと閉ざされている。隣の壁には、いかにもヤバそうな配電盤。そしてその中には──
「……はい、出ました、爆弾」
四角く、金属製のボックス。オレンジ色の突起が、まるで「押してくれ」と言わんばかりに自己主張している。
『では、始めましょう……』
Lの声が、落ち着きと緊張を両方帯びて響く。
『これは手強そうなトラップですね。私もアドバイスをしますので、一緒に解除していきましょう』
「よっしゃ、今回もL任せで安心!」
『あくまで作業を行うのはあなたです』
「ですよねーー!!」
「ふんふーん♪」
鼻歌まじりで、湊凪はカバーを外した。
しかし──
「……って、まだカバーあるじゃん!!」
何重にも覆われたその構造に、思わず叫ぶ。
『ずいぶん慎重なつくりですね。根気よく調べていきましょう』
「はーい……根気だけは……ないです……」
赤い起爆装置を覆っている分厚いカバー。
Lの声が慎重に告げる。
『このパーツは後回しにした方がいいですね。まずは手前のカバーを──』
「わかってるって、見た目で分かるもん」
ぐい、とドライバーを構え、手前のカバーを慎重に回す。
カチカチカチ……ネジが外れて──カパッ。
「……おぉぉぉ」
露わになった配線の群れと、見慣れないスロットのようなパーツ。
『気になることがいくつかありますね。早速調べてみましょう』
湊凪は顔を近づけてのぞきこむ。
手前に並ぶ、三つの空いた差し込み口──
『はめられそうなアイテムはありませんか?』
「これかなぁ……これだよねぇ……」
湊凪は、まるで壊れた家電を直すように、赤く光る起爆装置を──バンバンバンッ!
『叩かないでください!』
その言葉が届いた、まさに──刹那。
「えっ──」
ゴォオオオオッッ!!
眩い閃光と、耳をつんざく轟音。
爆風が部屋ごと飲み込み、世界が燃え上がる。
視界が、真っ赤に染まり、思考は闇に沈む。
────死亡。
────【GAME OVER】
ぴぴぴぴ。
ぴぴぴぴ。
ぴぴぴぴ。
ぴぴぴぴ。
ぴぴぴぴ。
ぴぴぴぴ。
絶望のアラーム。
LOSTを意味するようなLの文字……。
耳障りな電子音が鳴り響き、重たいまぶたを持ち上げると、そこは見覚えのある薄暗い部屋だった。
青い壁。アンティークなソファ。薄汚れたベッド。
そして、手元のPDAが震えていた。
「……うそでしょ」
湊凪はゆっくりと起き上がり、PDAを手に取った。
ぴっ。通信がつながる。
そこには、例の、あの、名探偵──
『湊凪さん、聞こえますか?』
「はあ!!!???」
顔面ドアップで、Lの画面に向かって叫ぶ。
「死ぬなんて聞いてないんだけどぉぉおお!!!???」
『落ち着いてください。あなたは死んでいません』
「いや、死んだし!?爆発したし!?あの、バーンッ!って、ドッカーン!って!!」
Lの映像はまるでいつものように微動だにしない。
冷静すぎる声が返ってきた。
『……何の話ですか?』
「はっ!?はあっ!?え!?ちょっ……えっ?」
PDAを持ったまま、湊凪は顔を引きつらせた。
「いやいやいや、えっ?さっき爆弾あったじゃん!起爆装置バンバンして、ドカーンって、で、私、バァァンって……!」
『そのような記録は残っていません。あなたは今、無傷ですし、特に爆発も発生していません』
「うっそだあああああああ!!!」
声が裏返り、汚いベッドの上で暴れだす。
「てかさ!!こっちは死んだ記憶あるの!!リアルに!!!真っ赤になって、爆風で吹っ飛んで、思考も停止したのに!!!」
『湊凪さん、落ち着いてください。精神的ショックによる錯誤の可能性があります』
「精神的ショックで爆発って思う!?ねぇ!?記憶が正しければ私、バッチバチに死んでたからね!?Lのせいで!Lのせいでぇ!!」
『……そのような爆発の記録は、存在しません。それよりも、現在の状況を確認して、次に進む準備をしてください』
「えっ……うそ……こわ……まって、これ……もしや……ループ系ですか……?」
『何を言っているのか、よくわかりません──』
湊凪は、Lの言葉に耳を傾けながらも──いや、正確には、ほとんど聞いていなかった。
そのくせ、頭の奥底ではようやく察してしまっていた。
(これ……やばいやつじゃん……)
Lがいるからって、何とかなるってわけじゃない。爆発も起きるし、死ぬこともあるし、戻されてるし、そもそも……
──私、本当に生きてんの?
心臓がどくんと鳴る。背筋をひやりと冷たい感覚が這いのぼっていく。
『今のあなたの状況を説明します。三日前、あなたは何者かに誘拐され──』
「はーい、わかりましたー」
ぱたん、とPDAの画面を閉じようとして──
『勝手に通話を切らないでください』
「だってまた長いし。話してる間に死ぬのイヤだし」
湊凪はベッドの下を覗き込む。何もなし。
枕をひっくり返し、ゴミ箱をまさぐり、引き出しをガチャガチャ開ける。
『勝手に動き回らないでください』
「はいはーい、わかりましたぁ〜……って言って止まるわけないよね〜」
──探索モード、発動。
あちこちから爆弾っぽい何かに使えそうな“アイテム”を次々と引っ張り出す。湊凪はついに、四つん這いになって床を這いずり回っていた。
カッター、ドライバー、ハサミ──それらは今や立派な“爆弾解体用の友達”である。それに、あとの二つのプラグはもう手元にある。あとは、最後のひとつだけ。
「ここで詰むとか……そんなの、RPGだったらバグ報告案件だよ……っ」
『よく探してください。どこかにあるはずです』
「だから、ないって言ってるの!!ないんだってばっ!!」
湊凪は布団をめくり、シーツを裏返し、掛け布団の縫い目を引きちぎり──机の裏に手を突っ込み、壁の小さなヒビまで目を凝らした。
引き出しも、底板を持ち上げてまで確認した。
……でも、見つからない。
「これ、もしや……“存在しない”ってオチじゃないよね……?」
そのつぶやきに、PDAからのLの声が、わずかに沈んだ。
『……私も、確証はありませんが。あらゆる可能性を排除するには、もう少しだけ、辛抱が必要かと』
「辛抱って……」
もう2時間は経っていた。
背中は汗でじっとり、足は痺れて感覚がない。
「こっちが爆発しそうなんだけど……精神的に」
疲れ果てた湊凪は、ぐったりとソファの肘掛けに倒れ込み──
「……あぁ、もう……ダメだ……」
ソファに沈み込む湊凪は、目を閉じた。が──次の瞬間、ぴくりと瞼が揺れる。
(待って、待って……)
ふと思い出したのは、あの階段ホールに設置されていた“例の爆弾”。
(……強行突破って、アリじゃない?)
突発的な、衝動ともいえる思考。
それは、2時間以上も探し続けた末の、半ば投げやりな策だった。
「もう、知らない……やってやる……」
PDAをソファの上に放り投げ、足取り重く階段ホールへ向かう。
「……ここ、だったよね……?」
配電盤。その中に、トラップ。
「ふふ……どうせなら……派手に散ろうかな」
しかし……赤い起爆装置に気を取られ、時間はどんどん経過していく。
(くそっ!)
思いっきりトラップを蹴り上げた、その瞬間──
──ゴォォオオオンッ!!!
轟音。閃光。衝撃。世界が再び真っ赤に焼かれる。
そして、
────死亡。
────【GAME OVER】
………
……………
ぴぴぴぴぴっ。
「……ん、ぅ……」
目覚めると、またしても──あの部屋。
鳴り響く、あの“忌々しい”PDAの音。
「……はいはい、起きましたよ……」
今度は目覚めるなり、溜息とともにPDAの画面すら見ずに、それを片手でベッドの下に滑らせるように放り投げた。
「いーやもう聞きません!何も聞きませんからね!Lとか言う声も!解説も!」
完全に学習済みの手つきで、枕を捲り、机を蹴り飛ばし、枕をひっくり返して、必要そうなアイテムを片っ端から拾い上げる。
手にはカッター、ドライバー、はさみ。まるで“探索ルーティン”が身体に染み込んでしまったかのように。
ダンボールの中から、冷蔵庫の中まで、最短ルートで回収。二つのプラグをゲット。しかし、問題はここからだ。
「……ない」
青いカードキーは手に入れた。
扉は開く。部屋にも入れる。なのに──
「ない……ない……っ」
三つ目のプラグが、どうしても、見つからない。
引き出し、ソファ、クッション、床、冷蔵庫、壁の隙間──。考えられる場所は、すべて探した。……何度も、探した。
だけど、その視界には、白く冷たく無言で鎮座する“金庫”が映らない。
まるで、それが“存在していない”かのように。
(なんで……どこにも……ない……)
とうとう、探索開始から3時間が経過した。
「──……もう、やだ」
呟いた湊凪は、ふらふらと立ち上がる。
向かう先は、あの階段ホール。
何度も爆発した、“わかってるのに”手を出してしまうあの爆弾。
「壊して終わらせたいって、そういうことじゃないんだけどな……」
だが、足は止まらない。
やがてその手が、また、赤く光る装置に触れ──
──ゴォォオオオンッ!!!
再び、視界が赤に染まり、音が爆ぜる。
思考は塵となり、焼き尽くされていく。
────死亡。
────【GAME OVER】
ぴぴぴぴぴっ、ぴぴぴぴぴっ……。
「……………」
ぴぴぴぴっ……ぴっ……。
PDAの通知音が止まったのは、彼女が無理やり電源を入れたからだ。
『湊凪さん、聞こえますか?』
その瞬間、湊凪の目は、限界突破していた。
「どーなってんのよ!!!!!」
突如としてPDAの画面が揺れる勢いで、Lの目の前に怒号が炸裂する。
「はぁ!?死んで!死んで!また死んで!!目が覚めて、また死ぬの!!って何これ!?説明してよ!!!もう4回目なんだけど!!?!」
PDA越しに、Lの目がぱちりと一度瞬いた。
『……なんのことでしょうか』
「ハァアアアアアア!?」
今度は通信機が投げつけられ、ベッドのマットにめり込む。
再び拾い上げた湊凪は、わなわなと肩を震わせながら叫んだ。
「爆発したの!あの赤いやつ!私が触って!目の前がドッカーンって燃えて、バッチリ死んだの!!」
『……湊凪さん、現在のあなたに爆発の痕跡はありませんし、私の記録にも、爆発のデータは存在していません』
「いやいやいやいやいやいやいや!!!」
『まずは落ち着いてください』
「落ち着けるわけないでしょぉぉぉ!!!」
通信越し、Lはほんのわずかに、ため息をついたように見えた。
『では、状況を整理しましょう。あなたは3日前に──』
「そのくだり聞いたの何回目だと思ってんのよ!!!」
──狂ったように繰り返される事件。
ああ、もうこれダメだ。
自分でもわかってる。Lの話をちゃんと聞けば、それだけで済むのに。
──なのに、“Lに対する信頼度がゼロ”な私はLの言うことなど聞く気が無かった。
湊凪はPDAを枕の下にぐいと押し込み、無言で立ち上がった。そして、おなじみのルートを、またしても無言で歩き出す。
(……やることはわかってる。とっとと、片付ける)
二つのプラグはすでに回収済み。
その手順に、もはや迷いはなかった。
そして、103号室へ足を運び──
「……ん?」
ゴミ箱を何気なく覗いたその時だった。
ゴミの中からキラリと光る何か。手を突っ込み、拾いあげると──鍵。
「鍵……?なんで今ここで……?」
一瞬、首を傾げる。
でもすぐに、その形に見覚えがあった。
「……白い金庫の、やつ……!!」
ダッシュで101号室へ。
そして、例の白い金庫にその鍵を差し込むと──
カチッ。
「開いたぁぁあああああ!!!!」
──中にあったのは、最後の、3つ目のプラグだった。
「Lーーー!!!見つけました!!見つけたから!!!」
湊凪は、ようやく思い出したように最初の部屋からPDAを引っ張り出す。通信が繋がると、Lの姿が静かに映る。
『……私をですか?』
「いやちがうわ!!!プラグだよ!!!もうちょっと人のテンション察して!!!」
『……それは良かったです。あなたにとって“私を見つける”ことが、それほどの歓喜であれば、なお良いのですが』
「違うって言ってんだろがーーー!!!」
──がちゃがちゃうるさい通信機の向こうで、Lがほんのり目元を細めたように見えた。それは、どこか──“嬉しそう”ですらあった。
『では、状況を整……』
「はいはいはい、3日前に誘拐されて、ここに閉じ込められて、あんたがネゴシエイター?に指名されたんでしょー」
『……なんで知ってるんですか?』
通信の向こうで、Lがわずかに目を見開いた。
驚き。だが、それよりも──不思議そうに、首をかしげるような仕草。
「細かいことはいいのよ」
湊凪はPDAを握りしめ、勢いよく廊下を駆け出した。
向かうは──階段ホール。
あの、爆弾が設置された“例の場所”だ。
到着するや否や、湊凪は腰を下ろし、すぐに解体モードへと移行。
ポッケから例の三つのプラグを取り出す。
「ふふふ……今度こそ……!」
通信の向こうからは、Lの静かな声が届く。
『このトラップは、これまでよりも遥かに精密です。慎重に──』
「はいはい、わかってるよ」
『湊凪さん、軽率な行動は──』
「いーのいーの。今回はバッチリ道具あるし、記憶もあるし、何回も死んで覚えたし!もはや任せてって感じ!」
Lの忠告もどこ吹く風。
湊凪の手は慣れた動きで、次々にパーツを外していく。
三つの小さな差し込み口──そう、プラグを刺すべき場所だ。
「見つけた……これだ!」
手元の三つのプラグを一つずつ、丁寧に──でも、迷いなく。
カチッ。
カチッ。
カチッ。
三つのプラグが、スロットにぴったりと収まった。
ほんの刹那、装置が小さく唸るように“反応”したように思えた。
「……ふふん。見た?見た? L、ほめてもいいのよ〜?」
『……すごいですね。本当に……』
Lはしばらく黙っていた。だがその声には、確かな感嘆が滲んでいた。
しかし──
「で?このあとどうすんの?」
湊凪は、ぷらんと手をぶら下げたまま、通信機を見た。
「ほらLさん?ここからは未知の領域ですよ?どうすんのー?なんかカラフルな配線ありますけど。起爆装置は?無理やりとっていいの?」
『……』
Lは、ピクリと眉を動かした。
『……いったん、“すごい”は撤回させてください』
「なんでよぉ!!」
『そのプラグは、“安全装置”です』
「えっ、刺して正解だったってこと?」
『はい、ですから──そのまま乱暴に触れなければ、安全です。ただし……』
Lの声が少しだけ低くなる。
『その奥にある赤いのが“起爆装置”です。見えますね?』
「……あぁ、これ?」
湊凪は起爆装置に顔を近づける。
『……その装置は非常に繊細です。アイテムを使って慎重に──』
「よいしょっと」
『やめてください。素手で無理やり外そうとしないでください!今の行動により、成功率は──16%からマイナス10%……6%にまで下がりました』
「え、マイナスってあるんだ……?逆に、レアじゃない?」
『冗談ではありません』
ゴリッ。
湊凪は、もの凄く雑に装置をずらした。
『……っ、まさか……やるんですか──』
カコッ。
その瞬間──
「はい、取れました〜」
湊凪の手の中に、起爆装置が“無事”外せた。
『…………』
PDAの向こうで、Lの目が大きく見開かれたまま、言葉を失う。
『………………私は、湊凪さんの前では確率なんてアテにならないと、確信しました』
「ふふふ、これが──“天才のひらめき”ってやつ?」
『完全に、偶然です』
湊凪は、トラップの外れた装置を床にポイッと放り投げ──
「はいはいはい、解除完了っと!」
──その瞬間、目の前のシャッターが、ウィィィィィン……とゆっくり持ち上がっていく。
「……うわ、ほんとに開いた……」
シャッターの奥に現れたのは、上階へと続く狭い階段。
その手前、壁のスリットに引っかかるようにして──鍵が落ちていた。
「おっ、……4階スタッフエリアって書いてある。よーし、ゲットォ!」
PDAのLが声を発する。
『……それにしても……です。これまでの経過を見る限り、どうにも妙な感じがしてなりません。通信も生きたままですし、トラップがあるとはいえ自由に動ける。すべては──犯人が“あなたを操作する”ために仕掛けた計画だとしたら……』
「ふーん……」
湊凪は完全に聞いていない。
「で、4階って何があるんだろー。休憩室とか、スイーツビュッフェとか?」
その瞬間──
──ザザッ。
PDAに、別の声が割り込んだ。
『さすがはL。遅かれ早かれ──』
「……なんか声入ったけど、まあいっか」
湊凪はPDAを無造作にポケットに突っ込み、そのまま2階へと続く階段を上がっていく。ヒールのコツコツという音だけが静かに響く。
その裏で、通信機越しには──
『人質の価値は民間人でも同じはず。危険を──』
『さ、さあどうですかね……』
『このトラップは湊凪さんや──』
『コメントは控えさせていただきます』
『トラップを解除すれば行動は自由。それは犯人の目的が──』
『くっ、それで?』
──Lの推理合戦が交錯していた。
『今、湊凪さんと私が解除した爆弾はほんの序の口に過ぎません。このゲームは、ホテル跡全体を使った大掛かりなトラップ──』
とても、重要なことが言われている。にもかかわらず──
「二階に金目のものはないかな」
湊凪は、床のタイルをつま先でつつきながら、鼻歌まじりに探索を続けていた。
PDAの向こうでは、激論が続いている。
そして、いつの間にか終わっていた激論。湊凪は気付かぬまま、残り時間が9時間ということを知らずに呑気に探索を始めた。
Lはひとり、状況の整理と解析を続けていた。
『湊凪さん。お聞きいただけますか?まず冷静に、現状の把握を……』
「ん〜〜〜この扉、さっきより重いな〜」
『今あなたがいるのは、建物の──』
「……この棚の裏、なんか隠れてそうじゃない?どっこいしょ……っと!」
通信は繋がりっぱなし。だがその“対話”が成立することは、もはやなかった。
Lは、それでも諦めず、ひたすら情報を与え続けた。
『この部屋の構造は──』
「ふーん……なんか、地下っぽいけど船倉ってなに?」
──探索は、止まらない。
爆発物処理に使った道具、過去に拾ったアイテム、記憶の断片すらフル活用しながら、湊凪は“ただの直感”だけを頼りに、未知の領域を突き進んでいく。
それは、論理とは真逆の、いわば“奇跡”だった。
──そして。
ぎぃ……。
重い鉄扉を押し開ける。
「ついた……ここ、船倉……?」
ひんやりとした空気。むせかえるほどの油と金属のにおい。
PDAの向こうで、Lの声が低くなる。
『……まさか、あなたがそこまで到達するとは。……本当に、予想外の人だ』
「ん?聞こえてたの?」
『最初から、聞かせていただいていました』
湊凪は照れるでもなく、すました顔で答える。
「なら、これで証明されたわけだよね。──“天才”だって」
『……ええ、否定は……しません』
船倉。
この“ゲーム”の中心地。
湊凪は、柵の向こうに広がる群青の海を、ぼんやりと見下ろしていた。
「うわ、なにこれ……めっちゃ綺麗じゃん……」
海風が頬を撫でる。
塩の香り。太陽の光が波に砕け、まばゆく反射している。
『ここからは脱出ではなく、この船を止めるための──』
「……はいはい」
──聞いてない。
『選択は2つです。救命ボートで船を離れるか、このままミッションを進めるか……私には強制する権利はありません。あなた自身で選択してください』
「……ふーん。強制しないって言ったよね?」
ならば、そんなの一択しかない──
「救命ボートに決まってんだろが」
再びPDAが起動する。
『……わかりました。無事、生き延びてください……』
そのとき──
『L、今、合衆国大統領から米軍長官に“グラナダ号”撃沈指令が出されました』
声の主は、ワタリだった。
『……………』
PDAの向こうで、Lの声は止まった。
──そして。
湊凪は、救命ボートに乗り込んだ。
緩やかに船体を離れていく小舟。
音もなく、遠ざかっていく“グラナダ号”。
……そのわずか数分後。
「!!」
空が、震えた。
轟音と共に現れた爆撃機が、黒い影を落とす。
数発のミサイルが艦体に直撃し、爆炎が吹き上がった。
──数秒の遅れで、アルテア港に突入していたなら、街も巻き添えだっただろう。
《グラナダ号》は、海中で轟沈。
証拠は濁流の中へと消えた。
PDAの画面は、今やただの黒い板となり、静かに沈黙している。
事件は未解決のまま──
世界は、何も知らないまま、朝を迎えた。
────【GAME OVER】
それから──
湊凪は、ロンドン郊外の屋敷「ワイミーズハウス」で引き取られた。
“孤児”として。
あの忌まわしき《グラナダ号事件》の唯一の生存者として。
それからの数年、湊凪は誰とも話さず、ただひたすら“知識”を喰らうように生きた。
19歳になった頃──ある事件が起きた。
BB連続殺人事件
B先輩の名がニュースに流れる。
Lが動き、FBIが捜査し、それでも“解けない”事件。──だが、湊凪はすべて知っていた。
メロ。いや、メロが残したパソコンに不正アクセスし、事件の詳細を盗み見た。
捜査の裏、FBIの動き、Lの思考パターン。
その全てが網膜に焼き付いた時、ようやく気づく。
「……Lの指示は、的確だったんだ」
──あの時、言うことを聞かなかったのは、自分だ。
「ごめん、L……」
今さら悔いたところで遅い。
Lの声を聞くだけじゃ、駄目だった。
“自分の能力”がなければ、Lは“導く”ことしかできない。……でも、どう足掻いたって、自分にはそんな力なんてない。
でも──湊凪は、1度プロムナードまで辿り着いた。トラップをかいくぐり、爆弾を解除し、Lの声を無視しながらも、
“あの巨大な船”の心臓部まで踏み込んだ。
……ならば。
「やり直せる。もう一度、脱出なんて選ばず、突き進む……」
そう覚悟を決めた。
自分の選択で、世界は変わる。
この命が、もう一度チャンスを得られるなら──
今度は、“Lの声”を信じてみよう。
湊凪は、アルテア港の岸壁に立った。
夜風が髪をなで、波の音が遠くで響く。
その手には、小さく握りしめたPDA。
壊れかけの画面が、まだ、かすかに明かりを灯していた。
「L……次は、ちゃんとあなたの声を聞くよ」
そう呟いたその瞬間──
身体を、海へと投げ出す。
波が口を塞ぎ、世界が闇へ沈んでいく。
冷たい海が全身を包み、意識が遠ざかる。
そして──
ホコリくさい、室内。
懐かしい記憶が蘇る。
ぴぴぴぴぴっ。
──また、あの電子音が、耳元で鳴り響いた。
『……聞こえますか?私はLです』
その声は──変わらず、静かに届いた。
「……ええ、聞こえてますよ、L」
湊凪は、今度は落ち着いた口調で応じた。
声を荒げることもなく、冗談を飛ばすこともない。
「また会えて、嬉しいです」
『……“また”?』
「……いえ。こっちの話です」
Lの問いかけには、静かにはぐらかす。記憶の蓋は──まだ、開けるには早すぎた。だが、確かに“今度こそ”と、湊凪の中で何かが灯っていた。
今度は──Lの声を、最後まで聞く。
すべてを変えるために。
「私があなたを勝利へ導きます」
もう一度、この“ゲーム”の始まりへ──
続く、かも…?
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