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アリアは
まるで亡霊のように
世界を彷徨い続けていた。
時也を失ってから
彼女の時間は止まったままだった。
何も食べず
何も飲まず
眠ることすらできない日々。
眠れば必ず
不死鳥が悪夢を見せるのだ──
それは
時也の死を
何度も繰り返し見せつける
地獄のような夢。
胸を引き裂かれるような
痛みを抱えながら
アリアはただ彷徨った。
目的もなく
どこに向かうでもなく
風に吹かれるまま 夜を歩き続けた。
それでも
その美貌は一切衰えない。
不死鳥の血が身体を巡り
永遠の美しさを維持している。
だが
その瞳は冷たく
心は凍りついていた。
いつまでも癒えない傷が
彼女の魂を軋ませている。
ただ一つ──
時也の桜が咲く頃だけは
アリアの足は自然と丘へと向かう。
その季節だけは
桜の根元で眠ることができた。
桜が咲き誇る時だけ
何故か
不死鳥の悪夢に苛まれる事なく
眠れた。
眠ることすら
許されないアリアにとって
唯一の安息の時間だった。
「⋯⋯また、春に。
お前だけを愛しているよ、時也」
桜が散り
花びらが舞い落ちると
アリアはまた彷徨いを再開する。
一所に留まれば
ハンターに見つかり血を狙われる。
自らの存在が
狩られる対象であることを
理解しているからこそ常に移動し続けた。
愛する者を
失ったというだけでは終わらない
終わりなき逃亡劇──
それが
アリアの生きる理由のない日々だった。
時が流れ
いつしか20年の歳月が過ぎていた。
アリアの心には
時也を失った瞬間が
まるで昨日のように刻まれている。
だが
世界は少しずつ変わっていた。
久しぶりに訪れた桜の丘──
そこには
一回りも太くなった
時也の桜が立っていた。
その根元には
塚が今もひっそりと在り続けている。
ふと、アリアは気付く。
丘へと続く道の両端に
桜並木が成長していた。
いつの間にか
整然と並ぶ桜の木々が
まるで守るように
アリアを導くかのようだった。
その樹々が
まだ固く閉じている蕾をつけている。
アリアが一歩
丘に向かって歩き出すと──
ポン⋯⋯ポン⋯⋯
まるで呼吸を合わせるように
桜並木が一斉に開花し始めた。
咲き誇る薄紅色の花が
アリアの歩みに合わせて花開き
道がまるで
桜のトンネルのように彩られていく。
それはまるで──
「⋯⋯逢いに来た私を⋯⋯
迎えてくれるのか⋯⋯」
時也の両腕が広がり
アリアを抱きしめるように感じられた。
丘の頂上に辿り着くと
最後に時也の桜が
一際美しく咲き誇った。
その幹はどっしりと力強く
枝が空を覆うように広がり
その下には
柔らかな花びらの絨毯が敷かれている。
アリアは
まるでその歓迎に応えるかのように
ゆっくりと塚の横に腰を下ろした。
背中を幹に預け、安堵の息をつく。
「⋯⋯お前は、こんな姿になっても
私を愛してくれるのか⋯⋯」
ふと、口をついて出た言葉。
不死鳥の呪いがありながらも
時也の桜だけは
変わらずに
愛を届け続けてくれているようで──
アリアは、心が綻ぶのを感じた。
久しぶりに
僅かな微笑が口元に浮かぶ。
桜が風に揺れ
花びらがアリアの肩に舞い降りる。
その柔らかな触感が
かつての時也の
手の温もりを思い起こさせた。
「今この時は⋯⋯お前の、傍に」
小さく囁きながら
アリアは目を閉じた。
この桜の元だけが
アリアにとっての安らぎであり
時也と共に在る場所だった。
静かに呼吸を整え
安堵の中で
久しぶりに深い眠りに落ちていく。
桜の花が舞い
時也の桜が風に揺れている。
春の夜風が優しく吹き抜け
花びらがアリアに寄り添うように
降り注いだ。
その姿はまるで
時也が眠るアリアを
優しく包み込んでいるようだった。
永遠に続く孤独の中で
桜が咲くこの季節だけが
二人を繋ぎ続ける唯一の時間だった。
花が散るまで──
アリアは静かに
時也の夢を見ながら
短い眠りに身を委ねていた。
⸻
時也が眠る桜の丘──
長い年月が流れ
かつてその丘の向こうに見えていた
小さな村は
発展し、大きな街となっていた。
商人や旅人が頻繁に行き交い
活気溢れる市場が広がり
街道には異国の品々が並ぶ。
季節が巡り
春の訪れとともに
この街もまた
花々の色で彩られている。
ある日
旅商人が偶然丘に登り
そこに広がる桜並木を目にした。
風に揺れる薄紅色の花びらが
春霞のように舞い踊る。
その美しさに魅了された商人は
枝を一本手折り
自国へと持ち帰った。
桜の美しさは瞬く間に広まり
街から街へと伝わっていく。
やがて
遠く離れた異国の地でも
桜が咲き誇るようになった。
その頃
アリアは桜が植えられた別の国で
その花を見上げていた。
不意に、ふっと微笑みが浮かぶ。
「⋯⋯此処にも
お前の生きた証が⋯⋯あるのだな」
小さく呟きながら
桜の花びらを
そっと指先で受け止める。
その冷たい感触が
時也の手の温もりを思い出させた。
長い間
不死鳥の呪いに
囚われ続けたアリアにとって
どれだけ遠く離れた地でも
桜が咲くことで
時也の存在を感じられるのは
ささやかな救いだった。
その花が咲く限り
どこかで時也が
見守ってくれているように思えた。
やがて春が訪れると
アリアはまた
時也の眠る丘へと足を運んだ。
桜が咲き誇り
風が吹く度に花びらが舞い散る。
丘への道の両端に並ぶ桜たちが
一斉に開花し
まるでアリアを
迎え入れるように腕を広げる。
「⋯⋯ただいま、時也」
アリアは低く囁きながら
桜並木を歩いていく。
その歩みに合わせて
桜が優しく揺れ
薄紅色のカーテンが作られる。
丘に辿り着くと
時也の桜が
一際鮮やかに咲き誇っていた。
しかし、今年は何かが違った。
桜の根元には
無数の人々が集まっている。
花を見上げ
語り合い
笑い合っている。
子供達が花びらを掴もうと駆け回り
若い男女が
桜の下で手を繋いでいる。
アリアはフードを深く被り
少し離れた場所から
その光景を見つめた。
「⋯⋯お前も、寂しくなかろう」
そう呟くと
どこか嬉しそうに
微かに口元が緩んだ。
時也の桜を中心に
年を追うごとに
自然と人々が集まるようになった。
その花の美しさに心を奪われ
春の訪れを祝うように。
アリアはそっと
根元の一角に腰を下ろし
幹に背を預ける。
本当なら、ここで眠りたい──
だが
これほど人々が賑わっている中では
それも叶わない。
それでも
ここに来れただけで
アリアは満足だった。
「⋯⋯眠れなくても、いい⋯⋯
お前が、愛され続けているのなら⋯⋯」
空を見上げると
満開の桜が
枝いっぱいに咲き誇っている。
かつての孤独な桜が
今では
たくさんの仲間と共に花を咲かせ
時也の両腕のように広がっている。
人々が楽しそうに笑う声が
アリアの耳に優しく響く。
その喧騒を心地よく感じながら
アリアはそっと目を閉じた。
花びらが
ふわりとアリアの肩に降り
まるで時也が
優しく触れているかのようだ。
「⋯⋯また、春に⋯⋯
必ず、戻って来る⋯⋯」
その囁きは風に乗り
散りゆく花びらと共に流れていく。
アリアの胸に巡る不死鳥の血が
不思議と穏やかな温もりを感じさせた。
まるで
時也の心がそのまま桜になり
世界中で花を咲かせているように。
(⋯⋯お前の花が
こんなにも愛されている⋯⋯
それだけで、私は⋯⋯)
ー強く、在れるー
その瞬間
丘の桜が
風に揺れて優しい音を立てた。
まるで時也が
〝おかえり〟と囁いているかのように。
アリアは静かに微かに微笑み
根元に寄り添うように座りながら
満開の桜を見上げ続けた。
人々の笑い声が響き
桜吹雪が舞う中で
時也の桜が優しく見守っていた。
それが
アリアにとって
何よりの安息の時だった。
花が咲いている限り──
その愛が
永遠に続いているのだと信じて。
コメント
1件
春を告げる桜の丘。 例年と変わらぬ光景のはずが、今年は何かが違っていた。 胸に走る異変と怒りに、アリアは静かに、そして冷たく誓う── 奪われたものを、必ず取り戻すと。 夜空を裂く紅蓮の光と共に、彼女の彷徨が再び始まる。