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「さっき浅倉さんと当直変わったんだけど、成瀬と一緒にいる?あいつ携帯出ないんだけど」
そういえばこの二人は同期だった。
浜田の方が童顔だが、体重は2倍はあるかと思われる。ちびっこ相撲部といった外観だ。
「ちょっと待ってもらってもいいですか?今シャワー浴びてらっしゃるんです」
だいぶ間があった後、
「へえ」
「なんですか、私は待ってるだけですよ」
「あ、うん。そうなんだ。そっか」
わざとらしく答える。
「そういうの無いですから。壱道さんですよ?」
「なにー。いちどーさんなんて、親しげだね」
浜田が笑う。
「いやこれは、二階堂さんがそう呼んでたから移っちゃっただけで、深い意味は・・・」
「はいはい。そんな必死になると尚更怪しいから。
おかしいと思ったんだよねー。自殺の追尾捜査で普通休み返上でやるー?って」
「何言ってるんですか。壱道さんとなんて、想像できないんですけど」
「ーーー何にも知らないの?」
浜田が声を潜める。
「気をつけたほうがいいよ。あいつ、手が早いって有名だから。噂では女子署員の三分の二は食われてるって話だよ」
「…はあ?」
思わずソファから立ち上がる。
「知らないか。そうだよね。木下さんが入署してきた頃にはだいぶ落ち着いてたもんなー。
でもあいつ、20代中頃までホントひどかったんだよ。
松が岬署創設以来のプレイボーイ。
一時期なんか、女の子たちが署の前で出待ちしてたからね」
「出待ち・・・」
「二階堂さんとか、成瀬を巡る女同士の喧嘩の仲裁に入ったりして、大変だったらしいよ。
まあ背は低めだけどイケメンで、頭もいいからモテるんじゃない?
無駄にミステリアスだしね。
派出所勤務時代なんて、ストーカー被害の相談で来た若い女の子を……」
まことしやかにプレイボーイの武勇伝は続いていく。
途中から耳が情報をシャットアウトした。
壱道が、女の腕をつかんでベッドに強引に投げ倒し、上に跨りながら上着を脱ぎ捨て、首を軽く斜めに引きながら人差し指と中指でネクタイを緩め、
「黙って抱かせろ」・・・。
前言撤回。想像できなくもない。
「とんだ垂らし野郎ですね」
「誰がだ」
飛び上がって振り向くと、壱道がタオルで頭を拭きながら立っている。
「は、早かったですね」
「五分で出ると言ったろ」言いながら冷蔵庫を開ける。
「誰からだ」
「浜田さんです」
携帯電話を受け取り琴子には栓を開けながら、缶コーヒーを手渡す。
男物のシャンプーの香りがする。
熱くなってくる頭を冷やそうとコーヒーを一口飲むが、途端に鳥肌が立つ。
「なんだ、水の方が良かったか」
「あ、いえ、そいうわういうわけじゃないんですけど。実はブラック飲めなくて」
「大いに“そういうわけ”だろうが」
言いながら、ミネラルウォーターと琴子の口をつけた缶コーヒーを交換している。そのまま喉を鳴らして飲み始める。
こういうことがさらっとできちゃうのってやっぱり。
改めて“松が岬署創設以来のプレイボーイ”を見る。唇が濡れて、喉仏が上下する。長い前髪から水がしたたり落ち、濃いグレーのワイシャツに痕をつける。
タイトな服を着ると、細さが際立つ。
下手したら体重50キロの琴子よりも軽いかもしれない。
この体のどこに橋から飛び降りたり、大男である本間を殴り倒したりする力が隠されているんだろう。
思わず後退りすると、ソファの脚に引っ掛け尻もちをつく。
「何してる」
呆れた壱道が引き起こす。と不意に顎を掴まれる。
「なんだその顔は。熱でもあるのか」
「い、いえ!」
琴子は慌てて手を振り払うと、赤い顔を俯かせて、ずっと放置している携帯を指差した。
「もしもし。成瀬だ。ああ、悪かったな。それで」
血行が良くなったためか、少しだけ顔色がよく見える。
話していくうち顔つきがほんの少し変わる。マスクをかけていたときはわからなかった変化だ。
「その電話、メールで送れ。内容だけじゃなくて、一言一句が知りたい。できるだけ鮮明に。頼んだぞ」
言い終わり電話を切っても、空になった缶を持ったまま、何かを考えている様子で静止している。
「どうかしたんですか?」
「……署に匿名の電話が来たが、名乗らず内容も言わず切ったらしい。
今はそれ以上はわからない。内容をメールで送ってもらう」
缶を潰すとゴミ箱に放り、寝室に入っていく。
クローゼットを開け、ネクタイを取り出している。
「今日の格好はカジュアルなんですね」
ネクタイを結びながら振り向く。
「刑事だとバレたくないからな」
またグルグルと変な結び目を作っている。ここまでくると才能と呼んだ方が正しいか。
「私、結ぶの得意ですよ」
見かねて了解なしにネクタイをつかむ。
シルバーで升目模様が刺繍されたそれは、ツルツルと手触りがいい。意外と上等なものかもしれない。
顔が小さいから、結び目も小さくした方が映えるだろうか。
強めに絞めると壱道の身体がよろめき、琴子の肩を掴んだ。
気を付けてね。あいつ、手が早いから。
思わず見上げると、寝不足のため充血した目が琴子を映している。
一昨日から長い時間を二人きりで過ごしているが、そういう風に意識したことはなかった。
というより異性としてどうこう以前に畏怖の対象としか見ていなかった。
「お前」
目線が琴子の目から、首、胸と下がっていく。
二人のかすかな息遣い以外何も聞こえない、独身男性の部屋。
琴子の背後にはベッドがーーー。
だがその視線は琴子を通り越して、自分の首元に落ち着いた。
「上手いな」肩から手が外れる。
なんだ。思わず力が抜ける。
「ご存じないと思いますが、一応、松が岬署の音楽隊に入ってますから。ブレザーだから、ネクタイ練習したんです」
「合気道といい、多趣味だな」
「中学生のとき、吹奏楽部だったのがバレて半ば強制的に入れられたんです。
うちの吹奏楽、全国行って有名だったので。
署指定の履歴書って、中学時代の部活も書く箇所あるじゃないですか」
「……ずっと謎だったんだが、トロンボーンって、音程をとるとき長くしたり短くしたりするだろ。目盛があるのか」
はぐらかされた。
「ありません。1~7までのポジションを感覚で覚えるんです」
「それで音程が合うんだからすごいな」
あれ。トロンボーン担当だって言ったっけ?
「顧問の錦野は厳しくて有名だったから大変だったろう」
「そう!鬼の錦野!あれ、なんで知ってるんですか?」
「松が岬市で全国行ったのなんて、金池中学くらいだろう」
「そうですけど」
「錦野は二年の時の担任だったからな」
「え?!金池中出身なんですか?」
意外な接点に、つい興奮する。
「壱道さんて、4つ上ですよね!兄がいたんですけど。知ってます?木下誠!」
「…野球部のエースか」
「そうそう!世間は狭いですね!ご実家はどこですか」
「さあな。昔すぎて忘れた」
言ったきり、壱道はまたタオルで髪の毛をふき取りながら、キッチンに行ってしまった。
手持ち無沙汰になり、改めてぐるりと部屋を見回す。
待てよ。この部屋どこかで。玄関からの長い廊下、左側にトイレと浴室。右側に寝室。奥にLDK。
そうだ。この部屋は、狭くはあるが、殺された櫻井秀人の間取りに似ているのだ。
「壱道さん」
「なんだ」キッチンから戻ってくる。
「私、昨日の夜から、櫻井が殺された日のこと、ずっと考えているんですけど、どうしてもわからないところが三つあって、そこでいつも思考が止まってしまうんです。
この部屋って櫻井の部屋に間取りが似てますよね。
イメージしやすいと思うので、聞いてもらってもいいですか」
「話してみろ」
軽く腕を組んだ壱道の脇をすり抜け、玄関に向かう。
「まず犯人は、マンション入り口で、部屋番号を押す。中にいた櫻井が応答します。
ここで一つ目の疑問です。櫻井秀人は聞き込みの通りであれば、特別親しい人間もいませんでした。
プロムナードの職員も、お弟子さんも、誰もこの部屋に入ったことのある人間はいなかった」
「つまり?」
「第一の謎は、櫻井が、家にあげてもいいと思える人物、もしくは、上げざるを得なかった人間なんて本当にいたのか、です」
琴子は廊下を進み、リビングに入る。
「そして、その人物は、どういう経緯があったかはわかりませんが、櫻井に自殺を強要します」
胸元からペンを取出し、刃物よろしく壱道に向ける。
「おい、殺されたくなかったら自殺しろ」
ドスの聞いた声を出したつもりだが、壱道は無表情のままだ。
「これで素直に『はい、自殺します』なんてなります?櫻井さんは男性です。体も小柄ではない。もし死にたくなければ抵抗すると思うんですよね。
でも争った跡が一切見つからなかった。大の男を抵抗させずに自殺させられるか、これが第二の謎です」
「…あとは?」
「櫻井は、犯人の指示通り、パソコンでメッセージを作ります。
プリンターで印刷し、それにサインを描きます。そしてFAXで流します。その後」
携帯電話を壱道の耳に当てる。
「ここで三つ目の謎です。
杉本鞠江への電話は、内容は犯人からの指示だったとしても、声自体は櫻井本人のものでした。でもしれならば、犯人の名前を叫べたはずです。
もしわからなかったとしても、『殺される!』『20代の男だ!』
一秒でもあれば、いろいろ伝えることもできます。
なぜそうしなかったのか」
黙って聞いていた壱道が、
「お前はドツボにはまると、眼鏡が曇るよな」ワイシャツの腕のボタンを留めながらいう。
「それに関しては、他でもないお前自身が謎を解いただろ」
「私が?」
「櫻井の留守番電話のテープを聞いて、お前は言っただろ。『これは本当に電話の音声だったのか』と」
「でも鑑識の分析であれは、櫻井の部屋で、櫻井自身の声で、編集などでいじっていないとわかったんですよね」
「考え及ばないか」
壱道は寝室に入り、クローゼットの中から先ほどまで来ていたスーツの上着から、あるものを取り出した。
「こういうことだ」
「レコーダー?」
「あの音声は、電話を掛ける前に、この部屋でレコーダーに録音されたものだ。
それをおそらくは櫻井の死後、犯人が部屋を後にする直前に電話をかけ、通話口で再生されたものだ」
そうか。録音であれば、
変なことを言ったら何度でも撮り直しをさせられる。
なるほど。それなら三番目の謎は納得だ。
「じゃあ、一番目と二番目の謎も教えてください」
レコーダーしまいつつ、壱道がクローゼットを何やら漁りながら続ける。
「それが解けたら事件は解決だ」
「ということは」
「その2つが一番の要だ。ブレるなよ」
事件の要。琴子は神妙に頷いた。
「ちなみに壱道さんはもう解けてるんですか」
それには答えず、女物のカーディガンが渡される。
「上着を脱ぎ、これを着ろ。お前も刑事に見えないほうが都合がいい」
「え、午後は一人で回るんじゃ・・・」
「気が変わった。今日は帰れると思うな」
胸が熱くなる。
「はい!」元気に言った後、ハッとする。
「…これ誰のですか」
「さあな。いつぞやの女の忘れものだ」
思わず匂いを嗅いだ琴子に、
「安心しろ。洗濯してある。サイズが合わなければ別のを用意する」
浜田が行っていた話もあながち嘘でもないらしい。
目を細めた琴子に壱道が笑う。
「とんだ垂らし野郎、だからな」
自分は濃いベージュのジャケットを羽織りながら腕時計を見る。
「そろそろ時間だ。行くぞ」
「どこに行くんですか?」
口の端がにやりと上がる。
「良からぬ処だ」
悪寒が走る。この男、本当に信用していいのだろうか。