「カラオケハウスBIG WAVE?」
海のイメージとはかけ離れた赤と黒で彩られたけばけばしい看板を見て、琴子は眉間にシワを寄せた。
「表向きはな」
壱道がジャケットのポケットに両手を突っ込んだまま、中に入って行くのに続く。
カラオケのホールにしては狭い空間に、真っ赤なカウンターが置いてある。
照明も薄暗い。
中から男が出てくるなり、顔を引きつらせた。
「お久しぶりです。成瀬さん。ずいぶん早いすね」
長身だが、ひどく猫背で斑な金髪は不揃いに肩まで伸びている。
だらしない印象だが、黒いワイシャツに赤いネクタイの制服が妙に似合っている。
「客の少ないオープン直後がいいと言ったのはお前だろ」
「マジすか?酔っててあんまり昨日の電話、覚えてないす」
「トンでたの間違いだろ」
知り合い?琴子の視線に壱道が首を振る。
「二課時代からの腐れ縁だ。滝沢隼斗の話に出てきたハッテンバのオーナー、鎖のタトゥーと聞いてぴんと来た。
当時のoceanは畳んで、今はカラオケボックスを経営してる。やってることは大差ないがな」
林が露骨に嫌そうな顔で上から下まで琴子を見る。
「お連れさんもいるんすか。困ったな、ここ女人禁制なんすよ」
近づくと彼からは微かにココナッツの香水の匂いがした。
「頼んだものを受け取ったらすぐに帰る」
「はいはい。今お持ちしますよ」
林がカーテンの奥に消える。
「あいつはこの界隈じゃ有名なチンピラだ。
喧嘩が強いわけでもないんだが、半端に利口で逃げ足も早く、なかなか捕まらないのが評価されて、都合のいい走り屋をやらされることが多い。
何回危ない目に合おうが、懲りずにヤクザの手引きで如何わしい店をオープンさせる」
「こらこらー!人聞きの悪い話にはブブーですよ!今回の店はちゃんと風営法に乗っ取ってやってますからー!」
カーテンの奥から声だけ聞こえる。
「それに成瀬さん、簡単にヤクザとか口にしちゃいけません!
この間のあんたたちがやった岡崎組のガサ入れ、手引きしたの俺じゃないかって疑われて、マジ俺、ボコボコにされたんすよ?!
あんたと関わるとろくなことないんだから」
手にノートを持ちながら林が戻ってくる。
「責任転嫁はよせ。身から出た錆だろうが。八方美人のコウモリ野郎が」
「相変わらず手厳しいなぁ」
「それにあれは二課の応援に駆り出されただけだ」
「マジすか。組の間じゃ、あんたと二階堂さんが仕組んだってことになってますよ」
「まあ、どう捉えられようと構わないがな。
それにしても、お前は今回も懲りずにゲイの美人局か?
同種の商売を連続してやるなんて珍しいな。そっちに目覚めたか」
「さー、どうでしょう」
なぜか林はカウンターに肘をつき、嬉しそうにニヤニヤと笑う。
「やっとわかった。さっきあんたがここに来てから、誰かに似てるな~、誰だっけなーって思い出せずにいたんすよ。
成瀬さん。あんた『GUILTY』のヴォーカルに似てるって言われないすか」
『GUILTY』とは、最近若者を中心に人気が出てきた5人組バンドの名前だ。
普通のインディーズバンドと違うところは、メディアへの露出が極端に少ないところと、プライベートをほとんど明かしていないところ。
そして何より、どこまで本当かわからないが、公式キャッチフレーズが「全員前科者」というところだ。
琴子のように流行りに疎い人間でも何となくは知っている。
そのタブーな雰囲気と対照的な甘いルックス、音楽性の高さから、巷では若い女子を初め、柄の悪い男性にもファンが多いと聞く。
半ば宗教的な中毒性のあるバンドだ。
「ほら目や眉毛、鼻筋までそっくり」
林の手が延び、顔に触れそうになるのを振り払う。
「ほざけ、あっちが俺に似てるんだ。下らないこと言ってないで、さっさと記録簿と名簿を見せろ」
「はいはい」
まだニヤニヤしながら、二冊のノートを差し出す。
中身を捲りながら壱道が唸る。
「今時、ノートに手書きとはな」
「逆すよ。今の時代だからこそ、ペーパーベースなんすよ。現代のパソコンなんて消しても消しても情報残ってんでしょ。紙はヤバイときは燃やせば終わりますからね」
「この名簿の内容はどれだけ信憑性があるんだ」
「まあ、名前と市町村までは正しいすね。身分証でそこまでは間違いなく見てますから」
横から覗くと、男の名前がずらりと並んでおり、その横に住所、電話番号、ニックネームまで書いてある。
「滝沢隼斗のは」
「あー、彼のはありません。だって当時、未成年だったでしょ」
言いながら何やらタブレットを弄っている。
「それにしてもよく覚えてたな。2年前の客のこと」
「まあ、カウンターで、金を積まれるなんざ、いろんな商売したなかでも最初で最後の経験でしたからね」
「いくら積まれたんだ」
「あんときはー、一本かな」
呟きながら尚、ページを捲る。
「百万か。芸術家はいいな」
「あ、なに?あの人芸術家なんすか。そんな感じすね。浮世離れして」
林が興味なさそうに目線を落としたまま笑う。
「お前、せこい商売してねーで、アーティストやれよ」
「無理すよ。美術、2ですから」
「お前も学生だったときがあるんだな」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」
「ところで、櫻井秀人の名前がないな」
「ああ、だってあの人は、もともとは客じゃないすからね」
タブレットをいじりながら林が何とはなしに答えるが、壱道の手は止まった。
「櫻井はそれ以後も来たのか」
林の手は止まらない。
「来てないすよ」
「お前、今、『もともとは』って言ったろ」
暫しの沈黙のあと、林が顔を上げた。
「あんたは昔からそうだ。親しげに接してきてこっちが気を許すと、すぐ揚げ足とって。だから俺、あんたのこと嫌なんだよ」
「質問に答えろ」
林は盛大にため息をついた。
「来たっすよ。あのあと一回だけ」
「詳しく教えろ」
「その前に」
林がいじっていたタブレットをこちらに向ける。
「ほら、GUILTY のREJI。似てるっすね」
白い顔に漆黒の髪の毛。耳のラインまである
長めの前髪は左右に分けられ、後ろ髪は短めで首筋までいかない。
目の回りは光沢のあるグレーのシャドーで囲われ、唇も黒い。
瞳だけ紅色のコンタクトを入れている。
意識して見たことはないが、確かに似てなくはない。
「俺、意外とこの顔好きなんすよね。見てるとゾクゾクする」
「お前の性癖に興味はない。質問に答えろ」
「ただで、すか?」
「なんだと」
「あの日の櫻井って人は、やばい匂いがプンプンした。だから話すの嫌なんすよ。面倒くさいことに巻き込まれたくない」
部屋の温度が瞬時に凍結する。
裏の世界に身を置く人間と、それと渡り合ってきた刑事。触れたら切れそうな鋭利な空気に琴子は身震いした。
「いいのか。せっかく立ち上げたこの店、看板下ろすはめになるぞ」
林は嬉しそうに笑う。
「いいすねその目。やっぱりゾクゾクする」
言いながら片手をついてカウンターを乗り越え、壱道の真ん前に立つ。
「落ち着いてくださいよ。気が乗らないけど話さないとは言ってないすよ。その気になればちゃーんと話します」
「その気にだと」
「はい。例えば、松が岬署きっての敏腕刑事が、雑魚のチンピラの前で土下座してくれるとか、はたまた同性愛に目覚めたばかりの若輩者に、そいつが憧れる芸能人にそっくりな美しい男性が、パンツ下ろして尺八させてくれたりするなら、話してもいいかな」
肩に肘をおき、
「男見せてくださいよ。成瀬さん」
林は下卑た笑顔を見せた。
「自分で何言っているかわかっているんですか!」
思わず食いかかる琴子を、「お前は引っ込んでろ」壱道が制す。
睨み合う二人。店の喧しい音楽だけが鳴っている。
長い沈黙を破ったのは壱道だった。
「木下、向こう向いてろ」
林が笑う。
「お、さすが成瀬さん、男すね」
「いいと言うまで振り向くなよ」
壱道が横目で琴子を見る。
有無を言わせぬ表情だ。
「わ、わかしました」
「噛んだ。動揺しちゃって、かーわいー!」
林が笑い声を聞きながら琴子は壁に体を向けた。
「大丈夫すよ、床はピカピカに掃除してありますから!膝でもおでこでもこすり付けて」
「膝をつくのはテメーの方だ」
「・・・・は?」
ドガっという鈍い音がする。イヤな予感。
カチャカチャとベルトを外す音に衣擦れの音が続く。
「間違っても噛むなよ、お前はな」
琴子は青ざめた。
自分の背後でなんかとんでもないことが行われようとしている。
思わず耳を塞ぐ。
変な音や艶かしい息遣いなんて聞いた暁には、もう二度と壱道の顔をまともに見られない。
こうして耳を塞いだまま、こっそりドアまで行って外に出てくるまで待ってるか。
そうしよう。
見ざる聞かざる言わざるだ。
壁を向いたまま、横に移動を始めたそのとき、
「おいそこの蟹、どこにいく」
強制的に手を外された耳に、低い声が響く。
「あ。え?」
見ると壱道が真後ろに立っていた。その奥には膝まずく林。これはまさか。
「そうろ・・・」
「誰が早漏だ」
掴んだ手首を振り捨てるように離して林のもとに戻る。
「すみません、すみませんってぇ!からかってみたかっただけなんすよー、許してくださいよー」
情けない顔で両手を合わせている。
なぜか形勢が逆転している。
「くだらないこと言ってないでさっさと教えろ」
「わかりましたって!洒落が通じないんだからー全く!」
耳を塞いでいる間に何が起こったのかわからないが、謎のままにしていた方が良さそうだ。
林が立ち上がり、慌ててもう一冊のノートを開く。
「この日。11月23日。Oceanを畳む前日。あの人来たすよ」
開いた頁をみせる。
どうやら簡易的な日誌のようだ。日付、曜日と、ニックネームだけ記してあるようだ。
その中に桜マークが入っている。中には10と数字が書いてある。
「この数字は?」
「まあ、こんときも10万ほどもらったんすよ」
「なんでそんなに櫻井は払ったんだ」
「一回、入店をお断りしたんで」
林が腕を組む。
「だってあの人、身体中血だらけだったんすよ」