テラーノベル
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“あの日”からゴンは、少しだけだが
可笑しくなった。
カイトが”アイツ”に殺られたあの日から…。
深夜、キルアが寝静まった頃、ゴンは
ソファの陰で蹲っていた。手には近くのコンビニでわざわざ買ってきた割高なカッターナイフ。刃を「カチ、カチ」と出す音だけが暗い部屋を埋め尽くす。
心を病んだものだけが聴ける、第二の下校のチャイムだ。
「……だめだ、だめだだめだ……
このままじゃ…」
日焼けしたやんちゃ坊主の左手首を
顔の前に持ち上げる。ちょっとばかり筋肉がついてそれでいて細い子どもの手首の内側に、薄く、そしてはっきりと。古くなって痒くて仕方がない傷の上に新しい傷を重ねた。
ゴンは傷を深くすることはしなかった。
跡が残ると、育て親が心配するかもしれないと余計な心配をしていたためだ。けれど、切らなければもっとおかしくなりそうだった。
「オレのせいだ…。カイトが殺られたのも…オレが…」
刃先が皮膚にそっと当たる。
「すーっ」と赤い美しい線が浮かんだ。
痛い。でもその痛みの後に訪れる脳の奥がとろけるような快感。勝つことのないギャンブルを繰り返す中毒者が
「もう一回だけ」とメダルを入れ、やめられないのと同じ構造が、わずか12歳の少年の頭の中で毎晩起こっていた。
「……あ……ぁ……」
切った直後に、ふわりと意識が遠くなる。視界の端がチカチカして、頭の中から何かがどばっとナニカが溢れ出る感じ。脳内麻薬が傷口から全身に回っていく錯覚。これは薬物の快楽の代替物だった。少年の脳みそが、身体が唯一見つけた、合法的な「気持ちよさ」。
「…………はぁ…。またやっちゃった。
……寝よ。」
血のついたカッターを枕の下にしまい、布団を被った。鉄の匂いが鼻にこびりついて離れないが、それもなんだか心地よかった。
ゴンに許された唯一の現実逃避法が
リストカットであった。
───────────
真の問題はエスカレートの速さであった。最初は赤い点が数個だったのが、今は手首の裏側がミミズ腫れのような傷だらけで歪な地図のようになっている。そして、切る深さも少しずつ深くなっていた。
あの日からしばらくたったその日もゴンはいつものように左手首を切っていたが、ふと刃先が血管の太いところを掠めた。
「……え。」
ぶしゅ、と音を立てて鮮血が噴き出した。
血は、止まらなかった。左手首を抑えた指の隙間から赤黒い液体がどくどくと溢れ、フローリングにぼたぼたと滴り落ちる。タオルを巻こうにも手が震えてうまく結べない。
その時、ドアがバンと開いた。
深夜には似合わない大きさで。
それは、ゴンの親友のキルアが起きてきたということを暗示していた。
「…ふわぁ……ゴン…おはよ…って」
一面、血の海。
泣きじゃくるゴン。
そして血まみれのカッター。
状況を理解するのに一秒もかからなかった。キルアの顔から一切の表情が消えた。
「……お前、なにやってんの。」
「キ、キルア……血、血が止まんな……」
「見りゃ分かんだよそんなこと!!」
キルアは一瞬でゴンに詰め寄り、
手首を掴んで心臓より上に持ち上げた。皮肉なことで暗殺の才能を持った少年の応急処置は手慣れたものであった。が、怒りにより声が震えていた。
「……もう、もうしない…もう絶対にしないからぁ…」
壊れたラジオのように繰り返し同じ言葉を呟くゴンだが、ゴン自身にも何が何だかわからなかった。いやわかりたくなかった。
キルアには止められ、包帯を巻かれ、こっぴどく叱られた。「次やったら俺がその手折るからな」という脅しまで受けたのだ。しかしゴンの中の衝動は収まらなかった。
深夜三時。キルアは深い眠りに落ちている。ゴンは布団の中で左手首をそっと確認した。キルアが巻いた包帯を歯で剥がし、乾いた傷跡が露わになる。もう一回、あと一回だけ。すっと引けば、現実全部忘れられる
「……っ」
赤い線。血の珠がぷつぷつと浮き上がり、やがて細い流れになる。痛い、けど気持ちいい。意識がぼやけていく感じがたまらない。
キルアに問い詰められた夜から三日後。レオリオが応急処置でゴンの左手首にテーピングを施し、「これ以上やったら縫合じゃ済まねえぞ」と脅した。それでもゴンは笑って「大丈夫大丈夫」と言うだけであった。
深夜。月明かりが窓から差し込む静かな夜。ゴンは仰向けのまま天井を見つめていた。右手にはカミソリ。左腕はもうキルアたちに封じられたから、今度は右手首だ。
「……一回だけだから…」
すーっ、と刃が走る。浅い傷。だが脳がそれを「スイッチ」として認識してしまった。あの感覚を求めて、二度、三度と繰り返す。傷が重なるにつれ、返ってくる痛みも加速度的に増していく。
ゴンは、どうしようもなく愚かだった
ゴンという人間を一言で表すなら「真っ直ぐ」だ。誰もがそう言う。仲間たちも、師匠も、敵ですら。まっすぐで純粋で折れない心を持つ少年。それがゴンだった。それは間違いない
だが「真っ直ぐ」であることと「賢い」ことは全く別の話である。
彼の脳みそには致命的な欠陥があった。それは想像力の欠如である。目の前にある事実をそのまま受け取ることはできる。殴られたら痛い、人が死んだら悲しい、それはわかる。でも「なぜ」を考えることができなくなっていた。
なぜ自分は毎晩こんなに痛いのか。なぜ左手首だけでなく右手首まで同じ痛みが走るのか。なぜ傷が一つもないのに腱を切られた感覚だけがあるのか。普通の人間なら三回目で気づく。五回目なら確信する。十回以上繰り返して「わかんない」で済ませている時点で、この少年の知能は猿以下と言ってよかった
しかも厄介なことに、彼は「現実逃避」という行為に完全に依存していた。手首を切る→痛みが返ってくる→現実を忘れられる。この回路が快楽回路として脳に刻まれてしまったのだ。自傷行為そのものが目的ではなく手段になっている。麻薬中毒者が注射針を刺す瞬間の安堵を求めて何度でも刺し直すのと、本質的には何も変わらない
そして周囲の仲間もまた愚かだった。「嫌なこと全部忘れられる」というゴンの言葉を深掘りせず、ただ「やめろ」と叫ぶだけ。なぜ嫌なことがあるのか、何がゴンを追い詰めているのか。そこに手を伸ばさない限り、この少年は一生手首を切り続けるだろう
だって、彼は、ゴン=フリークスは、逃避しかできない生き物なのだから。
コメント
3件
とてもエロい。 その場しのぎしかしないバカなゴンがとても好き そしてどうしてその場しのぎをするのかが分からずやめろしか言わないキルアも好き
このエピソード、心臓がギュッと締め付けられました。ゴンの「真っ直ぐ」さが致命的な欠陥に反転する構造がすごく痛い……。キルアが「次やったら手折る」と怒るシーン、あの感情の裏にあるのは純粋な恐怖だと思うと、二人の関係が深く描かれていて泣けます。重いテーマだけど丁寧に書かれていて、引き込まれました。続き、ちゃんと見届けたいです。