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入学してから数日。
滉斗にとって、高校生活は思ったよりもあっという間にリズムを刻み始めた。
でも、それと同時に——ひとつ、頭の中にこびりついたままの存在がある。
「……なぁ」
「ん?」
昼休み、隣の席でパンをかじっていた元貴が、口の端で答える。
「今日、放課後、何してんの?」
「特に決まってないけど。家、帰って曲いじると思う」
「そっか。……やっぱすげーな、音楽。毎日やってるの?」
「うん。ていうか、毎日やらないと落ち着かないんだよね」
「へぇ……」
言葉は淡々としてるのに、芯がブレてない。
そのブレなさが、滉斗の胸をじわじわと締め付けてくる。
「今さ、どんな曲作ってるの?」
「ミドルバラード。ピアノとギター重ねるやつ」
「……もう、その説明だけでかっこいいわ」
元貴はくすっと笑って、滉斗の方をちらりと見た。
「今度、聴く?」
「……いいの?」
「うん、どうせ聴かれるために作ってるし」
「じゃあ、ぜひ」
そのやり取りが、なぜかすごく特別に感じた。
誰にでもこんなふうに話してるわけじゃない。
たぶん元貴は、今この瞬間、“自分にだけ”向いてる。
それが、なんかうれしかった。
—
一方で、元貴にも別の“想い”が生まれ始めていた。
藤澤先生の音が、ずっと耳に残っている。
吹奏楽部の見学で聴いた、あのフルートの音。
呼吸のように自然で、それでいて凛としていた。
音にあれほどまでに人柄が乗ることがあるのか、というほど。
その日から元貴は、無意識に藤澤先生を目で追っていた。
音楽室の近くを通るたびに立ち止まったり、昼休みに楽譜棚を眺めたり。
音楽に触れる場所に、藤澤先生の“痕跡”を探してしまう。
(……おかしいな)
“憧れ”で片づけられる感情じゃないことに、元貴はうすうす気づいていた。
—
放課後、昇降口で。
「ねえ、滉斗って、誰かに憧れたことある?」
「憧れ? うーん……まぁ、すごいなーって思う人はいるけど」
「すごいなって思うだけじゃなくて……気づけば目で追ってたり、もっと知りたくなったりとか」
「……それ、恋じゃね?」
元貴は一瞬、ぴたりと動きを止めた。
「あ……いや、そんなつもりじゃ」
「え、もしかして……好きな人できた?」
「ち、ちが……ちがうよ」
「え、顔真っ赤じゃん!絶対なんかあるって!」
「う、うるさい……」
そう言って、元貴は靴を乱暴に履いて立ち上がった。
(……かわい)
その時ふと、滉斗の中で妙な感情が湧いたけど、なんとなくごまかして笑うだけにした。
—
その夜。ベッドの中。
天井を見つめながら、滉斗は今日のやり取りを何度も思い出していた。
「好きな人できた?」の問いかけに、顔を真っ赤にして言葉を詰まらせた元貴。
(……元貴の“好き”って、誰なんだろうな)
なぜか胸がモヤッとする。
“誰なんだろう”って思うだけで、どこか落ち着かなくなって。
自分でもよくわからないまま、枕に顔をうずめて小さく唸った。
(……これって……)
まだ“恋”という名前にはたどり着いていないけれど、確実に心のどこかがざわめき始めていた。