テラーノベル
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目の前の肉塊は私をまっすぐに見つめた。
死人に口なしとはよく言うが、目はどうだ。
生者に何も訴えることができないのを不憫に思った神が、慈悲を施したのだろう。
私を睨むのも無理はない。
私が殺した。
私がこの手で一つの命に終止符を打ったのだ。
この私、ユーゴスラヴィアという国が、な。
まあ信じられないと思うが、聞いてくれよ。
なに、ひとつくらい言い訳したっていいじゃないか。
体が勝手に動いたんだ。
もちろん、私は殺す気は更々なかったよ。
初めから殺す気だったら、そこの角で出会った時にやってたさ。
ばんって。
そこの角から飛び出してきたんだよ、この…
なに?人だったもの。
ここ大通りだからさ、スナイパーが狙ってんのさ。民間人。
危ないだろう、こんなところ。
だから守ってあげようとした。
で、体が勝手に動いて気づいたらこれよ。
このまま茫然とひとりで肉塊を前に考え事をするのも良くない。
そうやって私は、肉塊に祈りを捧げた。
「ごめんね…」
…
……?
どうして謝る必要が?
こんな滅茶苦茶な状況、人間が招いたことじゃないか。
私はあくまでも『国土』だ。
そう、これは人間、人間が……
……どうして私は人間のかたちをしているのに、人間じゃないんだろう。
考えても無駄だ。
何か物言いたげに私を見つめるそれに背を向け、この場を後にした。
行く宛はない。
あの目は私を恨んでいる。
国だから、守ってくれると思ったのだろう。
勿論、私も守るつもりでいた。
でも、どうしても体が言うことを聞かない。
どうして殺してしまうのだろう。
あれは何の罪もない民間人だ。
なのに、どうして……
まあ、なんとなく見当はついている。
きっと、さっきのはセルビア人ではなかったからだろう。
私はユーゴスラヴィア。
残ったセルビアとモンテネグロで構成され、セルビア人のスロボダン・ミロシェヴィッチ率いる『ユーゴスラヴィア連邦共和国』だ。
名だけの南スラヴ。
ほぼセルビアだ。
「私」なんか、いてもいなくても変わらない。
変わることといえば、殺し屋の人数?
こうやって、かつて私だった場所を放浪する前、私はセルビアと仲違いした。
セルビアは、私の義理の兄だ。
昔から、そう、王国だった頃から、ずっと私のことを気にかけてくれた。私のことを一番想っててくれた。とても頼り甲斐のある、私の優しいお兄様。
でも、その『一番に想う』のは本当に私のため?
私は何のために?
私たちの間にある違和感なんか、とうの昔に気づいていた。
だから国王の独裁に賛成した。
だからクーデター前に喧嘩した。
これが何を意味するのか、セルビアはわかってない。
どうせ私のこと『鈍感だ』とか思ってるんだ!
どっちが鈍感なんだろうな。
私の気持ちなんか、一切わかってない。
だから、思い切って言ってやったんだ。
『このわからずや!!』
って。
そしたらセルビア、なんて言ったと思う?
わからずやなのは君の方だろうが、って。
全然話が通じないって、もう顔も見たくないって。
ここまで突き放されたのは初めてだ。
正直、悲しかった。
前だったら、そこまで言わずに、優しく抱きしめてくれたのに。 まるで私の心を支配するかのように。
なんかもう、どうでもよくなった。
そうして私は、宛もなく、国土を、国土だったところを彷徨い始めた。
最後に見たセルビアの顔は、どこか悲しげだった。
悲しいのはこっちの方だ。
去り際に何か言おうとしていたような気がするけど、知らん。どうでもいい。
今更引き止めたところで、どうせ私は縛られるだけだ。
こうして放浪している方がよっぽど楽だ。
しかし、体が勝手に動いて、人を殺してしまうというのは、結局私がどこにいようと、『ユーゴスラヴィア』に縛られているんじゃないか。
そうか。
私はユーゴスラヴィア。
『ユーゴスラヴィア』という国は、まだ生きようとしているらしい。
彼は、ユーゴスラヴィアを動かそうとしているらしい。
私が今ここで、勝手に動く体に抗ってしまったら、それは私が私ではなくなってしまう、ということだろうか。
いや、もう既に私ではないのではないか?
生き人形
とでも言うべきか。
私はまだ存在しているというのに、あの国は、実質私ではない。
じゃあ、私は何?
社会主義やってた頃は、確実にユーゴスラヴィアは私だった。
私は、ユーゴスラヴィアだった。
王国だった頃も、きっと私。だったはず。
今は?今は何?こんなの、私じゃない。
私じゃないと思う。
でも、自分を否定しきれない自分がいる。
世界は私を否定した。
でも、私の名前を呼んでくれる存在がいる限り、『私』は存在する。
存在を肯定してくれる君には感謝してる。
でも、私の気持ちをわかってくれない君はあんまり好きじゃない。
そんな一方的な感情、求めてない。
こんな考え方、我儘かな。
いや、向こうのほうが我儘だ。
よくよく考えてみれば、いつだって我儘を聞いてきたのは私の方じゃないか。
まあ、みんなの意見をまとめるのが私の役割だから、当た り前ではあるな。
いや、でも私の我儘を全く聞いてくれなかったわけじゃないのは確かだ。
危うく忘れるところだった。
他人の嫌なところのことを考えると、もう嫌なところしか見えなくなる。
人間ってそういう生き物じゃない?
私たちって不思議な生き物だな。
人の形をした国土って、意味わかんなくない?
でも、生物の三定義は満たしてないんだ。
変なの。
どこかで聞いたことがある。
私たち国の子たちは、人体実験の産物なんだって。
つまり、元人間ってことらしい。
私が私になる前の私は、どんな人生を送っていたのだろう。
同じ『私』のはずなのに、まるで他人のような、不思議な感覚だ。
本当は、人間という生物として、生きて、死んでいくはずだったのに。
鳴呼、人間が憎い。
私を壊して、私を創り上げた人間たちも、いつかは私という国があったことを忘れてしまうのだろう。
誰かの記憶の中に、何かの記録の中に残っている限り、私という国が存在したことは事実として残り続ける。
だから、怖くない。
怖くない。
どうか
「私を忘れないで。」
別に、誰に言ったわけでもない。
現に、私の周りには誰もいない。
どうやら、これを読んでいる人がいるようだから、その人に届いてくれたのならそれでいい。
一発の銃声が、周囲の空気を切り裂くように響い た。
私のものだ。
殺す気は更々なかったよ。
本当だって。
また一つ、罪のないはずの人間の命を絶ってしまったらしい。
なんだよ。
何か言いたげな顔して。
私だって言いたいことは山ほどある。
でも、それを飲み込んで、奥へ、奥へ、腹の底へ押し込んで、無理矢理生きてるんだよ。
お前ら人間なんかに私の痛みはわからない。
軽々しく、わかろうとするな。
目の前の肉塊は私をまっすぐに見つめた。
私は、それに応えるように見つめ返した。
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