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夏休みの終わりが近づき、蝉の声も徐々に力を失っていた。音楽室の光も、朝の強さを失い、柔らかく差し込むだけになった。
わたしはいつものように扉を開け、紬を探す。
でも、ピアノの前には誰もいなかった。
「……紬?」
声は静まり返った部屋に吸い込まれ、返事はない。
窓際のカーテンが微かに揺れるだけで、煙草の匂いも、鍵盤を弾く音もない。
わたしは机に腰を下ろし、指先で埃を払う。
小さな物音さえも、紬の存在を信じさせるには足りなかった。
あの日、紬が言った「もしさ、明日いなくなっても、探さないでね」という言葉が、胸をざわつかせる。
でも、わたしはその通りにしてしまったのだ。
探さず、問い詰めず、ただ待ち続けた。
夏の終わりと共に、紬は静かに、どこかへ消えてしまった。
わたしは窓の外を見た。
蝉の声はもう遠く、青い空には秋の匂いが混じっている。
鍵盤の上にはわずかに弾かれた痕跡が残っていた。
紬の息づかいも、笑い声も、もうここにはない。
それでも、わたしはここに座り続ける。
日常の積み重ねの残り香に、ひとり身を委ねて。
夏が終わった。
誰もいない音楽室で、ただ静かに、壊れた日常だけが残った